4 カールという人
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「隊長、今日はなんかご機嫌っすね」
辺境の警備隊。
王都でそれなりの地位にいた俺は、左遷され警備隊の隊長などという役職を与えられていた。
田舎の村のすぐそばに隣国との国境があり、この警備隊は一応その国境を見張る役目を負っている。
しかし300年以上良好な関係を続けている両国に何かあるわけはなく、警備隊の主な仕事は雨で崩れた土塀を直したり、野生動物に壊された柵を修理したりすることだった。
今俺に話しかけてきているのは、前隊長で今は俺の補佐官となっているギュンターだ。
くすんだ金髪に灰色の瞳。
多少軽薄そうではあるが、隊で唯一俺に気軽に話しかけてくる奴だ。
3か月前、俺が赴任したせいで隊長から補佐官となったにもかかわらず、恨む様子はない。
「隊長は顔が怖いんすよ。暗いしね。
隊長職?別にいりません。俺、所詮、牛飼いの小倅っすから」
警備隊のほとんどはこの土地で徴兵されたもので、家の仕事を手伝いつつ警備の仕事もしている者ばかりだった。
専門の武官は俺一人といってもいい。
つまり俺の仕事は、辺境の警備といいつつも村の便利屋と隊の連中の訓練というわけだ。
「ほんと、何かありました?」
柵の修理に使う板を運びながら、ギュンターが尋ねてくる。
この男、俺がいくら無愛想にしてもひるむ様子がない。
図太いのか無神経なのか。
・・・たぶん後者だろう。
「猫を拾ってな」
あまりにしつこいのでしぶしぶ答えた。
「猫ぉ?」
「昨日の帰り、雨の中鳴いていたから保護した」
なんとなく言い訳じみてしまう。
「へぇ、そりゃお優しいことで。ま、猫一匹で隊長の機嫌がよくなるなら大助かりですよ。
隊の連中も最近は慣れてきたとはいえ、まだまだ隊長のこと怖がってますからね」
「・・・・」
「髪、切りゃいいんじゃないすか」
「・・・・ふん」
今の自分の顔がお世辞にも人にいい印象を与えないのはわかっている。
王都にいたころは身ぎれいにし、もう少し愛想もよかったのだが、ここにきて何もかも面倒になってしまった。
目にかかるうっとおしい前髪も、外界と自分を分けてくれるようで安心する。
早く帰ってルゥを撫でたい。
その一心で、俺はこれ以上話しかけるなという気を放ち、兵どもとともに柵の修理に励んだ。
「ルゥ。ルゥ?」
夕方。
仕事を終え、勢い込んで玄関を開けたが子猫の姿はなかった。
どこへいったのか。
すべて施錠して出たはずだから、逃げ出すとは思えない。
「ルゥ!」
さして広くもない家の中をどかどかと捜し歩くと、「んなー」とどこからか声が聞こえた。
「ルゥ!」
ルゥは戸棚の上に置いた長靴の中から顔を出した。
「なんでそんなところにいるんだ。
あぁ入ったはいいが出られなかったんだな。仕方のないやつだ」
抱き上げるとほこりまみれだった。
今日は一日部屋の中を探検して歩いていたらしい。
書類を机の上に放り出し、一緒に風呂に入ることにした。
自分もルゥもきれいに洗ってから湯船につかる。
「おい、こら爪を立てるな。あいたたたた!」
夕飯をやると、はぐはぐと一生懸命食べ、今日は寝台に滑り込んできた。
同じ石鹸の香りがする体はやわらかく、温かかった。
*****
カール、と言うらしい。
書類の後ろ書きがこの人のものならば、だけど。
「なぁぅ?」
カール?と呼びかけてみる。
「ん?なんだ?」
仕事を持ち帰ってきたらしく、机に向かっていた彼が目を細めて私を見る。
怖い。けど我慢。
「なーぅ??」
カール??
「遊びたいのか?もうすぐ終わるから待ってろ」
喉を撫でられてゴロゴロと鳴ってしまう。
そうじゃないんだけどなー。
思いが伝わらないもどかしさに、彼の前で転がってみた。
正確には、彼の前にある書類の上で。
「こら、邪魔するなよ。明日締め切りの月例報告書なんだ。今夜中に仕上げないとな」
そう言いつつも、彼は私のまんまるのお腹や喉元を優しく撫でてくれた。
昨日今日とお風呂に入れてくれたおかげで、私の毛は真っ白でつやつやだ。
気持ち悪かった目元もすっかりきれいになった。
ひっくり返って彼を見上げると、髭だか髪だかわからない毛が魅惑的に揺れていた。
猫の本能でつい手を伸ばす。
姿に影響されるのか、どうしても我慢できないのだ。
「あ、おい、だめだぞ。あっ、痛てて!こら!」
あれ?うわ、どうしよう。
やっ、ごめん、きゃー!
ちょっとしたいたずら心だったのに、私の細い爪が毛にからまって、とれなくなってしまった。
もがけばもがくほどにからまり、体は宙に浮いてまるで彼の髭の飾りのようになってしまった。
「ルゥ・・・・。切るしかないな」
えっ、爪切るの?
痛くしないでね?
昔孤児院で拾った猫の爪を切ってやろうとして、切りすぎて血を出させてしまったことを思いだす。
彼は猫の扱いに慣れてるみたいだから、大丈夫だと思うけど。
内心冷や汗をかきつつ成り行きを見守っていたら、彼が机の引き出しから取り出したのは大きなハサミ。
そそそそんなので切られたら腕ごと切れちゃいます!!
もうだめ、と思って目をつぶる。
じょきん!
・・・あれ?
痛くない。
痛みはないけれど、体は自由になった。
そぉっと目を開けると、目の前にはやはり腕にからまる大量の毛。
でも私、机の上に着地してるよ?
一体どうしたことだろうと彼を見て納得。
彼が切ったのは私の爪でも腕でもなく、自分の髭(髪?)だった。
「大丈夫か?ほら、今とってやるから大人しくしていろよ。
もうこんないたずらするんじゃないぞ」
右半分の髭が短くなった彼は、そんなことは全く気にしていない様子で私にからまる自分の毛をとりのぞいていた。
その毛、何かの願掛けとかで伸ばしていたものだったらどうしよう。
たぶんただの無精だとは思うんだけど。
とりあえず反省の姿勢を見せようと、耳を垂れて「んなー・・・」と鳴いてみた。
彼はにこっと笑って私の頭をぽんぽんと撫でてくれた。
あ、今の顔、結構自然だった。
その夜はこれ以上彼の髪にからまらないように気を付けて寝た。
下弦の月が、窓の外できらめいていた。