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第二章:隠れ名所は図書室にあり、そして平民の少女と出会う午後

「クローディア様、今日も学園の『観光』でいらっしゃいますか?」


次の朝、エリザが私の髪を結いながら、少し呆れたような、しかしどこか慣れてきたような口調で聞いた。


「もちろん! 昨日は食堂と中庭しか回れてないわ。今日は…」


私は窓の外を見ながら考えた。


「…まずは、学園の『歴史的建造物』を巡るわ。あの時計塔、絶対に登れるはずよ」


「お嬢様! あそこは生徒立ち入り禁止です!」


「大丈夫、交渉してみるから。観光客の特権ってやつよ」


エリザのため息が、背後で深く響いた。彼女の日常は、確実に壊されめている。


***


学園の廊下を歩いていると、昨日とは明らかに違う空気を感じた。


生徒たちの視線が、私に集まる。でも、昨日の怯えた目ではない。好奇と、困惑と、少しの…興味?


(あら、私、新しい展示物になったのかしら)


内心で笑いながら、私は目的地へと足を早めた。


時計塔の管理人の小部屋をノックした。


「ごめんくださいー! 塔の頂上、見学したいんですけど!」


中から、ガタンと椅子が倒れる音がした。老いた管理人じいさんが、目を丸くしてドアを開けた。


「ヴァ、ヴァンデルートお嬢様!? 何かご用で…?」


「ええ、この塔の歴史について教えてほしいの。あと、一番上からの景色を見てみたい。ここは学園で一番の高所でしょ?」


「そ、それは…しかし規則で…」


「一時間だけ! お願い! 私はこの学園の文化的価値を学びたいだけなの!」


私は、観光客の無垢な瞳(を演じ)て、じっと見つめた。


管理人じいさんは、私が「嫌がらせ」をしているのか「本気」なのか、判断できずに戸惑った。そして、ため息をついた。


「…十分間だけです。そして、誰にも言わないでください」


「やった! ありがとう!」


***


螺旋階段を喘ぎながら登り、小さな展望台に出た瞬間、風が私を包んだ。


「…すごい」


学園全体が、小さな模型のように広がる。遠くには王都の街並み、そして青い山脈。ゲームのマップ画面が、ここでは無限の広がりを持っていた。


(ここ、絶対にデートスポットだ。なんでゲームでは使われなかったんだろう?)


風に髪をなびかせながら、私はしばらく時を忘れた。


「…お嬢様、十分経ちましたよ」


下から、管理人じいさんの呼ぶ声がかすかに聞こえる。


「はーい! 今降りるわ!」


振り返り、最後に一眼、景色を焼き付けた。


(よし、次の観光スポットは…)


***


時計塔からの帰り道、私はふと、本館の奥にある古びた扉に目を留めた。


「…図書室?」


ゲームでは、イベントがほとんど起こらない、ただの背景だった場所。


(隠れ名所があるかもしれない)


興味をそそられ、そっと扉を押した。


埃っぽい、しかし懐かしい紙の匂い。天井まで届く本棚。色とりどりの分厚い背表紙。陽光が細い窓から差し込み、塵の舞う光の柱を作っている。


「わあ…」


声を漏らした。ここは、完全なる「宝の山」だ。


私は、一番古そうな地図が載っている棚へと歩み寄った。指で背表紙をなぞりながら—


「あっ」


ふと、棚の向こう側に、誰かの気配を感じた。


身をかがめて覗き込むと、そこには、焦茶色の髪を一つに束ねた少女が、小さな机に向かって何かを書き込んでいた。彼女の制服は、他の生徒たちよりも質素に見える。


(…もしかして)


