3 狙われた王様
「いいえ、エメさんがそこの水差しの水を注いでました」
「そうか。飲んではいないな?」
「リック、どういうこと?」
すっと表情をなくした王様に、険しい顔をしたエメさんが詰め寄る。
「見てみろ」
王様の視線の先には銀盤。
? 何が言いたいんだろう。
「なんてこと・・・!」
まったくわからない私と違い、エメさんは何かに気付いたようで、銀盤を覗き込んで青くなる。
そんなエメさんの肩に、王様はそっと手を置く。
「すまんな。私のせいだ。
・・・ここに通うということはそなたたちを巻き込むことになるというのを失念していた。
しばらく来るのは止そう」
「えっと、あの、どうしたんですか? 巻き込むって何?」
「ルチノーちゃん、ここを見てみて」
王様の手をしっしっと振り払い、エメさんが指さしたのは銀盤の内側。
ちょうど私がこぼす前に水が入っていたあたりに、うっすら黒い線があった。
「毒よ」
「え!」
「銀製品は、砒素や硫黄に反応するんだ。大方、私の命を狙った者の仕業だろう」
「なんてこと・・・。あ! 私、頭からこの水かぶっちゃったけど?」
「それは大丈夫。私が乾かしたときに、成分ごと吹き飛ばして浄化してあるから。
偶然だけど・・・よかったわ。確か飲み込んではいなかったと思うけど?」
「うん、口には入らなかった」
「なら大丈夫。それにしても油断したわ。まさか私の部屋の水差しに毒を仕込まれるなんて」
「本当にすまない。ここのところ、少し不穏な空気があってな。警備を強化していたところだったのだが」
そうだったんだ。全然知らなかった。
もしも王様が来なくて、あの水差しの水でお茶を淹れていたら、私やエメさんはどうなってたんだろう。
「口に入ってたら、もしかして、死・・・?」
「ふむ。私は平気だが、そなたのようなかよわい姫君ではわからんな」
王様は平気なの? な、なんで?
混乱する私の横で、エメさんは銀盤を前に何やらやっていた。
「チッ、これだけじゃ誰かわからないわね」
「どうした」
「水から毒の成分だけ取り出してみたのよ。北の方の鉱山で採れた砒石が元になってるわね。
でも犯人までは特定できないわ」
エメさんの手中には、黒い小石が乗せられていた。
毒の結晶を拠り所に、犯人を水鏡に映そうとしたみたいだった。
「よくやった! それがわかればかなりの手がかりになる」
「私としては不本意よ。警備を強化中ですって? その警備、私にも一枚かませてちょうだい」
「エメさん?」
「私の部屋に持ち込まれたってとこが気に入らないわ。魔術士なめんじゃないわよ。」
「ふ・・・。おまえに入ってもらえるならこんなに心強いことはない。親衛隊長にも言っておこう。お前を組み込んだ警備案を立てさせる」
「えぇ。絶対犯人捕まえて、生まれたことを後悔するくらいの酷い目にあわせてやるわ。
そうだ、気休めだけど、加護はいるかしら?」
「もちろん」
「ちょっとかがんで」
エメさんは人差し指と中指を立てて口元に添え、口中で何かつぶやいてから、指先を王様の額にトンと当てた。
私を猫にする術と同じようにみえるけど、違うんだろうな。
「これで終わりか?」
「大仰な魔術陣でも描いて欲しいの? 効果は変わらないわよ」
「そうではなくてな。ふむ、ルゥ、少しの間、後ろを向いてくれ」
「? はい」
二人に背を向け、窓の外を見る。
あ、鳥。鴉か。子猫のときに、追いかけまわされたことがあるなぁ。鴉、嫌い。
空の高いところを行くのは渡り鳥かな。
初めてエメさんに出会ったときに、猫じゃなくて鳥になりたいって願っていたら今頃どうしていただろう。
そんなことを考えていると、
「んっ、んんん!」
衣擦れの音に続いて、背後でエメさんのうめく声。
ええ? ちょっとこれって・・・王様!?
「やめなさ・・・んんっ」
えーと、いつ振り向いたらいいんだろう。
ばちーんと頬を叩く音が響くまで、仕方なく私は空を行く鳥を数えつづけた。
「毒!?」
家に帰って夕食を食べながら、私を心配していたカールに今日のことを話した。
警備の強化は知ってはいたけれど、よくあることらしくまさか私に影響があるとは思わなかったみたい。
「しばらく勉強会に行くのはやめたらどうだ?」
「そんなに危ないかな」
「まぁ、リクハルド様から離れていれば大丈夫だろうが・・・」
「勉強会は行きたいな。少しずつできることが増えていくのが、とっても楽しいの。
水鏡も、あんなことになっちゃったけど、カールに気付かれるまではうまくいったのよ」
「あぁ。気のせいかと思ったが、ルゥだったんだな。
たいしたもんだ」
「ふふ。エメさんが浮気防止になるわよって言ってた」
「ははっ、そんな心配いらないのに。むしろずっと見ていてほしいくらいだ」
「そうなの?」
「あぁ。ルゥが見ていてくれると思えば、仕事にも精が出る」
「私、そんなに暇じゃないもん」
「そうか? 残念だ。俺がその術、使えたらいいのにな。一日中ルゥを見ていたい」
「えぇ?」
「あぁ、でも行商人や玄関先の鉢植えにまで妬きそうだ。やっぱりだめだ」
「ふふ、お仕事にならないね」
「ならないな」
その日のお風呂は、カールに体の隅々まで念入りに洗われた。
「エメさんが浄化してくれたから大丈夫だよ」
「ルゥには悪いが、魔術ってのはどうも信用ならん。大丈夫だとは思うが、洗わせてくれ」
そこまで言われたら断るわけにはいかない。
心配してくれているのは十分にわかってるし。
あ、でも、ほらやっぱりこの手!
カールの場合、洗うだけで済まないから・・・あぁんっ
お風呂から上がり、すっかりのぼせた身体を椅子に腰かけて冷ます。
「水、いるか?」
「ん・・・ちょうだい・・・」
カールが水を汲んで手渡してくれる。
冷たい水が喉を通り、火照った体にしみこんだ。
そうだ、水鏡、普通の入れ物でもできるって言ってたよね。
このコップでもできるのかな。
まだ半分残った水に意識を集中する。
水面が揺らぐ。
さざ波が立って、そこに景色が―
「きゃっ」
「どうした?」
髪を梳いてくれていたカールが手を止めて、私の顔を覗き込む。
「ううん、なんでもない。水がこぼれただけ」
「水が? 気を付けろよ」
髪を梳き終わったカールは、今度は私の髪を細く何本も編み始めた。
「何してるの?」
「こうして寝ると、明日ほどいたときに波打つような跡がつくんだ
「へぇ」
楽しそうに私の髪を編むカールに髪のことはまかせて、コップの水を見つめる。
そこには私の顔以外何も映っていない。
知らない人は見られない、か。
思い描いたのは、すでに遠い過去になった面影。
「待たせたな。終わったぞ」
はっと気づくと、髪が全部きれいに編まれていた。
胸に浮かんだ影を振り払うように、カールにぎゅうっと抱きつく。
「ありがと。明日が楽しみ」
おやすみのキスをして寝台にもぐる。
カールの腕の中は温かくて、世界で一番好きな場所。
背中を優しく撫でてくれる腕に安心して、いつしか私は眠りに落ちていた。