13 お茶
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次の日、出勤したら測量が終わっていた。
普通の魔術師なら3日3晩かかるところを、ウーリーは昨夜わずか1時間でやり遂げたらしい。
「満月だからね。僕の場合、新月だってその辺の魔術師じゃ足元にも及ばないけど」
偉そうにふんぞり返っていた。
測量隊が次の土地へ出発すると、いつもの日常が戻ってきた。
訓練と村の雑用の日々。
家に帰ってルゥと過ごすのが一番の楽しみだ。
「ん?」
洗濯をして、そのまま山積みにしていた服。
たたんで長持に入れようと思っていた・・・気がするけれど、片づけたんだったか。
「なーぅ」
後ろ脚で立ち上がったルゥが、俺の足にじゃれつく。
抱き上げると、口の端を舐められた。
「明後日の休みに兵舎に行くか」
「んな!」
「ははっ。うれしそうだな。うちに来て以来の遠出だものな」
肩に乗せると、頭によじのぼってきた。
重くはないが、ただでさえぶつかりそうな鴨居にルゥをこすりそうになる。
寝台に腰かけ、開いたのは基本教練の本。
ページをめくるたび、ルゥが前脚でちょっかいを出してくる。
「邪魔するなって。
隊員どもに教えるのに見返したら、結構忘れてることがあったんだ。
普通の隊と近衛では違うところもあるしな」
前脚をどけようとした手にさらにじゃれつかれた。
後ろ脚は俺の頭に置いたまま、体を伸ばして前脚で手にしがみつく。
「あぁ、また、噛むなよ、こら。
歯がかゆいのか? もしかしてまだ乳歯?」
たしか生後5か月から8か月くらいで生え変わるはずだ。
頭の上から降ろし、ルゥの口を指で開けて歯の様子を見る。
「あー、乳歯かもなぁ。通りで痛いわけだ」
針のように尖った歯を触っていると、ぽろりと1本とれた。
お、貴重。とっておくか。
そんなこんなでルゥをかまっていたら、あっという間に夜が更けてしまった。
朝。
出がけに思い出して、ルゥの口の中を確認。
歯茎の腫れや出血がないか見る。
「ん、大丈夫だな」
よし、と仕上げに口づけてやった。
あれ、ルゥが固まっている。
そういえば、俺からキスをしてやったことはなかったか。
ルゥに舐められることはよくあるが。
「行ってくる」
「う、うなー・・・」
尻尾が逆立ってるのはなんでだ?
いつもルゥに振り回されてばかりだから、たまには動揺させるのもおもしろい。
毎朝の習慣にしよう。
「隊長、顔がにやけてますけど、どうしたんすか」
「・・・・・なんでもない」
兵舎の隊長用の部屋。
香草茶を運んできたギュンターに見られてしまった。
いかん。勤務中はルゥのことは忘れよう。
真面目な顔を心がけ、昨夜読み途中になってしまった教本を開く。
「隊員たちは、これは持っているのか?」
「あぁ、兵舎の談話室に1冊くらいあったかと思いますが、全員のはないっすねぇ。
字が読める奴ばかりじゃないし」
「なるほど。基礎がわかってないわけだ。
写本を作るのはどうだろう。字の練習にもなるだろう?」
「一人一冊はきついっす。これから収穫の繁忙期ですし。
各章ごとに写させて、とりあえず5冊くらい隊の備品にしますか」
「それでいい」
配分はギュンターにまかせた。
ウーリーの言葉をすべて信じるわけではないが、任期満了までいないかもしれないことを考えると、できるだけのものは残してやりたい。
「ん、これうまいな」
何気なく口に運んだ香草茶は、優しい花の香りがした。
「村人の差し入れっすよ。牛の捕物のお礼。村のひそかな名産だったりします」
「へぇ、そうだったのか」
窓の外を見ると、木板と金槌を持った村人が隊員と話していた。
また何か頼まれたのか。
視界いっぱいに緑が広がり、遠くには青い山々が見える。
赴任当初は苛立ちを覚えたこの風景も、いつしか心落ち着くものになった。
明日はルゥをつれてきて、兵舎の中を案内してやろう。
勝手に歩き回らせるわけにはいかないから、どうしようか。
首輪は嫌がってたしなぁ。
ルゥは小さいから、俺の胸ポケットに入ってしまうかもしれないな。
そうだ、そうしよう。
「隊長、また顔が・・・」
「ほっとけ、どうせ家の猫のことでも考えてんだろ」
「あんな人だったとはなぁ」
「俺、修理の許可もらいにきたんだけど、話しかけていいかな」
「もうちょっと黙っとけ。おもしろいから観察してようぜ」
「・・・おまえら、戸口で何をしている」
「補佐官!」
「しぃー!」
「ん? どうした?」
振り向けば、入口で押し合っている隊員とギュンター。
「あ、いえ、井戸の蓋が割れたから修理してくれって頼まれまして」
「結構古そうなんで、どうせなら新しく作っちまおうかと思うんですが」
「一人じゃ無理だから、何人かで行っていいっすか?」
「あぁ、行ってこい。
せっかくだから、他の井戸の蓋も確認してくるように。
誰か落ちたら危ないからな」
「はい!」
敬礼して、足取り軽く駆けていく隊員たち。
「急に隊員たちに甘くなったんじゃないっすか?」
「愛着を持てといったのはおまえじゃないか」
「おや・・・・それはそれは」
食えない補佐官は、にやりと笑って細長い紙袋を俺の机の上に置いた。
「さっきのお茶の葉っすよ。ご自宅用にどうぞ」
「いいのか?」
「うまいって言ってくれたのが、俺もうれしかったんでね。あとこれも」
ギュンターが差し出した小袋には別の茶葉。
「スヴァルが隊長にどうぞって。
猫って寒くなると水を飲まなくなるんすか?
このお茶ならよく飲むそうですよ」
「へぇ。後で礼を言わねばな」
あまり気温の変化のない王都と違って、この土地は冬になると雪が積もるという。
あと2か月ほどで冬が来る。
「冬の間は兵舎に住みますか?
一人暮らしはいろいろ不便でしょう」
「うむ・・・考えておく」
明日ルゥを連れてきた様子次第だな。