心臓が、少し高鳴った。


少女は、何かに夢中で、私の存在に気づかない。私は息を殺し、一歩、二歩と近づいた。


彼女が書いているのは…魔法陣のスケッチ? しかも、授業で習わない、複雑で美しい模様。


「すごいね、それ」


思わず、声をかけてしまった。


少女は、はっと跳ね上がるように振り向いた。茶色の瞳が、驚きと警戒で大きく見開かれる。


「ヴァ、ヴァンデルート様…!? す、すみません、ここは私のようなものが…!」


彼女は慌てて立ち上がり、おずおずと下がる。その仕草、そしてその顔。


間違いない。これは、ルナ・エヴァンス。このゲームの主人公であり、私の「宿命のライバル」となるはずの、平民出身の特待生だ。


ゲームのクローディアなら、今頃こう言っている。「下賤の者が、こんな場所で何をしている!」と。


私は、深呼吸を一つした。


(観光客。私は観光客。珍しいものを見つけたら、まずは観察。そして…交流。)


「ごめん、驚かせちゃった?」


私は、できるだけ柔らかい笑みを浮かべた。


「そんなに慌てなくていいよ。私、ただここの本に興味があって来ただけ。それより…」


一歩近づき、机の上のスケッチを覗き込んだ。


「これ、すごく綺麗な魔法陣ね。授業でやるやつより、ずっと複雑だけど…君、自分で研究してるの?」


ルナは、まるで見知らぬ生き物を見るような目で私を見つめた。理解が追いつかない。


「…は、はい…魔力効率を少しでも上げたくて…」


「へえ! すごいじゃない!」


私は、心からの驚嘆を込めて言った。


「私なんか、昨日の実技で小火の玉ひとつまともに作れなかったんだよ。君みたいに自分で研究できるなんて、本当に尊敬するわ」


「え…? で、でも…ヴァンデルート様は、高い魔力をお持ちだと聞きました…」


「ああ、それは多分『設備』の問題ね。でも『操作方法』がわかんないのよ、私」


ルナの目が、さらに見開かれた。貴族の令嬢が、自分の失敗をこんなに軽やかに話す?


