第十三章:一ヶ月という期限、そして集う仲間たち
図書室に駆け込むと、ルナは案の定、資料の山に埋もれていた。
「ルナ!」
「ひゃあっ!? ク、クローディア様…? どうなさったんですか? 息が切れていて…」
「大変なことになった! 王様から、宿題が出た!」
「…はあ?」
私は、息を整えながら、王宮でのことを一気に話した。王の言葉、試練、一ヶ月という期限。
ルナの顔が次第に蒼白になっていく。
「…で、でも…私のようなものが、王様の目に留まるなんて…」
「君の知識が、王様の耳に入ったんだよ。君が図書室で集めた記録が、あの工房を救うかもしれないって」
「…そう、ですか」
ルナは、自分の手のひらを見つめた。
「…私のやっていることに、そんな意味があったなんて」
「あるよ! だから、手伝ってほしい。君の知識と、私の…うーん、何だろう、行動力? それと、みんなの力を合わせて」
「『みんな』って?」
「参加者たちだ。マリエッタも、アレックスも、他のみんなも。きっと協力してくれる」
その時、図書室の扉が開いた。
「…おや、随分と騒がしい」
シオンが、怪訝そうな顔で入ってきた。
「シオン君! ちょうどよかった!」
私が再び説明する。シオンの表情が、次第に真剣になる。
「…王の直接の試練か。これは…かなり重い」
「わかってる。でも、やるしかない」
「もちろんです。面白すぎる挑戦です」
シオンの目が、きらりと光った。
「観察対象が、王という最大の権威に挑む。こんな機会、滅多にありません」
「…観察だけじゃダメだよ。手伝って」
「ええ。喜んで。ただし…」
彼は一歩近づき、声を潜めた。
「…私が動ける範囲は限られています。宰相の息子として、表立った行動はできません。特に、王が『王家の力を借りるな』と言った以上」
「わかってる。君は、裏方の知恵袋でいて」
「では、その役目を務めましょう。まずは、現状分析から」
シオンはさっと羊皮紙を広げ、書き始めた。
「課題:織物工房『リリア&エルマ』の自立。制約:金と権力の使用禁止。許可された手段:知識の共有」
「…シンプルで、残酷な条件だ」
「ええ。しかし、逆に言えば、知識さえあれば何でもできる、とも取れます」
ルナが、小さく手を挙げた。
「…私、もう少し詳しく聞いてもいいですか? 工房が今、具体的に何に困っているのか」
「良い質問だ」
シオンがうなずく。
「私たちが知っているのは、魔法糸の供給を止められた、ということだけ。では、なぜ止められたのか? 代わりになる素材は? 販路は? 技術的な課題は?」
「…全部、調べないと」
「ええ。まずは、情報収集から始めましょう」
私は、二人を見回した。
「明日、職人街に行こう。直接リリアさんたちに会って、全部聞き出す」
「…しかし」
ルナが不安そうに言った。
「私たちが行くことで、逆に工房に迷惑がかからないでしょうか? 王様の試練の対象だってわかったら、圧力が…」
「そこは、朕が対処する」
扉のところに、レオンハルトが立っていた。いつ来たのだろう。
「殿下!」
「…全部聞いた。図書室は、声が通りやすいのだ」
彼は、そっと扉を閉めた。
「朕は、表立って動けない。父王の命だ。だが…」
彼の目が、鋭く光った。
「…朕の監視対象であるお前たちが、情報収集のために職人街を訪れることに、何の問題もない。朕が同行すれば、尚更だ」
「でも、それって…」
「線引きの問題だ。監視は続ける。だが、お前たちが自主的に情報を集め、考えることを止める権限は朕にはない」
シオンの口元がゆるんだ。
「…なるほど。監視という名目の、護衛と威光の借用ですか」
「黙れ」
レオンハルトは、そう言いながらも否定しなかった。
「…では、明日の計画を立てよう」
私が言った。
「まずは工房へ。それから…参加者たちにも声をかけよう。できる範囲で、手伝ってくれるはず」
「…いいだろう」
レオンハルトがうなずいた。
「だが、一つだけ。この試練のことは、必要最小限の者だけに伝えろ。広まれば、余計な圧力がかかる」
「わかった。では、まずはマリエッタたちから」
私の胸に、小さな火が灯った。
一人じゃない。
みんながいる。
