*** 閑話 ルゥの冒険 ***
あれ、窓が開いている。
出勤するカールを見送ったあと、いつものように窓辺で日向ぼっこをしようとしたら、窓が開いていた。
カールが閉め忘れたらしい。
人型になって閉めるのは簡単だけど、せっかくだからお散歩に行ってみようと思った。
この間まではカラスや犬に襲われたら大変だと思って出かけなかったけど、自由に変化できる今なら、ちょっとくらいの冒険はできそうだ。
出窓から飛び降り、庭を抜ける。
家の前の小道にでると、蛙が飛び跳ねて道を横断していた。
むずむずむず。
猫の本能がうずく。
「にゃ♪」
前脚でつついてみた。
蛙はぎょっとしたようにこちらを見て、ぴょこんぴょこんと速度を増して逃げはじめた。
「にゃっにゃっにゃっ」
追いかけてからかう。
蛙も一生懸命逃げているけど、猫にかなうはずはない。
ガサッ
余裕でかまっていたら、草むらに逃げ込まれた。
あれ、どこ行ったの?
人間ならたいしたことのない背丈の草も、今の私には見上げるほどの大きさ。
小さな蛙を探すのは大変そうだ。
ガサッガサガサッ
耳を澄ませていると、右の方から音がした。
そこか!
「ふにっ」
後ろ脚で跳びあがり、頭から草むらにつっこんだ。
指先にぐにゃりとした感触。
捕まえた!
「シャーーーーー!」
「ふぎゃーーーーーっ」
蛙だと思ったのは蛇だった。
蛇、いやあぁぁぁぁ!
脱兎のごとく逃げ出す(猫だけど)。
はぁっはぁっ
ようやく落ち着いた時には、まったく知らない場所にいた。
まずい。
完全に迷った。
私の行動範囲ってば、カールの家の前と一回通ったきりの兵舎への道だけ。
カラスにつつかれる心配より、迷子の心配をすべきだった。
こればっかりは、人型になってもどうにもならない。
それどころか、裸の女の子が「カールの家はどこですか」なんて聞いたら、どんな騒ぎになることか。
なんとか自力で帰らないと。
見覚えのある景色を探してとぼとぼと歩く。
『おい』
ん?
『おまえだよ、おまえ! そこの白いの!』
声のした方をきょろきょろと探す。
どうやら声の主は木の上にいるようだ。
ガサっと音がしたかと思うと、くるりと一回転して、黒い影が降りてきた。
『見ない顔だな。おまえ、どこの飼い猫だ』
お月様みたいな金色の瞳をした黒猫が、話しかけてきた。
「ってゆーことで、カールの家、知らない?」
これ幸いと、道を訊くことにした。
『なんかいまいちわかんねぇな。なんで人間の言葉しゃべってんの? 猫語でしゃべれよ』
「私はこれしかしゃべれないの。あなたも飼い猫なら少しは理解できるんでしょう?」
『飼い猫? 飼い猫っつったか? 飼われてんじゃねぇよ。スヴァルは俺の恋人だ』
「はぁー? あなた、あの気に入らない女の人のとこの猫なのぉ?
恋人って何よ。向こうは人間であなたは猫じゃない」
『なんだよ、細かいとこまではわかんねぇけど、今馬鹿にしただろ』
「わかんないならいいよ。とにかく、カールの家知らない?」
『カール? カールなんて知らねぇな』
「あーっ、もう!」
イライラするっ
こんなのに頭下げて、道を訊かなくちゃならないなんて!
でも訊かなきゃ帰れない。
あの人はカールを何て呼んでた?
「隊長さん・・・そうだ、隊長さんだ。
カールは警備隊の隊長さんよ。隊長さんのおうち、知らない?」
『んだとぉ? おまえ、あのアホ隊長んとこの猫か!』
「アホ隊長ですってぇぇぇ!?」
黒猫風情が、私のカールをアホ呼ばわりッ
許せない!!
