第七章:ツアー前夜の小さな集い、あるいは四人の本音
「—というわけで、第一回『ロイヤル・ソレイユ学園 隠れ名所案内ツアー』の計画書、できました!」
私は、図書室の隅の小さな机に、羊皮紙を広げた。
目の前には、三人の顔があった。厳格な監視官、冷静な観察者、そしてかつてのライバル。
レオンハルトは腕を組み、眉をひそめて計画書を見下ろしている。シオンは興味深そうに首をかしげ、ルナは緊張しながらも目を輝かせていた。
「…『午前九時、中央噴水集合。まずは時計塔展望台にて学園全景を鑑賞』」
レオンハルトが、平板に読み上げた。
「『その後、北の森の月見草群生地を経由し、東温室にて薬草観察。昼食は学生食堂にて『ロイヤル・ソレイユの太陽』を賞味』」
「どうです? 私が今までに発見したベストスポットを厳選したコースです!」
私は胸を張った。
「…問題がある」
レオンハルトが即座に言った。
「まず、時計塔は先日も言った通り、生徒立ち入り禁止区域だ」
「でも、殿下の特別許可があれば行けますよね? 監視付きの教育活動として」
「…」
「次に、北の森。これも立ち入り制限がありますが、殿下がいれば魔獣の危険もありません」
「朕は護衛ではない」
「監視官の付き添い、ですよ。同じことです」
レオンハルトの額に、一本の血管が浮かび上がった。
「…お前は、朕を便利な通行許可証としてしか見ていないな」
「そんなことありません! 殿下は立派なガイド…いえ、監視官です!」
「ふん」
シオンが、軽く笑った。
「計画自体は悪くありませんね。学園の地理と生態を学ぶ、実践的な校外学習と言えそうです」
「でしょ?」
「ただし」
シオンが指を一本立てた。
「参加者をどうするか。『希望する生徒たちも』とありましたが、実際に誰が来るか。そして、彼らが純粋に『観光』を楽しむのか、それとも…」
「噂の検証のために来る?」
ルナが小さな声で言った。
「…そうですね。私たち四人の関係を確かめに来る者も、少なくないでしょう」
シオンの指が、計画書の「参加者」の文字の上をなぞった。
「それは、問題ですか?」
私が聞いた。
「問題かどうか…」
シオンはレオンハルトを見た。
「殿下にとっては、大勢の前で『監視』という役割を演じ続けるのは、負担ではないでしょうか」
「朕は演じることに慣れている」
レオンハルトの返答は速かった。だが、その言葉の端に、ほんのわずかな倦怠がにじんでいた。
「…そうですか」
シオンはそれ以上追求せず、私に向き直った。
「では、私からの提案です。参加者は、事前の申し込み制としませんか? そして、人数を十名程度に制限する」
「十名? 少なくない?」
「多すぎると、監視が行き届かなくなります。そして…」
彼の目が、きらりと光った。
「稀少な体験の方が、価値が高まります。『選ばれた者だけの特別ツアー』という位置づけにすれば、参加者の態度も自然と引き締まるでしょう」
「…なるほど。戦略的ですね」
私は感心した。
「では、申し込み方法は?」
「私が担当しましょうか」
シオンが優雅にうなずいた。
「図書室に申し込み用紙を設置し、応募理由も簡単に書いてもらう。そこである程度、参加者の意図をふるいにかけます」
「それ、いいですね! シオン君、ありがとう!」
「お安い御用です。私も、この『実験』がどうなるか、興味がありますから」
彼の口元が、ほんのり上がった。
「…ルナは?」
私が振り向いた。
「はい! 私は…ガイドのアシスタントをしたいです!」
「アシスタント?」
「ええ。私は学園の色んな記録を読んでいるので、時計塔の歴史や、薬草の効能について、簡単な説明ができます」
ルナの目が、真剣に輝いていた。
「それに…私が誤解を生んだ責任の一端もあるので…ちゃんとみんなに本当のところを見てもらいたいんです」
「ルナ…」
「お願いします!」
彼女は深く頭を下げた。
レオンハルトが、低く呟いた。
「…平民が、皇子や貴族の子女に講釈をたれるのか」
その言葉に、ルナの肩がこわばった。
「それは、問題でしょうか?」
私が間に入った。
「…問題ではない。ただ、異例だ」
