1 王城の子ども
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とてとてとて。
高く上げた尻尾を揺らしながら、お城の中庭を歩く。
あ、エメさんに王様は連れて来るなって言われたんだ。どうしよう。
執務室に向かいかけた足が止まる。
庭の真ん中で悩んでいると、押し殺したようなかすかな泣き声が聞こえた。
声をたよりに歩いていくと、白い花を咲かせる林檎の木の下で、小さな子どもが泣いていた。
う、猫の姿で子どもは鬼門。
以前、猫になりたてのころ、追いかけまわされた忌まわしい記憶が蘇る。
でも小さい子が一人で泣いているのはかわいそうだし・・・。
「んなーぅ」
そっと近づいて、様子を伺ってみた。
私の鳴き声に気付いた子どもは、顔を上げてじっとこちらを見ている。
涙に濡れた真っ黒な瞳が印象的な、きれいな顔をした子どもだった。
「んな」
「ねこたん」
立ち上がった子どもは、よたよたと私のところまで歩いてきて、小さな手を伸ばしてきた。
「ねこたん、いいこ、いいこ」
「うに」
手の平をつっぱって頭を撫でる。
決して気持ちがいいわけではないけれど、泣き止んでくれたからいいか。
大人しく撫でられていると、ばたばたと走ってくる女性がいた。
「ジェラール様! ジェラール様!?」
「あ・・・タマラ・・・」
「まぁ、こんなところにいらしたのですね! お勉強の時間です。お部屋にお戻りください。
なんです、その猫は! 野良猫なんかに触ってはいけませんよ」
タマラと呼ばれた女性は、金切声をあげて私を睨みつけた。
なんだか、感じの悪い人だなぁ。
私を知らないってことは、新しい人なのかな。
「ねこたん、のらじゃないよ。ちゃんとくびわしてる」
「首輪? あら、ほんと。猫にはずいぶん分不相応な代物ですこと。どれ・・・」
タマラの手が私の首輪に伸びる。
あっ、ちょっと、何するの!
これ、はずれたらとってもまずいんだって!
毛を逆立てて威嚇するけれど、タマラはそんなことはおかまいなしに、ぐいぐいと首輪を引っ張る。
「あら、はずれないわ。鍵なんてかかってる」
こうなったらひっかいてやる! そう思って爪を立てかけたとき、ようやくタマラは諦めてくれた。
カールのいたずら対策が、思わぬところで役に立ったみたい。
「ねこたん、だいじょぶ?」
「んなーぅ」
私を心配してくれる子どもの手を、ざりっと舐めた。
「んふふ、ねこたんのべろ、おもしろい」
そう? 気持ちいいでしょ?
「ああ、おやめください。汚いわ。さっ、家庭教師の先生がお待ちです」
「ねこたん、またね」
気に入らない女に手を引かれた子どもは、名残惜しそうに何度も振り向きながら去って行った。
*****
「それはたぶん、シャンタル様の御子だな」
「シャンタル様?」
夜、風呂からあがって、ルゥの髪を梳く。
銀の糸をつむいだような髪はさらさらと手触りよく、至福の一時だ。
タオル一枚を体に巻いただけで椅子に腰かけるルゥは、胸の谷間が覗き見えてなんともいい眺めだ。
「あぁ、第三妾妃で今年23歳になられるのかな。大層控えめな方だそうだ」
「王様って三人も奥さんがいるんだ」
「普通じゃないか」
王ならば珍しくない。俺はそう思ったが、ルゥは違ったようだ。
「それなのに、エメさんに言い寄ってるの?」
「あー・・・。ま、気の多い方だから」
「そう。協力するなんていって、馬鹿みたい。
私、もしカールが他の女の人も奥さんにしたいっていったら、嫌だな・・・」
ん、言いたかったのはそっちか?
両手を膝の上で握りしめて、うつむく姿が愛らしい。
「くす・・・絶対そんなことはないから安心しろ」
そう言って、華奢な肩を撫でて、小さな耳朶を甘噛みした。
「んっ・・・・あん、カール、せっかくお風呂に入ったのに、また汚れちゃう」
「そうしたらもう一度入ればいいさ」
「でも・・・あぁっ」
その後二回風呂に入り直して、ようやく寝台に落ち着いた。
すでに半分眠りに落ちているルゥを胸に抱き、髪を根元から毛先まで手で梳いて撫でる。
「そういえば、さっき髪を梳いていて気付いたんだが・・・」
「ん・・・なぁに?」
「ほら、ここ。内側の一房が、金色になってる」
寝ぼけ眼のルゥの前に、色が変わった髪をとって見せる。
その一房は、月明りに映えてきらきらと光っていた。
「あ・・・・、ほんとだ」
髪の色に劣等感をもつルゥは、驚いて目を見開く。
「ルゥ、もしかして元は金髪だったのか?」
「え、わかんない。あ、でもお母さんは金髪だったって、前エメさんが言ってた」
「そうか。大人になると色が変わるのかもしれないな。ここははじめから金色だし」
すっと下の茂みに触れれば、びくんとルゥが反応した。
「えっ、あっ、ちょっと、もう寝なくちゃ」
「うん、寝よう。おやすみ、ルゥ」
「そんなところいじられてたら、眠れないよぅ」
「そうか? 俺は眠れる。温かくて気持ちがいい」
「あぁん、もぅっ、カールの馬鹿っ」
紅玉の瞳を潤ませて、ぽかぽかと俺の胸を叩く。
あぁ、またそんな可愛らしい顔をして。眠らせたくなくなるじゃないか。
「わかった、わかった。ほら、これでいいだろう。おやすみ、ルゥ」
「ん・・・おやすみ」
髪をなで、腕枕をしてやる。
触れるだけの軽いキスに安心したルゥは、すぐに寝息を立て始めた。
俺の、愛しいルゥ。
こんな日々がずっと続くといい―
月光編あります^^