表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/14

第三章:王都市場は異世界グルメの宝庫、そして小さな事件と獅子皇子の謎

「お嬢様、本当にここでよろしいのですか!?」


エリザの声が、背後で悲痛に響いた。


目の前には、王都中央市場の喧騒が広がっている。色とりどりのテント、甘い果物の山、唸り声を上げる商人たち。生活の匂いが、濃厚に立ち込めている。


「もちろん! こここそが、異世界…この国の『リアル』を味わえる絶好のスポットだよ!」


私は、軽いウールの外套の裾をからげ、目を輝かせた。学園の制服は目立つので、わざわざ地味な私服に着替えてきた。


「でも、ここは平民の…」


「観光客に身分は関係ない。ねえ、エリザも楽しもうよ。ほら、あの焼き菓子の匂い、すごくいいじゃない!」


私は彼女の腕を引っ張り、人混みの中へと消え込んだ。


(よし…ルナに教えてもらった『隠れ家的パイ屋』は、確かこの辺…)


***


市場の路地裏。小さな看板がぶら下がったパイ屋の前で、私は足を止めた。


オーブンの甘い香りが、あたり一帯を包んでいる。


「すみませーん! りんごパイと、きのこのパイ、一つずつ!」


「おお、かしこまりました!」


頬に焼け跡のあるおばさんが、にこにこ笑いながら、紙包みを渡してくれた。パイは、熱々で、手の中でほんのり温かい。


一口かじる。


「…はふっ!」


中のりんごが、とろけるような甘さで、シナモンの香りが鼻孔をくすぐる。生地はサクサクで、バターの風味が濃厚。


(ああ…これぞ異世界グルメ…!)


幸せすぎて、目頭が熱くなりそうだった。


「エリザも食べる? 半分こしよう」


「い、いえ! お嬢様、路上で食べるなんて…」


「大丈夫、観光客はみんなそうするんだから」


私がにっこり笑うと、エリザの表情が少し緩んだ。彼女も、ここ数日で随分と「観光客」という概念に免疫ができてきたようだ。


ふと、市場の反対側で、小さなざわめきが起こった。


「…あんた、また来たのか! 代金を払えずに商品を取るなんて、泥棒だ!」


怒鳴る肉屋の声。そして、小さな声で何か詫びている子供の声。


私は、パイを包み直し、そちらへと歩き始めた。


「お嬢様?」


「ちょっと見てくる」


***


肉屋の店先には、痩せた少年が、ボロボロの帽子を手に、うつむいていた。彼の足元には、小さなパンと、ソーセージが一つ落ちている。


「すみません…母が病気で…働けなくて…」


「病気が何だ! みんながみんな、そんな言い訳したら商売にならん!」


周りには、じっと見守る人々の視線。中には気の毒そうな顔もあったが、誰も口を出さない。


ゲームの知識が、頭をよぎる。この市場は、確か…


(…そうだ。ここは、クローディアがわざわざ嫌がらせに来るエリアの一つ。貧しい人々を虐める『悪役の舞台』)


本来なら、私が悪役として登場し、少年をさらに追い詰める場面だ。


私は、静かに息を吐いた。


(観光客の心得その一:地元のトラブルには不用意に首を突っ込まない…けど)


少年のうつむいた肩が、小さく震えている。


(…観光客の心得その二:でも、見て見ぬふりは、もっと良くない)


「あのー」


私は、一歩前に出た。


肉屋も少年も、周りの人々も、私を見た。質素な服だが、肌や手のきれいさが、明らかに平民ではないと分かる。


「そのソーセージとパン、いくらですか?」


肉屋は、怪訝そうに私を見た。


「…銀貨一枚だ。だが嬢さん、この小僧は…」


「じゃあ、これで」


私は、小さな革袋から銀貨を一枚取り出し、肉屋の手に置いた。ルナに聞いた相場なので、多すぎず少なすぎず、ちょうどいい金額だ。


肉屋は、銀貨を見つめ、そして私を見た。


「…嬢さん、知り合いか?」


「いいえ、今日初めて。でも」


私は少年の方を向き、屈んで彼の目線の高さに合わせた。


「君、お母さんのために買おうとしてたんだね。えらいよ」


少年の目が、驚きで見開かれた。涙が、ぼろぼろと頬を伝い落ちる。


「…あ、ありがとう…ございます…」


「ううん。でもね」


私は、優しく、しかしはっきりと言った。


「次からは、ちゃんとお店の人に事情を話してからにしよう。黙って取っちゃだめだよ。約束できる?」


少年は、涙をぬぐいながら、強くうなずいた。


「は、はい…!」


「よし」


私は立ち上がり、肉屋に軽く会釈した。


「ご迷惑おかけしました。この子、きっと次からは大丈夫です」


肉屋は、複雑な顔をしたが、小さくうなずいた。


「…まあ、いいわい。でもな、小僧、次はな」


「はい…! 本当にすみませんでした…!」


少年は、深々と頭を下げ、それから私にもお辞儀をすると、小さな包みを抱えて走り去った。


私はほっと胸を撫で下ろした。


(…ふう。観光客が地元のトラブルに巻き込まれるパターン、まさにこれか)