「あんたんとこの飼い主のほうが、針金みたいな年増じゃないの!」
『なあぁんだとぉぉ! 今スヴァルの悪口言ったな!? 言っただろう!』
「ふん! 言葉はわかんなくても悪口はわかるのね。 カールはアホじゃないわ。訂正しなさい!」
『この間俺んちに来たときに、一日中ぼーっとして庭ながめてたぞ。
あんなんで隊長なんてよくできるよな! ふぬけだから田舎にとばされたんだろ』
「ちょっと、あんたその話、詳しく教えなさい。あんたんちで一日中なんですって?
なんでカールがあんたんちに行くのよ」
『スヴァルは飼い主じゃないぞ。恋人だ』
「だーっ、もう、あんたがあの年増をどう思ってようがいいから!
カールは何しにいったの? あんたんちで何したの?」
『スヴァルは誰にもやんないからな。ったくあのアホ隊長が来てから、なんだか浮かれてるんだ。
子どもと遊んでるのはいつものことだけど、兵舎にでかけることも増えてさ・・・』
「だからアホ隊長っていうんじゃないわよ!」
『おまえこそスヴァルを年増っていうな!』
「言葉わかってんじゃないの! あんたわざと道教えないんじゃないでしょうねえぇ?」
『はあぁ? 猫語でしゃべってくんねぇとわかんねぇなぁ』
「キーーー!」
「ルゥ? その傷はどうした」
あのあと、黒猫と大乱闘をして見事勝利。
道案内をさせて、なんとかカールより先に帰って来られた。
これは名誉の負傷だよ。ほめて、ほめて!
「背中に草の種もくっつけてるし。
ははっ 昼間何してたんだ? 楽しそうだな」
「んなぅ、なぅ!」
カールのために戦ったんだよ!
あいつったら、アホだのふぬけだの悪口ばっかり言うんだから!
「んん? そうか。楽しかったか。風呂から出たら、薬塗ってやるからな」
ちょっとずれてるけど、頭をぽんと撫でてくれた。
うふん、カールの大きな手、好き。
結局スヴァルさんの家に何しにいったのかはわからなかったけど、別にたいした用事じゃなかったんだろう。たぶん。
「ふにっ、んにゃ・・」
「しみるだろう。あーぁ、せっかくのきれいな毛並みが・・・」
カールはできるだけ優しく洗ってくれたけど、石鹸が傷にしみた。
あの黒猫め。もっとひっかいてやればよかった。
孤児院育ちを舐めるなよ。
小さい頃はいじめられたこともあったけど、それなりに揉まれて育った私である。
「おまえがしゃべれたらいいのにな」
え?
「今日一日何があったのか、聞いてみたいな」
そうだね。私もカールに聞いてほしいな。
でも猫がしゃべったら変でしょう?
「しゃべる気になったら、いつでもしゃべってくれよ。俺は驚かないからな。というより喜ぶぞ」
「うなー・・・」
そうなの?
喜んでくれるの?
湯船からあがり、ふかふかのタオルでカールが体を拭いてくれる。
ぷるぷるっと体を振りたいけど、カールにかかるから我慢。
「いっそ人型になってくれても・・・」
「んな?」
え?何?
耳のとこ拭いてるときだったから、よく聞こえなかったよ。
「いや。あんまり怪我するなよ。まぁ今日は俺が窓を閉め忘れたからな。家の中にいる分には平気だろう」
毛が乾いたところで、カールが薬を塗ってくれた。
うわ、そんなところまで怪我してたんだ。
うん、もうちょっと自粛するよ。
私も大人気なかったな。
あの黒猫だって、飼い主のことが大好きなだけなんだから・・・・。
「ん? 寝たのか?」
カールの膝の上。
背中を撫でてくれる手が心地よくて、眠くなってきた。
寝たくない。
もっとカールの声を聞いていたいし、もっと撫でててほしい。
「疲れたんだな。おやすみ、ルゥ」
抱き上げて、キスしてくれる。
寝台に入ると、あっという間に眠ってしまった。
『なんであんたが夢に出てくるの!』
『うるせぇ、白猫めっ。今度は負けないぞ!』
夢の中でも戦って、起きたらカールが傷だらけだった。
「おはよう、ルゥ。君が強いのはわかったから、ほどほどにな?」
「なーぅ・・・」
ご、ごめんねっ