第十二章:王宮という迷宮、そして観光客の答え
王宮へ向かう馬車の中で、私は何度も深呼吸をした。
「…緊張するな」
「当たり前でしょ。王様に会うんだよ? 人生で一番の大観光だ」
レオンハルトは、私の隣で微動だにしない。彼は今日、式服を着ている。金の刺繍が施された深紅の外套が、皇子としての威厳を際立たせていた。
「作法は覚えたか?」
「はい。お茶のいただき方、お辞儀の角度、話すときの目線…全部頭に叩き込みました」
「…それでも、足りないかもしれん」
「え?」
「父王は、人の本質を見抜くのに長けている。形式だけ整えても、意味はない」
彼の側顔が、少し険しい。
「…朕がいる。何かあれば、朕がかばう」
「殿下…」
「黙ってついて来い。観光客のように振る舞うな。今は、ヴァンデルート公爵家の令嬢だ」
「…はい」
私は、襟元を整えた。今日のために用意されたドレスは、悪役令嬢らしい派手さは抑えられ、上品な淡い青色だった。エリザが「殿下がお選びになった」と言っていた。
馬車が王宮の門を通り抜ける。
「…わあ」
思わず声が漏れた。
ゲームで見た以上に、圧倒的なスケールだった。白亜の城壁がどこまでも続き、庭園は幾何学的な美しさで整えられている。衛兵たちの鎧が、太陽の光を反射してきらめく。
「ここが…あなたの家?」
「家、ではない。王宮だ」
レオンハルトの声は、どこか冷たい。
「住まいではあるが…家と呼ぶには、冷たすぎる場所だ」
その言葉に、私は彼の横顔を見た。彼の目は、慣れ親しんだ景色を見るようでありながら、どこか距離を置いているようにも見えた。
広間への扉の前で、彼が立ち止まった。
「…最後に一言」
「はい」
「お前のままでいい。無理に演じようとするな。それが…お前の最大の武器だ」
扉が開いた。
***
広間は、思った以上にこぢんまりとしていた。とはいえ、天井のフレスコ画や、壁に掛けられた歴代国王の肖像画が、その小ささを圧倒的な威厳で補っていた。
「来たか」
部屋の中央の椅子に、一人の男性が座っていた。
アルバート三世。この国の王だ。
ゲームでは、終盤にしか登場しないキャラクターだった。その彼が、今、目の前にいる。
「父王。お連れしました」
レオハルトが深くお辞儀をする。私も、教えられた通りに丁寧にお辞儀をした。
「…それが、噂の少女か」
王の声は、低く、重かった。彼の目は、鷹のように鋭い。
「クローディア・ヴァンデルートと申します。本日は、光栄なお招きをいただき、誠にありがとうございます」
「礼儀正しいな。レオンが厳しく仕込んだか?」
「…いえ、私が勉強しました。殿下は、優しい指導者です」
一瞬、レオンハルトの眉が動いた。王の口元が、ほんのり緩んだ。
「ふむ。では、座れ。緊張するだろう。紅茶を用意させた」
私たちは、王の向かいに設えられた席に腰を下ろした。無言で給仕が紅茶を注ぐ。
「…聞いているぞ、お前の話を」
王が口を開いた。
「学園で、『観光』と称して様々なことを始めた。身分を超えた交流を促し、伝統的な秩序に風穴を開けている、と」
「…はい」
「なぜだ?」
その問いは、直球すぎて逆に答えやすかった。
「この世界が、美しくて面白いからです」
「…美しくて、面白い?」
「はい。学園の時計塔から見る景色も、職人街の職人さんの技術も、市場で食べるパイの味も…全部、知れば知るほどに、もっと知りたくなるんです」
私は、紅茶のカップをそっと手に取った。
「でも、それだけじゃない。美しいものの裏には、苦労もある。職人さんたちが安い輸入品に押されて困っているのも知りました」
「…そして?」
「だから、何か手伝えないかな、と思ったんです。私にできることは少ないけど…せめて、知っていることを共有するとか、みんなで考えるきっかけを作るとか」
王は、じっと私を見つめていた。
「…お前は、ヴァンデルート家の令嬢だ。貴族の義務は何だと思う?」
「…領民を治め、王国に尽くすことだと思います」
「では、お前の行動は、それにかなっているか?」
「…私は、まだよくわかりません。でも…」
私は、胸に手を当てた。
「…目の前の人が困っていたら助けたい。この世界が、もっと皆が笑って過ごせる場所になってほしい。それが、今の私にできることだと思うんです」
沈黙が流れた。
レオンハルトが、静かに口を開いた。
「…父王。彼女の言葉には、偽りがありません」
「…わかっている」
王は、ゆっくりと紅茶を一口すすった。
「…レオン」
「はい」
「お前も変わったな」
レオンハルトの背筋が、わずかに緊張した。
「…そうですか」
「以前のお前なら、こんな『無秩序』を許さなかった。ましてや、推進するなどありえん」
「…ええ。かつての私なら、です」
「何がお前を変えた?」
レオンハルトは、一瞬目を伏せた。
