7 院長先生
院長先生の部屋は、上等な個室だった。
親戚の人は、院長先生をとても大事にしてくれているらしい。
「ルチノー・・・。きれいになったねぇ」
久しぶりに会った院長先生は、涙を流して喜んでくれた。
エメさんに着飾ってもらってよかった。
すっかり痩せて細くなった腕が、病状を知らせる。
この間まで全身に痛みがあってつらかったけれど、いまは大分おさまったらしい。
夕食の介添えをして、これまでのことを話しているうちに、面会の終了時刻が迫ってきた。
「ルチノーや、これを・・・」
そろそろ帰ろうかというとき、院長先生が寝台の下からとりだしたのは、古びた羊皮紙。
質が悪くところどころ穴が開いていた。
「お義母さん・・・?」
「おまえが幼い頃繰り返し書いていた絵だよ。
一時期を境にぱったりと書かなくなってしまったけれど。おまえの両親を探す手掛かりになるかもしれない」
そこに描かれていたのは、冠をかぶったお母さんとマントをしたお父さん。
後ろからエメさんも覗き込む。
「ルチノーちゃん、これは何?」
エメさんが指さしたのは、お母さんがかぶっている冠にある飾り。
「“ナミダイシ”。何かのお話にでてきたのかな??」
突然頭に浮かんだ単語。
この絵に色はついていないけど、たぶん深い青だ。
「・・・あなたのご両親、私知ってるかもしれないわ」
エメさんの突然の発言に、私も院長先生も驚いて声もでなかった。
*****
ルゥが魔術の実験だかに協力するために旅立って、3日がすぎた。
「隊長、仮眠室行って1時間ほど寝てきてください。
今日は村の子どもたちの護身術講座があるんですよ。
そんな面じゃ、とてもじゃないけど人前に出せないっす」
ギュンターの勧めに素直に従って、兵舎の仮眠室で休んだ。
人の気配があるほうが眠れるのは不思議だった。
そろそろ時間だろうと起き出すと、扉に紙がはさんであった。
“髭を剃ってからくること!”
鏡を見れば、なるほど、酷い人相だった。
「右手がこうだろ。左手がこうで・・・」
「あははっ くすぐったい!」
「くすぐったくちゃだめなんだよ! 腕をつかまれたらこうやって・・・」
「やだ、サジ兄ちゃんの下手くそ! すぐ逃げられるもんね!」
「あっ、言ったな! 待て!!」
スヴァルの家の庭で、数名の隊員と子どもたちが訓練をしている。
訓練というか、遊ばれているようだが。
のどかな辺境は、裏返せば国の目の届きにくい場所だ。
軍の守りなど期待できず、我々のような警備隊を頼ったり自警団を作ったりすることになる。
それでも、最後は自分の身は自分で守るのだ。
年に数回、このような訓練をしているらしい。
「隊長さん、よかったら中でお茶でもいかがですか」
場所を提供してくれたスヴァルが、ぼんやりと座り込んでいた俺に声をかけた。
おにごっこと化した訓練を見ていても仕方ないので、その言葉に甘えることにする。
「ルゥちゃん、家出しちゃったんですか?」
「いえ、知人に預けただけです」
隊員が何か言ったのか、スヴァルが気遣わしげに尋ねてきた。
「あ、そうなんですね。どれくらいの間?」
「一週間くらいでしょうか。先方の都合なのでわかりませんが・・・」
「そう・・・」
しばし無言でお茶をすすっていると、足に何か触れた。
「んにゃん」
猫だ。
「す、すみません。隣の部屋にみんな閉じ込めておいたはずなのに。
こら、だめよ。みなさんお仕事中なんだから」
「いやいや、いいんです。ほら、もう遊んでるようなもんだ」
庭を見やれば、子どもたちにぶら下がられたり肩車をせがまれたりしている隊員たちがいた。
きゃっきゃとはしゃぐ声が聞こえる。
「そうですか」
「ええ。猫、たくさんいるんでしょう? せっかくだから会いたいな」
ルゥのいない寂しさがまぎれるかもしれない。
「会ってくれます!? ぜひ!」
ぱっと笑顔になったスヴァルが、隣の部屋の扉を開けた。
「!」
「んにゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
隣の部屋から飛び出してきたものがもたらしたのは、地響き。そして風圧。
それらがおさまって、驚いた。
見渡す限りの猫、猫、猫!
俺はスヴァルの猫好きをナメていた。
茶トラ、白黒、三毛に黒。
何十匹という猫が、部屋の中を埋め尽くした。
「はじめは道で拾った3匹だけだったんですけど、いつの間にか増えちゃって・・・」
膝の上だけでなく、腕や肩、頭の上にも猫を乗せたスヴァルは、とても幸せそうに笑っていた。
実家の猫好きの母も、これにはかなうまい。
そのうち、一匹の猫が俺に寄ってきた。
人懐っこい猫で、撫でてやるとゴロゴロと喉を鳴らしてもっととせがんできた。
一匹かまうと次々とよじ登ってきて、結局俺も猫だらけになってしまった。
ボールや猫じゃらしで遊んでやる。
「隊長~! 俺らに仕事させて何遊んでんすか!」
「子どもって容赦ねぇ! 見てくださいよ、この青アザ!」
「残留組になればよかったっす。疲れた・・・」
「まぁ、みなさん、ご苦労様でした。
お茶用意してありますから、どうぞ」
「「「ありがたくいただきます!」」」
隊員があがりこむと、猫たちは思い思いの場所に落ち着いたり、庭に遊びに出たりした。
「わ、猫ちゃん!」
「遊ぼ~!」
子どもたちが嬉しそうに手を伸ばす。
「隊長さん、お茶のおかわりいかがですか」
「あ、いただきます」
スヴァルがお茶を淹れてくれる。
外では子どもと猫が遊んでいる。
冬とはいえ、昼間はぽかぽかと温かい。
いいなぁ、こういうの。
俺ももう31。
家庭を持ってもいい年だ。
嫁さんとか子どもとか、どうなんだろうなぁ。
なんだかゆったりした気持ちになって、お茶を口に含んだ。
花の香りが、口から鼻に抜ける。
そういえば、村の特産だったか。
さっきも同じお茶をもらったはずなのに、全く味や匂いを感じなかった。
「ようやく以前の隊長さんらしいお顔になりましたね」
スヴァルに言われて、つるりと頬を撫でてみた。
「そうですか?」
「そうですよ。隊長ってば、この間からむっちゃ怖い顔してるんすから」
「ここに来たとき以来っすよねぇ。近寄りがたくってぇ」
「だてに顔がいいだけに、鬼気迫るものがあるっていうかなんていうか」
「おまえらな・・・」
「みなさん心配してるんですよ。
ルゥちゃんだって、帰ってきて隊長さんがそんなにやつれてたら心配します。
ちゃんと食べて、ちゃんと寝てくださいね」
隊員やスヴァルの忠告をきいて、その後3日間は規則正しい生活を心がけた。
もちろん、帰ってきたルゥに心配をかけないためだった。