***
翌日、職人街の工房前で、私たちは少し複雑な顔をした参加者たちを待ち受けた。
マリエッタ、アレックス、そしてツアーに参加した他の三人。合計五人が、不安と期待の入り混じった表情で立っていた。
「…説明してよ、クローディア」
マリエッタが、真っ先に口を開いた。
「いきなり『王様の秘命だ』なんて…冗談でしょ?」
「残念ながら、本当なんだ」
私が、簡潔に説明した。王の試練、一ヶ月の期限、そして私たちに許された手段。
一同が呆然とした。
「…つまり」
アレックスが、ゆっくりと言葉を選んだ。
「俺たち学生が、一ヶ月で、あの工房を自立させろ、と?」
「そう。しかも、金も権力も使わずに」
「…無茶すぎる」
「わかってる。でも、やるしかない」
私は、一人一人の目を見つめた。
「手伝ってほしい。別に、強制じゃない。できる範囲でいい。でも…」
「…でも?」
マリエッタが聞き返した。
「…この前、君が言ってたよね。『好きなことを堂々と話せるのが羨ましい』って」
「…ええ」
「今が、そのチャンスかもしれない。自分の好きなこと、興味のあることを、誰かを助けるために使うって」
マリエッタの目が、ぱちりと動いた。
「…私、染色の記録を整理してた。それが…役に立つの?」
「絶対に立つ。ルナもそう言ってる」
ルナが、熱心にうなずいた。
「マリエッタ様が作られた索引、本当にわかりやすいです。あれがなければ、古い染め方の記録を探すのに、何倍も時間がかかったと思います」
「…そう」
マリエッタの頬が、少し赤らんだ。
「…じゃあ、私にできること、やる」
「アレックスは?」
私は彼を見た。
「…俺、金属細工の家だけど…織物には詳しくない」
「でも、ものづくりの苦労はわかるだろ? それに、君は領地で市場を開く計画を立ててたよね?」
「…まあな」
「その知識、役立つかもしれない。販路のこととか、材料の調達とか」
アレックスは腕を組み、考え込んだ。
「…わかった。手伝うよ。でも、期待しすぎるなよ」
「ありがとう!」
他の三人も、それぞれにうなずいた。陶器屋の娘は「焼き物の釉薬の知識が、染料の定着に応用できるかも」と言い、薬草に詳しい少年は「植物性染料の原料になる野草を探せる」と話した。
「…では、中に入ろう」
レオンハルトが、工房の扉をノックした。
***
リリアと彼女の祖母、エルマは、私たちの訪問に驚いた。
「まあ…また、いらしてくださったんですか?」
「ええ。でも今日は、ただの見学じゃない」
私は、王の試練のことは伏せて、こう言った。
「この工房が、ずっと続いていってほしい。だから、私たちにできることを手伝わせてほしいんです」
リリアとエルマは、顔を見合わせた。
「…ありがたいお申し出です。でも、お嬢様方には…」
「私たちは、学園で様々なことを学んでいます。その知識が、少しでも役に立てば」
ルナが、そっと資料の束を差し出した。
「これは…古い染色技法の記録です。魔法糸がなくても、美しく丈夫な布が織れるかもしれない方法が、いくつか載っています」
エルマの目が、見開かれた。
「…こ、これは…『失われた七つの染め』の記録ではないか!」
「え?」
「伝説の染色法です! 百年前に途絶えたと聞いていましたが…」
「学園の図書室の、一番古い書架にありました」
ルナが嬉しそうに説明する。
「魔法が普及する前に、人々がどうやって美しい布を織っていたか…その知恵が、たくさん眠っているんです」
リリアが、その資料を貪るように見始めた。
「…これなら…これならできるかもしれない!」
「でも、問題はある」
シオンが冷静に口を挟んだ。
「古い技法は、時間がかかる。材料も、今では手に入りにくいものがある。そして何より…」
彼は、工房の内装を見回した。
「…この工房の設備では、対応できない可能性が高い」
確かに。工房はこじんまりとしていて、古い織機が一台あるだけだ。
「…設備か」
アレックスが腕を組んだ。
「うちの工房に、使ってない古い織機が何台かある。修理すれば使えるかもしれない」
「でも、運ぶのにお金が…」
「いや、学生の『実習』っていう名目で借りられないか? 学園の倉庫に、使ってない機材がたくさんあるはずだ」
