*** 閑話 お菓子 ***
ある日、ユハさんがかわいい貝殻の形をした型をくれた。
わざわざうちまで届けてくれたので、そのまま焼き菓子を作ることにする。
「おはよう、ルゥ・・・ってなんでユハがいるんだ?」
2階から降りてきたカールが、居間でお茶をする私とユハさんに気付いて目を丸くする。
カールは、昨夜は副隊長さんと飲みにいっていた。
帰りもずいぶん遅かったし、今日は非番だから起こさなかったのだ。
「ユハさんがお菓子の型をくれたの。今一回目を焼いているところ。
朝ごはんはどうする?」
「あー、軽くでいいかな」
「はい」
サラダとスープ、薄く切ったパンを並べる。
その間に、焼き釜からいい匂いがしてきた。
いつもは練習を兼ねて魔術で焼くんだけど、今日はユハさんがいるからレンガの釜で焼いている。
「ルチノーさん。俺がやります」
厚手の手袋をして、焼き上がったお菓子を取り出そうとしたら、ユハさんに止められた。
「火傷をしてはたいへんですから」
そう言って、てきぱきと釜からお菓子を出してくれた。
私は横に立って、籠に受け取る。
一つ型から抜いてみると、きれいな貝殻模様がついていた。
実はユハさん、薪を組んだり材料を混ぜたりするところからずっと手伝ってくれていた。
一回目のお菓子を全部型から出して、二回目の種を流し入れる。
焼き釜に並べてから、出来上がったお菓子を一つとって半分に割った。
ふわっと湯気が出て、卵とバターのいい匂いがする。
「はい、お味見」
ちょっと大きい方を、ユハさんに差し出す。
「い、いいんですか!?」
「一緒に作ったんだもの。一緒に味見しましょう」
「はい!」
両手を出して、私が渡すのを待つユハさん。
切れ長のこげ茶の瞳を、嬉しそうに細めている。
そんなユハさんを見て、孤児院で面倒を見ていた小さい子たちを思い出した。
あの子たちも、私がお菓子を作っているとお手伝いをしたがったっけ。
たいていは、こういう味見とかのおこぼれを期待してだったけど。
「うん、うまいです!」
「よかった」
「もう一つ食ってもいいですか?」
「えぇ、どうぞ。お茶のおかわり淹れますね」
貝殻の形をしたお菓子は、甘さもちょうどよく、外はカリカリ中はしっとりしておいしくできた。
ユハさんは、食後のお茶を飲んでいるカールの向かい側に座り、ご機嫌で2個目をほおばった。
「ルチノーさん、今日のご予定は?」
「特にないけど・・・カールは?」
「別に」
ユハさんがいるせいか、カールの返事がそっけない。
それともお酒が残ってるのかな。
「大丈夫? 頭でも痛い?」
「いや、大丈夫だ。」
私の方を見て、にこっとする。
具合が悪いのではなくてよかったけど、いつもの笑顔とは違うような?
「よかったら、前に話した菓子店に行きませんか」
私とカールとの微妙な空気に気付くことなく、ユハさんが言った。
前に話したっていうと、私のお菓子と味が似ているっていうお菓子屋さんか。
城下町にあるのよね。
猫じゃ・・・行けないよね。
カールも一緒なら家を出ても人の姿でいられるけど、あんまり人前には出たくないな。
「ルゥは長時間外を歩けない。店に行くのは無理だ」
答えあぐねていると、私の気持ちを察してか、カールが助け舟を出してくれた。
病弱で日に当たれないということになっているから、不自然ではない。
「そんなに遠くないぞ?」
「無理だ。どうしてもと言うのなら俺が行く」
「おまえと行って何が楽しいんだよ・・・」
「何?」
「いや、菓子に興味のないおまえと行ってもな。じゃぁ今度買ってきますよ」
「すみません・・・」
「いえいえ。あ、またいい匂いがしてきましたね」
二回目の分が焼けてきたみたい。
「たくさんできたから、ユハさんも持って行ってくださいね」
「ありがとうございます」
お菓子を食べながら親衛隊の近況などを話して、お昼前にユハさんは帰って行った。
大変だったのはその後。
ユハさんがいなくなった途端、カールにぎゅうぎゅうと抱きしめられた。
そして、他の男に笑いかけるなとか、手料理を他の男に食わせるなとか、俺以外の奴と半分こするなとか、とにかくいろいろ言われた。
挙句の果てに、
「朝一番に君に会ったのが、俺じゃないのが嫌だ」
だって。
ユハさんのことも子どもみたいって思ったけど、身近にもっと我が儘な子どもがいたみたい。
手を伸ばして、よしよし、とカールの頭を撫でる。
「もうユハが来ても家にあげなくていい」
目をそらして、カールが言う。
「そうはいかないわ。カールのお仕事関係の人だもの。いいお付き合いをしておいたほうがいいでしょう?」
「俺は休日はルゥと二人きりでいたい。菓子店だって、絶対ユハと一緒になんて行かせない」
私の胸に顔をうずめて、またぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。
んん、さっき助けてくれたと思ったのは、カールの都合だったわけ?
ああん、もう。どうしたらいいの?