しかし、周囲の視線が、まだ私に集まっている。好奇と、警戒と、そして…どこか温かいものも混じっている。


「…嬢さん、いい心がけだ」


野菜を売る老婆が、にっこり笑って声をかけてきた。


「あ、いえ…ただの通りすがりです」


「通りすがりが、あんないいことするかねえ。どこかのお坊ちゃま、お嬢ちゃまかと思ったが…」


老婆の目が、私の手元に止まった。貴族の令嬢にはありえない、パイの紙包みを持っている。


「…観光中なんです」


私は、思わず本音を零した。


「観光?」


「ええ。この街の、素敵なところをたくさん見たくて」


老婆の目が、細くなった。そして、ふっ、と笑った。


「ははっ! 面白いお嬢さんだ。ほら、これ、あげよう。うちの畑のりんごだ。甘いぞ」


「えっ、いいんですか?」


「お礼だよ。さっきの一件で、あの肉屋のオッサンも少しは丸くなるだろうからな」


りんごを受け取り、私は心から笑った。


「ありがとうございます!」


市場の空気が、少し柔らかくなったように感じた。


***


その日の夕方、学園の中庭。


私は、市場で買ったもう一つのパイを楽しんでいた。中庭のベンチに座り、小鳥のさえずりをBGMに。


「…ここにいたか」


突然、影が差した。


振り上げると、そこにはレオンハルト第一皇子が立っていた。彼の碧眼は、いつも以上に鋭く、私をじっと見下ろしている。


「あ、レオンハルト殿下。こんばんは。パイ、食べます?」


「…いらない。聞きたいことがある」


彼の声は、低く、重たい。


「今日、市場に行ったな」


(…速報だな)


内心で呟きながら、私は平静を装った。


「ええ。とても楽しいところでした。特にパイ屋さん、おすすめですよ」


「ふん。楽しい、か」


彼が一歩近づいた。威圧的な気配が、周囲の空気を震わせる。


「そこで、銀貨を投げて、子供を助けたそうだな」


「…はい。ただの観光客の、ささやかな親切です」


「観光客」


彼が、その言葉を噛みしめるように繰り返した。


「それで、その後だ。市場の者たちが、妙な噂を流し始めた」


「噂?」


「『金髪の、気高いけれど優しいお嬢様が、身分を隠して市場を訪れ、貧しい子を助けた』と」


ああ、と私は思った。情報は、いつだって歪んで伝わる。


「それは大げさです。私はただ…」


「黙れ」


彼の声が、冷たく響いた。


「お前が何を考えているのか、朕にはわからん。だが、この行動が何を招くか、考えたことはあるか?」


私は、パイの包みを膝の上に置き、ゆっくりと立ち上がった。彼の目をまっすぐに見つめて。


「招く、って?」


「貴族の令嬢が、無闇に平民に情けをかける。それは、期待を生み、やがては依存を生む。秩序を乱す種だ」


彼の言葉は、確かに一理あった。ゲーム中のレオンハルトは、合理主義者で、厳格な秩序を重んじる人物だった。


でも。


「…レオンハルト殿下は、あの子が泥棒になるのを見過ごす方が、秩序にとって良かったとお考えですか?」


彼の眉が、かすかに動いた。


「違う。だが、お前のやり方は…」


「私の『やり方』は、ただの観光客のそれです」


私は、少し強めに言った。


「困っている人がいれば助ける。美味しいものがあれば食べる。美しいものがあれば見つめる。それだけです」


「…それだけ、か」


彼の目が、私の瞳の奥を探るように見つめてきた。今までにない、真剣な眼差しだった。


「朕は聞いている。お前は最近、平民の少女と図書室で魔法を論じ、市場では子供を助け、学園ではスイーツに夢中だと。まるで…」


彼は、言葉を切った。


「まるで?」


「…まるで、別人のようだ」


風が吹き、彼の金色の前髪が揺れた。


私は、静かに微笑んだ。


「そうかもしれません。だって、私は最近やっと気づいたんです」


「何を?」


「この世界は、役割を演じるだけの舞台じゃなくて、実際に生きる場所だって」


レオンハルトは、一言も返さなかった。ただ、私を見つめ続ける。


その沈黙が、何かを物語っているように感じた。


「…朕は、お前を監視する」


突然、彼が言った。


「え?」


「お前の行動は、あまりにも予測不能だ。学園の、ひいては王国の秩序を乱す可能性がある。だから、朕が直接、お前の『観光』を見届ける」


私は、目をぱちくりさせた。


「…それって、つまり?」


「明日の放課後、朕について来い。お前がどんな『観光』をしているのか、朕が確かめる」


「ええっ!? でも、それは…」


「拒否は認めん。これも、『秩序』のためだ」


そう言い残すと、彼はくるりと背を向け、歩き去った。


私は、ベンチにへたり込んだ。


(…なんですって?)


獅子皇子が、私の観光に付き合う?


それは、最も厳格で、最も観光に向いていない人物では…?


でも。


(…もしかして、彼も少しは興味があるのかな)


ふと、そんな考えが頭をよぎった。


私は、残ったパイを一口かじり、空を見上げた。


夕焼けが、学園を茜色に染めていた。


(…まあ、いいか。最強のガイドが付くなら、逆にアクセス不能エリアにも行けるかもしれない)


小さく笑い、私はパイの最後の一切れを口に放り込んだ。


さて、明日はどんな観光になるやら。


獅子皇子を従えての、異世界観光ツアー。


なんだか、思いがけなく豪華なプランになってきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