「異例でいいじゃないですか。観光ツアーって、普通の日常からちょっと離れた非日常の体験でしょ? ガイドが平民の特待生っていうのも、新鮮でいいと思います」
レオンハルトは、ルナを見た。その視線は、評価しているようだった。
「…お前、怖くないのか? 貴族の子女の前で間違えば、嘲笑の的になる」
「…怖いです」
ルナは素直に認めた。だが、すぐに顔を上げた。
「でも、間違わないように、しっかり準備します。それに…」
彼女は、私とシオン、そしてレオハルトを見回した。
「…皆さんが、傍にいてくださるなら」
一瞬、沈黙が流れた。
「…ふん」
レオンハルトが、目をそらした。
「好きにしろ。だが、内容は朕に確認させろ。間違った知識を広めることは許さない」
「はい! ありがとうございます!」
ルナの顔が、ぱあっと明るくなった。
「…よし、じゃあ役割分担は決まりだね!」
私は計画書の隅に、走り書きをした。
「総合監視・許可権限はレオンハルト殿下。参加者選定と運営はシオン君。ガイドアシスタントと資料準備はルナ。そして…」
「お前は?」
レオンハルトが聞いた。
「私は…ツアーコンダクター! 全体の流れと楽しさを担当します!」
「…何だそれは」
「えへへ、適当に考えた役職です。でも、必要だと思うんだよね。だって、みんな堅くなりすぎちゃうから」
私は三人を見渡した。
「監視官と観察者と勉強家ばかりじゃ、ツアーが軍事教練みたいになっちゃうよ。だから、楽しさを注入する係が必要なんです」
シオンが、ふっと笑った。
「確かに。私たちだけだと、あまりに理詰めになりすぎますね。クローディア様の…無邪気さ、が必要かもしれません」
「無邪気って…褒めてる? けなしてる?」
「どちらでもお好きに」
シオンの目が、いたずらっぽく瞬いた。
「…では、詳細を詰めよう」
レオンハルトが、机に肘をついた。
「まず、時計塔の安全管理。階段は狭い。一度に登れるのは五人までだ。朕が先頭、シオンが最後尾。お前たちは中間に」
「了解です。では、グループを二つに分けましょう。最初のグループが降りてから、次のグループが登る」
シオンが即座に提案した。
「その間、待っているグループは?」
ルナが心配そうに聞いた。
「…噴水広場で、お前が簡単な歴史解説をすればいい」
レオンハルトが言った。
「え? 私がですか?」
「お前がアシスタントなら、それくらいできろ」
「は、はい! 頑張ります!」
ルナは、メモを取る手を早めた。
「次に、森の道。朕が先導する。お前、クローディア、絶対に勝手に道を外れるな」
「はいはい〜」
「真剣に聞け」
「すみません、真剣に聞いてます」
私は姿勢を正した。
「薬草の観察は、触れる前に必ず朕かシオンに確認を取れ。毒草も混じっている」
「私も、図鑑でしっかり確認しておきます」
ルナが熱心に言った。
「そして、昼食。食堂で騒ぎ立てるな。朕も同席するが、それは監視のためだ。余計な話はしない」
「えー? せっかくみんなで食べるんだし、楽しい話くらい…」
「許可する話題と、しない話題がある」
レオンハルトの目が、鋭く光った。
「政治、家柄、過去の確執…そういったものは一切禁じる。ただの学園ツアーだ。それ以上でも、それ以下でもない」
その言葉に、私ははっとした。
(彼は…みんなが気を使わなくていいように、線を引いてくれてる)
「…わかりました。では、話題は…学園の楽しい噂とか、美味しいものの話とか、将来の夢とか…そんなのでいいですか?」
「…それでよい」
レオンハルトは、ほんの少し、口元を緩めた。
「…意外と、細かいんですね」
シオンが小さく呟いた。レオンハルトは一瞥をくれなかったが、耳朶がほんのり赤らんでいるように見えた。
「…では、最後に」
私が真剣な顔で言った。
「このツアーの、本当の目的を確認しましょう」
三人の目が、私に集まる。
「目的は、噂を鎮めることでも、監視をアピールすることでもない。私たち四人が、それぞれの立場を超えて、この学園の素敵な場所を、誰かと共有する最初の一歩です」
図書室の窓から、夕日が差し込み、机の上の羊皮紙を金色に染めた。
「私は…一人で観光するのも楽しいけど、誰かと一緒に感動を分かち合えたら、もっともっと楽しいと思うんです」