「それでね、よかったら教えてくれない? この魔法陣の、ここが気になるんだけど…」


私は、スケッチの一角を指さした。ゲームの知識で、そこが理論上「非効率」だと知っていた場所だ。


ルナは、私の指先を見つめ、そして私の顔を見た。警戒が、少しずつ好奇心に変わっていく。


「…ここは、確かに難しいポイントです。魔力の流れが滞りやすいので、私はこの線をこう変えてみようと…」


「ああ! なるほど! それは面白い考え!」


私たちの会話は、次第に熱を帯びた。魔法陣の線一本の話から、基礎魔力理論、そして王都で手に入る魔法素材の話まで。


気がつけば、小さな机を挟んで向かい合い、本や羊皮紙を広げていた。


「…それで、この組み合わせが一番安定すると思うの」


「うーん、でもコストが高くなるよね。平民の君が研究するなら、もっと安い代替素材を考えた方が…」


「あっ! 確かに! ヴァンデルート様、鋭いです!」


ルナの顔が、ぱっと輝いた。それは、ゲーム中で見た「主人公の笑顔」よりも、ずっと熱く、生き生きとしていた。


ふと、ルナが言った。


「…ヴァンデルート様、噂と全然違いますね」


「え?」


「みんな、お高い方で…近づきがたいと…」


私は、少し考えてから、にっこり笑った。


「ああ、それね。昔の私は、多分そうだったかも。でもね…」


窓から差し込む光の中、埃がきらきらと舞うのを見つめながら、言った。


「最近、気づいたの。この世界には、知らないことがたくさんあって、会ったことのない人がたくさんいて…それを一つずつ知っていくのが、すごく楽しいって」


ルナは、私の言葉を咀嚼するように、じっと見つめた。


その時、図書室の扉が開く音がした。


「…クローディア?」


低い、戸惑いを帯びた声。


振り向くと、シオン・エルメイトが立っていた。彼の銀の瞳は、私とルナ、そして机の上に広げられた魔法陣のスケッチを見渡し、完全に理解を拒否している様子だった。


「シオン君! ちょうどよかった!」


私は、彼に手を振った。


「こっちきて! ルナがすごく面白い魔法陣を考えてるの! 君、理論に詳しいでしょ? 意見を聞かせて!」


シオンは、ゆっくりと、まるで夢遊病者のように近づいてきた。彼の視線は、平民の少女ルナと、悪役令嬢である私の間に漂う。


「…私を、呼びましたか?」


「うん! ほら、この部分…」


私は、先ほどまでルナと話していた問題点を指さした。


シオンは、一瞬ルナを見、そしてスケッチに目を落とした。彼の学者気質が、好奇心をくすぐられたのか、真剣な表情に変わった。


「…これは、確かに興味深い。ここに修正を加えると、全体の効率が…」


三人の頭が、一つの羊皮紙の上に寄り集まった。


外の光が、ゆっくりと傾いていく。図書室の中には、魔法陣の線を巡る熱い議論だけが響く。


シオンが複雑な数式を書き、ルナが実用的な問題点を指摘し、私は時折「それってどういうこと?」と素朴な質問を投げる。


「…つまり、ここに小さな『緩衝』のラインを入れるのが最適、ということですか」


「はい! シオン様、ありがとうございます!」


ルナの目が、感激で輝いている。シオンは、少し照れくさそうに咳払いをした。


「…良い着眼点だ。君、魔力制御のセンスがある」


「ええっ!? そ、そんな…!」


ルナの顔が、嬉しさでほんのり赤らんだ。


私は、その様子を温かい気持ちで見つめた。


(ははあ…これが、ゲームで描かれることのない『日常』か)


ゲームでは、ルナとシオンが出会うのは、もっと後で、もっとドラマチックな場面だった。でも今ここには、本と魔法への純粋な興味が、三人を不思議な輪の中に引き込んでいる。


ふと、シオンが私を見た。


「…クローディア様は、どうしてここに?」


「観光してたら、面白いものを見つけたから」


「…面白いもの?」


「うん。新しい友達と、新しい発見」


私は、ルナとシオンを交互に見て、笑った。


二人はまた、私の言葉の意味を考え込んでいる様子だった。


窓の外が、夕焼け色に染まりめた。


「あ、もうこんな時間! 掃除の当番があるんです!」


ルナは慌てて立ち上がり、スケッチを集め始めた。


「あ、私もそろそろ帰らないと。エリザに怒られちゃう」


私も立ち上がり、本を棚に戻し始めた。


シオンは、ただ私たちを見守っていた。


「…今日は、とても有意義な時間でした」


ルナが、深くお辞儀をした。


「私こそ、色々教えてもらってありがとう。また魔法陣の話、しようね」


「…はい!」


ルナの笑顔が、小さな花のように咲いた。


彼女が去った後、シオンがそっと近づいてきた。


「…驚きました」


「何が?」


「全てが。あなたがここにいること。あの平民の少女と話していること。そして…」


彼は、少し間を置いた。


「あなたの『観光』が、本当にただの好奇心から成り立っていること」


「だって、世界は面白いものだらけだもん」


私は、窓の外に広がる夕焼けを見ながら、そう呟いた。


シオンは、私の横顔を一瞥し、何かを思案するように目を細めた。


「…これからも、そんな『観光』を続けるつもりですか?」


「もちろん。次は…王都の市場とかどうかな。安くて美味しい食べ物の情報、ルナに聞いておこう」


私は、楽しそうに言い、図書室の扉へと歩き出した。


シオンは、しばらく立ち尽くし、そして私の後を追った。


扉を閉める直前、最後に図書室を見渡す。


夕闇に沈みかけた室内。埃の舞う光の柱。まるで、今日この時間だけが、小さな魔法で閉じ込められたかのようだった。


(よし、今日も充実した観光だった)


階段を下りながら、私は心の中でほくそ笑んだ。


図書室での出来事は、きっと誰にも信じてもらえないだろう。


でも、それでいい。


観光客の思い出は、自分だけの宝物でいいんだから。


明日は、どんな「隠れ名所」を見つけられるかな。

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