王の独白
リクハルドの話。
月の明るい夜。
執務室で、コスティと酒を酌み交わす。
「即位15周年、おめでとさん」
「あぁ」
杯を合わせ、一気に飲み干す。
親衛隊長として陰ひなたに私を支えてくれるこいつは、実は腹違いの兄だ。
母ひとすじだと思っていた父王が、若い頃遠征先で一人の女に手を付けて産ませた子で、私が成人して王位継承権が確定するまで侍従長がずっと隠していた。
母どころか父も知らず、またコスティの母は彼を生んだときに死んでおり、私と兄、侍従長のみが知る事実だ。
「親衛隊も15周年だな」
「あぁ。ったく、俺ぁいらないといったのに、変な役職を押しつけやがって」
「そうでもしなければ、城に留まってはくれなかっただろう」
「はっ、そりゃおまえが無事王様になるのを見届けりゃ、俺の役目は終わりだと思ったからなぁ」
「欲のない奴だ」
「うるせえよ」
コスティの杯に麦酒を注ぎ足す。
麦酒程度ではお互いどれだけ飲んでも酔いはしない。
「にしてもなぁ、おまえの女関係の手伝いをさせられたときには、心底逃げときゃよかったと思ったぜ」
「くくっ、そうか?」
「そうさ! 一人目は、まぁ、いい。街道の警備は重要だからな。ついでにあの女の近辺にも目を光らせるくらい、わけないさ。
でも二人目! おまえの身代わりなんざ、二度としたくないね!」
「王様気分が味わえただろ?」
「馬鹿言うなよ。あん時はひたすらダンスの相手をさせられて、百人組手をするより疲れた」
「はははっ」
今度はコスティが私の杯を満たす。
なみなみと注がれたそこに映る月ごと、飲み干した。
「あとはあれだ、暗殺組織のお嬢ちゃん。追手がしつこいのなんのって。
背格好が似た死体を見つけてきて、顔焼いて送りつけるまで続いたぞ」
「そんなことまでしてくれたのか」
「そうさ。まぁ今はもうずいぶん面変わりしたから、やつらに見られても気付かれないかもしれないが、はじめの頃はいつばれるかとハラハラしたもんだ」
「美しくなっただろう」
「言っとけ。おまえは気楽なもんだよ。気に入った女、次々と手ぇつけやがって」
「王位が欲しけりゃいつでもやるぞ」
「いるか、そんな面倒なもの」
「ははっ」
酒の合間に、アンジェリカが持ってきた燻製肉をつまむ。相変わらずうまい。
「んで、今度は女魔術士か。それともヴィルヘルミーナの生き残りか」
「ルチノーはだめだな。カールが溺愛している」
「くくっ・・・あいつ、変わったな。あんな男じゃなかったんだが。
昼休みにほぼ毎日白猫が来るんだ。もうデレデレで・・・。あんなわかりやすい反応をしていて、周りの奴は気付かんものかね」
「ま、猫と人だからな。両方見てない限りはわからないんじゃないか」
「そぉかぁ? そうかもな」
コスティには、エメの頼みもルチノーの背景も話してある。
この口ぶりでは、人の姿のルチノーも確認済みだろう。
「エメはな、正妃にしたい」
「また難しいことを・・・。あの女はおまえの手に負える相手じゃないぞ。
何百歳? 何千歳だ? 東の国の書物には、前の大戦であの女らしき記述があるっていうじゃないか。
それだって三百年は前だぞ」
「見た目は二十五、六じゃないか」
「見た目の問題じゃない。大臣たちはあわよくば、みたいな反応だったらしいが、俺は賛成はしないな。
第一、子どもは産めるのか?」
「子どもは別にいらん。もう五人もいるしな」
「まあな。なら正妃はブランシュでもいいんじゃないか? 彼女なら周囲も納得するだろ?