マリエッタが目を輝かせた。
「それ、いいかも! 父親が学園の理事をしてるから、交渉してみる!」
「…ちょっと待って」
レオンハルトが、低く言った。
「それって、間接的な金の使用にならないか?」
一同が沈黙した。
「…確かに」
シオンがうなずいた。
「物資の無償提供は、実質的な金銭的価値がある。王の条件に抵触する可能性が高い」
「でも…」
リリアが、泣きそうな声で言った。
「設備がなければ、どんなに良い技術も…」
その時、エルマが静かに口を開いた。
「…みんな、ありがとう。でも、もういいのよ」
「おばあちゃん!?」
「無理をして、あなたたちまで巻き込むわけにはいかない。私たちは、私たちでなんとかするから」
「でも…!」
「いいの」
エルマの目は、優しく、しかし諦めに満ちていた。
「長く生きてきたからわかるのよ。この世界は、そんなに甘くないって」
その言葉に、私は胸が締め付けられた。
(…この諦めが、『壁』なんだ)
(長年の現実が、人から挑戦する気持ちを奪っていく)
「…エルマさん」
私は、一歩前に出た。
「あなたは、百年続いた技法が、この資料に書かれているのを見て、どう思いました?」
「…どう思ったか、って…」
「嬉しくなかったですか? 希望が持てた気がしなかったですか?」
エルマは、うつむいた。
「…嬉しかったよ。でも…」
「それで十分です」
私は、にっこり笑った。
「希望さえあれば、方法はきっと見つかる。設備がなくても、まずは小さく始めればいい。手織りで試作品を作るとか、材料の研究をするとか」
「…小さく?」
「ええ。私たち学生が、『研究プロジェクト』として、あなたたちの技術を学ばせてもらう。その過程で、必要な設備がわかってくるかもしれない」
シオンの目が輝いた。
「…学術研究という名目なら、学園の資源をある程度使える。特に、記録の調査や材料の分析は」
「それだ!」
私は手を叩いた。
「まずは、私たちが学生の研究として、この技法を再現してみる。その成果を、工房に還元する」
ルナが、熱心にうなずいた。
「それなら、王様の条件にも抵触しません。知識の共有と、その実践的な検証です」
エルマとリリアは、顔を見合わせた。
「…本当に…いいんですか?」
「いいどころか、むしろ私たちの勉強になります」
マリエッタが言った。
「私は、染色の記録を整理するのが好きです。それが、実際に役立つってわかったら…すごく嬉しい」
「俺も、ものづくりの新しい知識は欲しい」
アレックスが笑った。
「家の仕事ばかりじゃ、視野が狭まるからな」
リリアの目に、涙が光った。
「…ありがとう。本当に…ありがとう」
「では、作戦決まり!」
私は、皆を見渡した。
「私たちは今から『匠の技復興プロジェクト』を立ち上げます! 目的は、古い技法の記録を実際に試し、現代に蘇らせること!」
一同が、笑顔でうなずいた。
レオンハルトが、そっと私に囁いた。
「…お前は、本当に人を巻き込むのが上手いな」
「だって、一人じゃ何もできないから」
「…ふん」
彼の口元が、ほんのり緩んだ。
外はもう夕方だった。工房を出る時、リリアが私の袖を引いた。
「…クローディア様」
「ん?」
「…あの『王様の試練』の話、本当ですよね?」
私は、目を見開いた。
「…バレてた?」
「ええ。だって、突然みんなが本気で動き出したから。普通の学生のボランティアじゃ、ここまで熱心にならない」
リリアは、真剣な目で私を見た。
「…私、絶対に成功させます。あなたたちの期待に、応えたいから」
「…うん。一緒に頑張ろう」
手を握り合った。彼女の手は、小さな傷で覆われていたが、温かくて力強かった。
学園に戻る馬車の中、私は思った。
(これが、『住人』になるってことか)
責任を感じ、人を信頼し、共に歩む。
観光客の気軽さは、もうない。
でも…
(…こっちの方が、ずっと楽しい)
隣で、レオンハルトが目を閉じている。彼の横顔は、少し疲れているように見えたが、どこか満足げでもあった。
窓の外、職人街の灯りが一つ、また一つと灯りていた。
一ヶ月。
短い。
でも、始められた。
さあ、明日から本格的に動き出す。