ああ言えばこう言うという感じで、何を言っても聞いてくれない。
焼きもちは嬉しいけど、早く機嫌を直してもらわなきゃ。
えぇと、確かこの間エメさんが・・・。
ぽんぽんと背中を撫でて、できるだけ優しい声を心がける。
「じゃぁ、カールが連れて行ってって?」
「ん? どこへ?」
「お菓子やさん」
「行きたいのか?」
腕の力が緩んだ。
そっとカールの胸を押して顔をあげる。私を見つめる碧の瞳と目が合った。
「うん、行きたい。話を聞いたときから気になってたの。
カール、忙しそうだから悪いかと思って言えなかったんだけど、連れて行ってくれたら嬉しいな」
「そうか。途中まで猫の姿で行って、どこかで着替えようか」
「うん!」
カールの実家に行ったときとは違って、お菓子屋さんに馬車で乗り付けるのははばかられる。
かといってこの辺りを歩き回るのは、病弱で人前に出られないと言っている手前、都合が悪い。
カールの肩に乗って城下町に出てから、人の姿になるのが一番いい。
「ありがとう、カール。嬉しい」
首を伸ばして口の端にキスをすると、ようやく自然に微笑んでくれた。
「そんなに行きたかったなら、早く言ってくれればよかったのに」
にっこり笑ったカールは、仕方ないな、と言うように私の頭を撫でた。
エメさん、おねだり作戦教えてくれてありがとう!
「すぐ行くか?」
「んと、お洗濯してからでいい?」
「あぁ」
その後、家事をする私の後ろをカールはついて回った。
ついてくるだけで手伝わない。それどころか、ときどきいたずらをする。
「あんっ、お尻さわらないで」
「つい、かわいくて」
「そんなこと言ってもだめなものはだめ」
「じゃ、こっちならいい?」
「あぁんっ、もっとだめ!」
そんなこんなで、結局家を出たのは午後遅い時間になってからだった。
せっかく行くのに、お菓子が売り切れてたらどうするの? もうっ。
*****
朝から馬鹿なことを口走ったと、思い返すほどに赤面する。
いくらルゥでも呆れただろう。
それもこれもユハのせいだ!
今日で確信した。あいつはルゥに惚れている。
堅物のユハのことだからまさかと思ったが、菓子にかこつけてルゥに近付こうとしているに違いない。
まったく油断のならないことだ。明日会ったらきちんと釘を刺しておかねば。
ユハが言っていた菓子店は、俺が知らなかっただけで、城下町では有名だった。
道行く人に尋ねると、すぐに見つかった。
つばの広い帽子を目深にかぶったルゥと共に店に入る。
この帽子は、知り合いに会ったときのためと、ルゥが人目を気にしているためだ。
「いらっしゃいませ!」
菓子店の店主にしてはやけに体格のいい主人が、陽気に迎えてくれる。
ちょうど人が切れたところなのか、店内には俺たちしかいなかった。
「わぁ、きれいなお菓子がいっぱい!」
夕方にもかかわらず、店先にはたくさんの品物が並んでいた。
この時間からでも売れるということだろうか。
「あーん、あれも、これもおいしそう! ねぇ、カール、どれがいい?」
「ルゥが食べたいのでいい。どうせなら欲しいもの全部買っていったらどうだ?」
「そんなに食べきれないよ。ユハさんにおすすめを聞いておけばよかったな」
「ユハより店主に訊けばいいじゃないか。なぁ、今日のおすすめはなんだい?」
「うちは全部おすすめですよ、なんてね。
最近の売れ筋は野菜を練り込んだものですね。あまり甘くないので、男性にも好評です」
「なるほど。おい、ルゥ。野菜のだって・・・」
呼びかけようと振り向くと、ルゥはどんどん店の奥に入って行き、色とりどりの菓子に目を輝かせていた。
「あ、ん。これ、邪魔」
品物に影をつくる帽子を、わずらわしそうに持ち上げている。
「帽子、とればいいんじゃないか。誰もいないし」
「そうね」
店内を見回したルゥは、えぃと思い切った様子で帽子をとった。
「・・・・!」
店主が息を呑んだ。
口元が動いたが、なんと言ったかはわからない。
「髪の色のことなら言ってくれるなよ。彼女はとても気にしている」
そっと店主に言った。
「あ、いえいえ、あまりにきれいなお方だったので。失礼しました」
お世辞だろうが、悪い気はしない。
そうだろう。
この間ようやく仕立てさせてくれたドレスを着て、うっすら化粧をしたルゥはとても美しかった。
道の真ん中で抱き上げて、俺の妻だと自慢したいくらいだ。
「奥様ですか?」
「あぁ」
「あの、騎士様が、年上ですよね?」
「当たり前だろう。彼女の方が上に見えるのか?」
「いえいえいえいえ。お名前をお伺いしても?」
「カール=ヘルベルト=ヴュストだ」
「奥様のお名前は?」
「なぜ?」
店の主人までルゥに懸想をするのか。
おちおち買い物もできないじゃないか。
「初めてお越しいただいたんですよね、これからもご贔屓にしていただきたいので、お名前入りのお菓子をおまけしますよ」
にっこり笑った店主に他意はなさそうだった。
ずいぶん親切なものだな。
老舗でもこういう営業努力を怠らない。人気の秘密がわかった気がした。
数種類の菓子を買い求めて、家路につく。
「ほんと、おいしい! 私が作りたい味そのままだわ!」
全部の菓子を一口ずつ食べて、うーんと唸っている。
店主がくれたおまけは、ビスケットに名前を書いたものだった。
「色をつけたお砂糖で書いてあるのね。かわいい」
菓子よりも君の笑顔のほうがかわいい、などと思う。
甘い菓子に毒されたか。
「カール、お砂糖ついてるよ」
俺の頬に伸ばされた手をとった。
手首の内側に口づける。
「んん、くすぐったい」
そのまま人差し指を食んで舐める。
「甘い」
「お砂糖だからね」
「そうじゃなくて、ルゥが甘い」
「くすくす、そんなわけないよ」
「そうか? じゃぁ確かめよう」
「えっ、あんっ、もう、いつもそうやって・・・」
「嫌か?」
「・・・・・嫌なわけないじゃない」
嬉しいことを言ってくれる。
それから俺は、期待に添うべく、甘い体をおいしくいただいた。