彼女を格上げして、女魔術士は妾妃でいいじゃないか」
「嫌だ」
「嫌だって、おまえ・・子どもかよ。あぁ、子どもの頃に会ったんだったっけ?」
「・・・」
あれは、母を亡くしたばかりのころだった。
ヒューグラー家の跡取り息子が生まれたということで、父王の代わりに祝福を与えに、侍従長とともに祝いの席が設けられた屋敷を訪れた。
生まれたばかりの赤子は、はっきりいってかわいいとは思えなかった。
しかも夫人の手に抱かれる姿は、否応なしに母を思い出させて、とても祝福を与える気分にはならなかった。
そんなとき、英才教育の為呼び寄せられたエメに出会った。
『くすくす・・・。赤ちゃんがうらやましいの? うちの子も、妹が生まれたときにそんな顔をしてたわ。
王子様とはいっても、ヒトの子ね』
『あなたも子どもがいるの?』
『えぇ。ずっと前に離れ離れになってしまったけどね』
そう言って私の頭を撫でた彼女の手は、とても優しくて―
「そうだ、エメは子どもがいると言っていた。ぬ・・・。どこの男の子どもだ?」
「はぁ? じゃ結婚してんじゃねぇの? 王様でもさすがに重婚はまずいぞ」
「今は、夫も子どももいないはずだ」
「はずだって、おまえねぇ。んで、何、頭撫でられて一目ぼれ?」
「いや、それはその後また再会して・・・って、私にばかり話させるな。おまえこそどうなんだ」
「俺は女は遊びでいいよ。子供なんかなおさらだ。下手に俺の血を残すわけにもいかんしな」
「・・・すまん」
「馬っ鹿、おまえが気にすることじゃねぇだろ」
「おまえが望むなら、本当に王位は譲るぞ?
私とアンジェリカとブランシュ、シャンタル、子どもたちが暮らせるくらいの領地をもらえれば、いつでも引っ込む。
あ、エメもそのときは来てくれるとうれしいが・・・」
「いらねぇって! それよりもおまえ、今あげた女たちに見放されないようにするほうが大変じゃねぇの?
よくまぁ、まめまめしくそれぞれに通うよな。俺には無理」
「アンジェリカが彼女たちをまとめて、ブランシュが子どもたちの世話をしてくれるからな。シャンタルも懐いているし、助かっている」
「ははぁ、仲がいいのか。珍しいな」
「そうか? そうかもな。あとはエメ・・」
「欲張ると、全部なくすぞ」
「ぬ・・・」
そんなことを話しながら杯を重ねる。
コスティといるときが、一番素の自分でいられる気がする。
「そろそろお休みになられませんと、明日の御公務に差支えますよ」
「シルヴァン」
酒の匂いが充満する執務室に、年老いた侍従長がやってきた。
髪は元々白かったが、最近とみに皺が増え、体は一回り小さくなった気がする。
父王の代から仕えてくれている彼も、気を許せる貴重な存在だ。
「俺ぁ、子どもの頃、時々顔を出すおまえが父親だと思ってた」
「それはそれはコスティ様。光栄ですね」
「くくっ・・シルヴァンが父親なら、今頃、鎧より礼服が似合う男に成長してるだろうよ」
「あぁ、あれは堅苦しくていけねぇな。背筋もな、そんなにピンとしてはいられない」
「お褒めの言葉ととってもよろしいので?」
「当たり前だ。その年でそんなに姿勢のいい老人はいないだろう」
「そうさ、いつまでも長生きしてくれないとな」
「そうですか。では老体に鞭打って、もう一働きいたしましょう。リクハルド様、これを」
「ぬ・・・」
シルヴァンが手巾に包んで差し出したのは、漆黒の鴉の羽根。
「羽根がどうした?」
「シャンタル様が見つけられたそうです。衣装棚に入っていたようです」
「衣装棚・・・。シャンタルが見つけ、侍従長が私に持ってくるということは、ただの羽根ではないのだな」
「えぇ、シャンタル様がおっしゃるには・・・・」
シルヴァンが声を潜める。
私もコスティも、身を乗り出して、一言も聞き漏らすまいと耳を傾ける。
「・・・だそうです」
「そうか」
「じゃ、俺、隊舎に戻って警備案練り直すわ。今の布陣は内からの攻撃には弱いんでな」
「頼んだぞ」
「あぁ。あ、そうだ。武術大会の許可くれ。親衛隊内でやるだけだけど」
「ん? 好きにしろ」
「ほい」
コスティが去った後、残った酒をシルヴァン相手に飲む。
「自己犠牲を厭わぬ者か・・・」
「過去の亡霊よりも、今を生きるもののほうが強ぅございますよ」
「だといいがな」
空が白み始める。
月は陽の光を浴びて、その姿を隠そうとしていた―
次回から本編に戻ります^^