第四章 結 節一 姿と心
「お帰り、剛」
ベッドの上で目覚めた剛に、目を赤く腫らした侑芽を名乗る女が微笑む。
「戻って早々で悪いが食事を頼む。詳しい話はそれからだ」
クロが侑芽を名乗る女に言う。
「お水はそこに置いてあるから。ご飯もすぐ出せるように用意してあるから待ってて」
そう言うと、目を擦りながら侑芽を名乗る女がキッチンへと向かっていく。
侑芽を名乗る女の背中をクロは黙って見ていた。
腹に力が入らないな‥。
剛がゆっくりと起き上がり、ベッド横に置かれてあったペットボトルの水を一気の飲み干す。
ーーん?いい匂いがする‥これは侑芽が得意なロールキャベツだな‥。
「お待たせーーご飯できたよ」
呼ばれてキッチンに入ると、剛の予想通りダイニングテーブルの上にはロールキャベツとパン、サラダ、スープが用意されてあった。
「美味そうだなーー早速いただくよ」
ああ、この味だーー俺が好きな和風だしのロールキャベツ。生姜を入れた侑芽の味付けだ‥。
「美味しいよ。侑芽」
「‥えっ‥今‥なんて」
「んーー美味しいよと言ったんだよ」
「そのあとよーー名前」
「えっ?侑芽って」
「ーーああ!ずっとお前とか君だったから。もう私が侑芽だと信じて貰えないのかってずっと不安だった‥」
「そうだったのか、ごめんーーでも、今は見た目が違っていても、俺の目の前にいるのが間違いなく侑芽だとわかる」
「剛ーーうん!」
侑芽が頷きながら、涙を拭っていた。
侑芽の手料理を食べ終え、食器を片付けたダイニングテーブルに剛と侑芽が向かい合い、剛の隣にクロが座っている。
「それで向こうはどうだったの?」
「向こうの侑芽と一緒に無効の泉というのを探し続けた」
「無効の泉?ーーこの前、戻った時に剛が言っていたーー私の死を無効にする方法とかの事?」
「そうだーー無効の泉は見つけたんだけどーー」
「だけど?ーーいいわ、無理に言わなくてもーー剛を待っているうちに覚悟はできたから」
「侑芽‥‥‥すまない‥」
「剛が謝る事じゃないわーー向こうの侑芽もそう言わなかった」
剛が俯いて拳を握り締める。
「ねぇクロさん。私にはあと何日残っているの?」
「四十日だ」
「そう。それならーー九月十九日までって事よねーーそれだけあれば十分」
「ーーなにが十分なんだ?」
「決まってるじゃない。剛の最終試験よ」
「ーーどっちの侑芽も同じことを言うんだな」
「剛ったら、そんな悲しそうな目で微笑まないでよーー剛の試験合格は私の願いでもあるんだから」
そう言って微笑む侑芽は剛の知る侑芽自身だった。
「なんだ、もっと修羅場になるかと思ってここに残ったんだが、取り越し苦労ってやつか」
「そんな事ないわ。向こうへ戻ったら伝えて欲しいことがあるの」
「なにを、誰にだ?」
「向こうの侑芽にーー剛の事は任せて、全力で私がサポートするからって」
「そんな事ーーわざわざ言わなくても、向こうだって解っているだろう」
「それでもいいのーーバトンは受け取ったって事を伝えたいだけ」
「侑芽ーーお前‥」
剛が立ち上がり、椅子に座る侑芽の後ろに立つと、侑芽が振り返り剛を見上げる。
そのまま剛が顔を近づけると、侑芽は無言で顎を上げた。
この仕草はやはり侑芽だ‥。
剛の唇が侑芽の唇に重なっていく。
「ーー後は宜しく二人でやってくれーー伝言は伝えておくーーそれじゃあな」
クロが黒い霧となって姿を消していった。
「最終試験まで残り十一日ね。それまで剛は試験対策に専念して。他のことは私が全部やるから」
「頼むーー侑芽」
試験に向けた二人の生活が始まった。
自宅マンションから大学院と図書館の往復をする剛。
マスクをして通い慣れないスーパーで買い物をする侑芽。
二人の時間が過ぎていく。
「どうだ、順調か、剛」
同じ夏期セミナーに来ていた真矢が剛に話しかける。
「やれる事はやってるつもりだーーお前の方こそどうなんだよ、真矢」
「まぁ、ボチボチってところさーーこんな生活、早いとこ終わらせてみんなでパァっと騒ぎてぇよな、遼や瑞姫達も誘ってよ」
「いいぜ。その時は声をかけてくれよ」
「当然だろ。侑芽ちゃんも一緒にな」
「ああーーそうだな‥」
洗濯と掃除は終わらせたしーー後はここで今夜の食材を買って帰ればなんだけど‥ん〜今夜は何を作ろう‥。
侑芽はスーパーの中を歩きながら、献立を考えていた。
あっ!鯖が安い!ーーでもアイツ、面倒臭がって魚食べたがらないし‥いやいや、DHAは必要よ‥今夜は和食ね‥。
夕食の食材を選び、レジに並ぶ。
あの日以来、人からよく見られている気がするんだけど‥気のせいかな?ーー私の見た目って、髪が腰近くまであるって剛が言っていたけど、そのせい?‥。
「あ〜剛。今、鯖を見て嫌な顔したでしょ!ーー大丈夫よ、骨全部抜いてあるから。バランスよく栄養取らないとダメなのよ」
「侑芽、お前ーー最近、お袋みたくなってないか」
「それはね。剛が子供みたいなことするからよ」
参ったな‥結構、降ってやがる‥これじゃバス降りてからでもずぶ濡れ確定かーータクシーも行列だろうしな‥。
=剛。もう駅に着いた?=
侑芽からのラインが入る。
=ちょうど今、駅に着いた=
=良かった。どこにいるの?=
=改札を出たところ=
=じゃあ、そこにいて=
侑芽からラインの返信が来て、直ぐだった。
「剛!」
駅の改札を出たところに傘を持った侑芽が駆け寄ってくる。
「待っててくれたのか?」
「うん。しばらく雨予報だったしーーいつもこのくらいの時間に帰ってくるから」
「ありがとう。助かったよ」
八月二十日。
「いよいよ明日から本番だね」
「ああ。侑芽の大事な時間を使わせてしまったな」
「何を言ってるのよーーそんな事より二人の夢、剛にかかってるんだからね」
「おいおい、プレッシャーかける気かよ」
「へへーーでも剛ってプレッシャーあった方が力出せるタイプでしょ」
「コイツめーー侑芽には本当に感謝してる。ありがとう」
「ううんーー私こそありがとう、剛」
二人はベッドの中で抱き締めあった。