ルナが、うなずいた。
「私も…図書室でクローディア様とお話しした時、一人で研究するのとは違う楽しさがありました」
「観察対象が複数になれば、相互作用が生まれ、予測不能な反応が起こります。それは…確かに興味深い」
シオンが、指を顎に当てて考え込む。
「…朕は」
レオンハルトが口を開いた。
「…秩序を乱さない範囲での、実験と理解する」
「それで十分です」
私は笑った。
「じゃあ、これで第一回ミーティング終了! あとは、それぞれ準備を!」
「はい!」
ルナが元気に返事をした。
「参加者の選定は、三日後を目処に報告します」
シオンが優雅に立ち上がった。
レオンハルトは何も言わずにうなずき、背を向けて歩き出した。
「あ、殿下!」
私が呼び止めた。
「…何だ?」
「…ありがとう。協力してくれて」
彼は一瞬、言葉に詰まった。
「…朕は、監視しているだけだ」
「わかってます。でも、監視って形で協力してくれて、ありがとう」
彼は無言で、少し早足で図書室を出ていった。
シオンが、そっと私に近づいた。
「…彼も、随分と柔らかくなりましたね」
「そうですか?」
「ええ。以前のレオン様なら、こんな『無駄なこと』に付き合おうとはしなかったでしょうから」
シオンの目が、遠くを見るようになった。
「…役割から、ほんの少しだけ、顔を出しているのかもしれません」
「シオン君も?」
「…私も、ですよ。観察者としての距離を保ちつつも…ここに座っていること自体、既に役割の外に出ているのかもしれません」
彼は、静かに笑った。
「…では、失礼します。準備に取りかからなければ」
シオンも去り、図書室には私とルナだけが残った。
「…緊張しますね」
ルナが、ほっと息をついた。
「大丈夫? 無理しないでね」
「はい。でも…嬉しいです。こんな風に、皆さんと一緒に何かをするなんて、夢みたいです」
彼女の目が、きらきらと輝いていた。
「私もよ。ルナと友達になれて、本当に良かった」
「…クローディア様」
「うん?」
「…以前のあなたは、本当に怖かったんです」
ルナの声は、かすれていた。
「近づくだけで睨まれ、話しかければ嘲笑される…そう思っていました」
「…ごめんね」
「いえ! 今は違います! 今のクローディア様は…優しくて、好奇心にあふれていて…本当に、別人のようです」
彼女は、真っ直ぐに私を見つめた。
「…何があったんですか?」
その問いに、私は胸が締め付けられた。
(…転生した、なんて言えない)
(ゲームの知識がある、なんて言えない)
「…気づいたんです」
ゆっくりと、言葉を選びながら。
「今まで、見えているようで、何も見えていなかったって。この世界の美しさにも、人の温かさにも、目を向けていなかったって」
ルナは、じっと聞いていた。
「それで、決めたの。もう二度と、狭い檻の中だけで生きないって。外に出て、もっと広い世界を見ようって」
「…それが、『観光』なんですね」
「ええ。そうだよ」
ルナの顔に、理解の色が広がった。
「…私も、そうしたいです」
「え?」
「平民の特待生として、ずっと『頑張らなければ』と思ってきました。でも…時々、息苦しくなるんです。そんな時、図書室で魔法陣のことを考えていると、少し楽になれる」
彼女は、自分の手のひらを見つめた。
「クローディア様の『観光』は…そんな息苦しさから、自由になる方法なのかもしれません」
「…ルナ」
「ですから…このツアー、成功させたいです。皆さんと一緒に、この学園の素敵なところを、心から楽しみたい」
彼女の目には、強い決意が宿っていた。
「…うん。絶対に、成功させよう」
私は、ルナの手を握った。
窓の外では、星が一つ、二つと瞬き始めていた。
学園は静かに夜を迎えようとしている。
四人の、それぞれの事情を抱えた「観光客」たち。
明日から、彼らは準備に追われる。
一週間後、彼らは十人の参加者を迎え、非日常の一日を共に過ごす。
それが、何をもたらすのか—
誰にも、まだわからない。
でも、確かに言えることが一つある。
この小さな図書室で交わされた約束は、この学園の「普通」を、少しだけ変えめている。




