14 二日酔い
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「うぅ・・・」
頭が痛い。気持ちが悪い。完全に二日酔いだ。
「おはよう、カール」
ルゥが、檸檬をしぼった冷たい水を持ってきてくれた。
一気に飲み干して、二杯目を頼む。
すっきりした喉越しが、頭の靄を晴らしていく。
「俺、昨日どうやって帰ってきた?」
「ユハさんが送ってきてくれたのよ。午前中は休みって言っておくから、午後からゆっくり来いだって」
「そうか。あー、飲んだ。もう当分酒はいらないな」
「くすくす・・・。あのね、午後からって聞いて思いついたんだけど、出勤するとき、猫の私とこれをお城に運んでくれない?
昨日作ったのはいいんだけど、運べないことに気付いたの」
ルゥが手に持っていたのは、パイの皿。
丸まる一個、乗っている。他にもまだ家用にカットしたものがあるという。
今日は勉強会の日だったか。エメに差し入れするんだろう。
「わかった。じゃ、それまでもう一眠りするから、お昼に起こしてくれ」
「ん。水差し、置いておくね」
「ありがとう」
ぱたん、と寝室の扉が閉まる。
ユハが送ってくれたのか。ルゥに会ったかな。
マルリじゃなくてよかった。職場で何を言いふらされるか、わかったもんじゃない。
ぱたぱたと、階下でルゥが歩く音がする。
時折、かたんと何かを動かすような音。掃除でもしているのか。
頭痛はおさまったが、胃のあたりがむかむかする。
最後に飲んだ、おかみお手製の果実酒が悪かったな。
やたらめったら度数が高くて、そのくせ変に甘ったるかった。
出勤は午後からか。助かる。
ルゥの付き添いもあるから、少し早めに家を出よう。
勉強の様子も少し見られるといいが、見せてくれるだろうか。
ふあぁ、と欠伸が出る。
水音が聞こえてきた。今度は洗濯かな。
ルゥがくるくると働いている様子が目に浮かび、知らず口の端があがる。
窓の格子からは日の光が差し込み、水差しに反射してきらめいている。
ゆったりとした気分で、寝具に体をもぐりこませた。
目を閉じると、軽く体が揺れている感覚がある。まだ酒が残っているのか。
昼までに抜かないとな。
ルゥの気配を感じながら、俺は眠りについた。
「んな」
ちょっと待ってて、というように首を振って、ルゥは執務室の扉の下にある猫窓から中に入って行った。
こ、こんなものが取付けられていたのか。
中で物音がして、すぐにルゥを抱いた国王が出てきた。
妙に抱き慣れているじゃないか。
「くくっ、そう怖い顔をするな。菓子があるんだって? エメの部屋で相伴にあずかろう」
ゆったりと歩く王の後ろをついていく。
広い肩越しに、ルゥが俺を覗いてきた。
いい。俺を見なくていいから、それ以上王にくっつくな!
すぐにでも奪い返したい衝動を、ぐっとこらえる。
エメの部屋までだ。エメの部屋までの我慢・・・。
とても長く感じた道のりは、実際には大した距離ではなかっただろう。
エメの部屋の扉にも、猫窓がついていた。
これなら、王と一緒に来る必要はなかったんじゃないか?
「ルチノーちゃんったら、またリックと来たの? もう連れてこないでって言ったじゃない」
「今日は差し入れがあるというからな、一緒に食べにきたんだ」
「仕方ないわね・・・あら、カール。久しぶり」
「・・・どうも」
また、だと?
