6 変化
ルゥ視点が続きます。
カールに拾われて一週間が過ぎた。
「ただいま」
「んなー」
玄関でのお出迎えも習慣となりつつあった。
日中はぽかぽかの窓辺でまどろみ、夜はカールと一緒にお風呂に入ってご飯を食べる。
一緒のお風呂って、もっと恥らった方がいいのかもしれないけど、はじめにおじさんだと思ってしまったせいか、カールが私を猫と信じきっているせいか、あんまり意識したことはない。
「すぐ夕飯にするからな。今日は山羊チーズをもらったが・・・猫にはやらないほうがいいのかな」
山羊チーズ!
大好き!!
パンに塗ってオーブンで焼くととろりとやわらかくなっておいしい。
「んなっんなっ」
「おいおい、興奮するなよ。欲しいのか? うーん、でも塩分がなぁ。
ちょっとならいいか」
「んにゃ~♪」
カールの足に頬をすりよせる。
片手で抱き上げられて、肩の定位置に納まると、カールの頬にちゅっとキスをした。
人間だったら絶対にできないけど、子猫ならば許されるでしょ?
山羊チーズのためならば、いくらでも愛想をふりまくのだ。
とたんにでれっと相好を崩したカールが、鼻歌を歌いながら夕食の支度を始める。
毎日作らせちゃってごめんね。
人の姿なら私が作ってあげるのだけど。
ここのところカールは、毎日お土産を持ってきてくれる。
髪を切ってから、村人や隊の人たちと話をするようになってきたらしい。
私といるときのカールはすごくおしゃべりで、他の人とうまくいってないなんて不思議。
表情も、はじめ怖いと思ったのが嘘のように、やわらかく笑うようになった。
「おまえのおかげだ、ルゥ」
カールはよくそう言う。
私こそカールに拾ってもらえたから、今こうして生きているのだ。
感謝してもしきれない。
カールのために立派な猫になろう!
そう決心して、私は寝台にもぐりこんだ。
夜中。
なんだか体がむずむずして目が覚めた。
温かな寝床を出て床に飛び降り、うーん、と伸びをしてみる。
窓の外を見ると、すっかり細くなった月が中天にかかっている。
「・・・・っ」
月を瞳に映した瞬間。
自分の体が宙に溶け出すような、奇妙な感覚にとらわれた。
闇と己の境目がなくなる。
自分が何であったのか、わからなくなる。
カール・・・・・・!
寝台に眠る彼に手を伸ばす。
自分の手が視界に入って驚いた。
なんてこと!
そこにあったのは真っ白な毛におおわれた小さな脚ではなく、つるりとした人間の手だった。
慌てて台所に向かう。
それですら、素足がひたひたと猫にはありえない音を立てた。
もうわかっていたけれど、一縷の望みをかけて水瓶をのぞきこむ。
あぁ、やっぱり。
そこに映るのは、真っ白な髪に赤い瞳の少女。
親に捨てられ、誰にももらい手がつかなかった、気味の悪い子ども。
『成功するかしないかはあなた次第』
『この魔法はルチノーちゃんがもう猫を辞めたいと思った時か生活が安定したときには解けるようにしておきます』
エメさんの言葉がよみがえる。
私は猫を辞めたいと思ったのだろうか・・・人間ならばカールにごはんを作ってあげられると思った。
生活は安定したのだろうか・・・カールのおかげでこの一週間は何の不安もない日々だった。
・・・・だから人に戻ってしまったのか。
猫だからカールは拾ってくれたのに。
猫だからカールの側にいられたのに。
こんな私を見たらカールはなんて言うだろう。
きっと気味悪がって追い出すに違いない。
騙されたといって罵倒するかもしれない。
私は猫でなければならない。
猫じゃなくなったらここにはいられない!!!
「・・・ルゥ?」
寝室からカールの呼ぶ声がした。
私がいないことに気付いたのだろう。
ギシッと寝台を降りる音がする。
どうしよう。
狭い台所である。人になってしまった私には隠れる場所がない。
「ルゥ」
近付いてくる足音。
嫌!だめ、来ないで!
がちゃり。
扉が開いた。
「なんだ、台所にいたのか。
喉でも乾いたのか?」
水瓶の前。
体を丸めていた私は、いつのまにか猫に戻っていた。
「ルゥ?どうした?」
固まって動かない私を気遣って抱き上げるカール。
一体今のはなんだったのだろう。
大きな手のひらは、私をすっぽりと包んでくれた。
ゴロゴロゴロ。
現金なもので、それだけで私の喉はご機嫌に鳴ってしまう。
「ははっなんだよ。急にいなくなるから心配したぞ。
まだ夜明けまでには時間がある。もう一眠りしよう」
寝室に向かうカールの肩に乗って、私は決心した。
もう人には戻らない。
私は猫でなければならない。
猫でなければここにはいられないのだから。
私はルゥ。
白猫のルゥ。
人であったことなど忘れてしまえ。