エメは嫌がっているのに、ルゥが王を誘っているのか。
やけに頻繁に国王の話題が出るとは思っていたが、ルゥ、まさか・・・。
胸を焼く想いは、衝立の奥から現れたルゥを見て、一瞬で霧散した。
「まぁ! 今日もとってもかわいいわ!」
「緑も似合うな」
並んでうなずき合うエメと王は、娘の晴れ姿に目を細める親のようだ。
そんな二人ににっこりと微笑みつつ、ルゥはまっすぐ俺の前に歩いてきた。
「あの、カール、どうかな」
胸元が大きく開いた意匠。
白い肩も、半分ほど出ている。
やわらかそうな深い緑の布地には、たくさんの襞がついていて、ルゥの体の線に沿って流れ落ちている。
幅広の金のベルトが、腰の細さを強調していた。
「カール? あの・・・変、かな」
呆然と見つめていると、ルゥが不安そうに問い直してきた。
「あ、いや、驚いたんだ。とても似合うしすごくきれいだ」
どう表現したものか、うまい言葉は見つからなかったが、とにかく美しかった。
家では「高いものはいらないから」と、ごく一般的な服を着ているルゥだったが、着飾るとこんなにも変わるのか。
「そうよねぇ。もう毎回これが楽しみで!」
「髪もなんとかしたいな。侍女に頼めるといいが、そうもいかんしな」
「・・・編むくらいならできます。妹にやらされていたので」
「本当?」
ルゥが意外そうな顔で俺を見てくる。
そういえば、猫のときにブラッシングはしてやっても、人の姿で髪をいじったことはなかった。
今日から風呂上りに梳いてやろう。
エメに櫛と紐を借りる。
あまり時間もないので、左右の髪を編み込んで後ろで一つに結んだ。
残った髪は、自然に降ろす。
細い首や滑らかな肩に触れないようにするのが大変だった。
二人きりであったなら、すぐにでもむしゃぶりつきたかった。
「うまいもんだな」
「ほんとね。相当やらされてたのね」
「カール、ありがとう」
振り返って微笑むルゥ。
抱きしめたくなるのを、拳を握ることで堪えた。
「う~ん、おいしい! お料理もそうだけど、お菓子作りも上手なのね!」
四人でテーブルを囲み、ルゥの作った林檎のパイを食べる。
お茶はどうするのかと思ったら、魔術で湯を沸かし、ルゥが淹れた。
そんなこともできるのか。
「はじめはいきなり沸騰しちゃったり、逆にぬるかったり、一気に蒸発しちゃったりしたの」
「液体は制御が難しいのよね」
「今日は一回でできたな。たいしたもんだ」
「そうだわ。せっかくお料理が得意なんだから、魔術だけで何か一から作ってみましょう。
ちまちま術だけ練習するより、必要なことから覚えるほうが効率がいいのよ」
「なるほどな。私は肉料理が食べたい」
「あなたの好みは聞いてないわ。でも焼くだけってとこから始めたらいいかもね」
お茶を飲みながら、かわされる会話をただ聞いている。
エメはともかく、王よ、なぜそんなになじんでいるのだ。
普通国王というのは、もっと忙しい身なのでは?
このなじみ具合といい、ルゥの受け入れ具合といい、たぶん毎回参加している。
家で話には聞いていたとはいえ、今日初めて顔を出した俺は、疎外感を覚えて居心地が悪い。
忘れていた苛立ちが、胸を襲う。
「では、俺は仕事に戻ります」
耐えきれなくなって、席を立った。
「はーい。ルチノーちゃんはお預かりするわね」
「近いうちに式典があるから、よく訓練しておけと隊長に伝えてくれ。
あいつのことだ、忘れているかもしれん」
「御意」
「カール、送ってくれてありがとう」
立ち上がって見送るルゥに目でうなずいて、エメの部屋をあとにした。
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ぱたん、と扉が閉まる。
カール、何か怒ってた・・・?
「若いっていいわぁ」
「冷静沈着、戦場にあってはどんな敵にもひるまない両手剣使いのカールが、ルゥには振り回されているようだな」
エメさんと王様は、全部わかったような顔をしてうなずき合っている。
やっぱり何かあったのか。
この服のせい? 胸元が開きすぎてたのかな。でも似合うって言ってくれたし。
髪を結ってくれたときも、にこにこしてた。
カールにあんな特技があるとは知らなかった。
パイが口に合わなかったのかな。甘さは控えめにしたつもりだったんだけど。
疑問を口にした私に、二人は苦笑して違う、と首を振った。
「焼きもちよ、焼きもち」
「自分の知らない面を見せられるとな、男ってのは案外衝撃を受けるもんだ。
すべて知っていたつもりの相手ならなおさらだな」
「2~3日、お夕飯にカールの好物でも作ってあげれば、すぐに機嫌が直るわよ」
「いや、それよりも夜、奉仕してやったほうが即効性があるぞ」
「あなた、なんてこと言って・・・」
「即効性があるほうがいいです。王様、どうすればいいんですか?」
「ルチノーちゃん!」
「だって、カールが怒ったことなんていままでなくて・・・」
「怒ってるんじゃないわよ。焼きもちだって。あぁ、もう、泣かないの!」
「よし、私が手取り足取り教えてやろう」
「リック!」
「なんならエメと一緒に実演してやってもいいぞ。さぁ、エメ。遠慮なく咥えてみろ」
「ああああああなた、何教えようとしてるのよーーーー!」