「…彼女の、ひたむきさです。役割から解放され、ただ純粋にこの世界を見つめ、楽しみ、そして関わろうとするその姿勢が…」
彼の声が、低く響いた。
「…私に、忘れていたものを思い出させてくれました」
「何を?」
「この国を治めるとは、単に秩序を維持することではない、と。人々が生き生きと暮らせる土壌を作ることでもある、と」
王の目が、細くなった。
「…それは、理想論だ」
「ええ。しかし、理想なくして何のための統治でしょうか」
「現実は、厳しい」
「承知しています。だからこそ、彼女のような存在が必要なのです。現実に風穴を開け、新たな可能性を示す…そんな存在が」
私は、息を詰めて二人の対話を聞いていた。
(…殿下が、そんな風に思ってたんだ)
王が、深いため息をついた。
「…クローディア・ヴァンデルート」
「はい!」
「お前の『観光』は、王国に新たな潮流を生み出しつつある。それは、良いことかもしれん。しかし…」
彼の目が、鋭く光った。
「…お前が知るべきことがある。この国には、動かせない『壁』がある。お前の無邪気さでは、突破できないほどの」
「…壁?」
「身分制度。貴族の特権。長年に渡る因習。お前が触れようとしているものは、そういったものだ」
王は立ち上がり、窓辺へ歩み寄った。
「この部屋から見える庭園。あれは、百年かけて形作られたものだ。一本の木、一つの花でさえ、役割が決まっている。それを無闇に動かせば、全体の調和が崩れる」
「でも…」
「聞け」
王の声が、重く響いた。
「お前がもし、本気でこの国を変えたいと思うなら…『観光客』ではいられなくなる。住人となり、責任を引き受け、時には汚れ役も務めねばならぬ」
私は、言葉を失った。
「…覚悟はあるか?」
その問いかけは、レオンハルトのものより、はるかに重かった。
「…まだ、わかりません」
私は、正直に答えた。
「でも、一つだけ言えます。私は…この世界が好きです。ここにいる人たちが好きです。だから、傍観者ではいたくない」
「…ふむ」
王は、振り返った。その表情は、厳しいままだったが、どこか納得しているようでもあった。
「…では、一つ試してみよう」
「試し?」
「あの職人街の問題だ。お前が関わっている織物工房の件、朕も聞いている。あれを、解決してみせよ」
「…私が?」
「ええ。王家の力を借りず、朕の権威も使わず。お前と、お前が集めた仲間たちの力だけで」
レオハルトが、一歩前に出た。
「父王、それは…」
「黙れ。これは、彼女への問いだ」
王の目は、私を貫いていた。
「期限は一ヶ月。その間に、あの工房が自立できる道筋を示せ。できなければ…」
「…『観光』は終わり、ですか?」
「終わりではない。だが、現実の厳しさを学ぶ良い機会になるだろう」
私は、じっと考えた。
(無理だ…そんなの…)
(でも…)
リリアの泣き腫らした目が浮かんだ。彼女の「諦めない」という言葉が蘇った。
「…やります」
「…そうか」
「でも、一つお願いがあります」
「何だ?」
「『王家の力を借りず』という条件ですが…知識の共有は、含まれますか?」
王の眉が動いた。
「…知識?」
「はい。図書室の記録や、学園で得た知識を、彼らと共有することは」
「…構わん。だが、金や権力は使うな」
「わかりました。それで十分です」
私は、立ち上がり、深くお辞儀をした。
「一ヶ月後、必ず成果をお見せします」
「…では、期待しているぞ」
王は、再び椅子に座り、紅茶に手を伸ばした。
「…レオン」
「はい」
「彼女を、見守れ。だが、手を出すな。これは、彼女の試練だ」
「…承知しました」
レオンハルトの声には、不本意さがにじんでいた。
***
馬車で学園に戻る道中、私は黙り込んでいた。
「…無謀な挑戦を受けたな」
レオンハルトが言った。
「…ええ」
「なぜ、引き受けた?」
「…だって」
私は、窓の外を見つめた。王都の街並みが流れていく。
「…あの工房の人たちが、本当に頑張っているから。ルナが、必死に記録を探しているから。そして…」
振り向き、彼を見た。
「…殿下が、私を信じてくれてるから」
「…朕は、何も」
「信じてくれてます。でなければ、こんな危険な試練に、黙って見ていろなんて言わない」
レオハルトは、言葉を詰まらせた。
「…馬鹿め」
「ええ、馬鹿です。でも、馬鹿だからこそ、できることもあると思うんです」
私は、拳を握りしめた。
「やってみます。私にできることを、精一杯」
「…もし、困ったことがあれば…」
「知識の共有は、許されてますよね?」
「…ああ」
「では、殿下の知識も、少しだけお借りします。王宮の図書室には、民間にはない記録もあるでしょう?」
レオンハルトの目が、少し見開かれた。
「…ずるい女だ」
「観光客は、地元の知恵を借りるのが得意なんです」
私は、にっこり笑った。
馬車が学園の門に着いた。
降りる時、レオンハルトが私の腕をそっと掴んだ。
「…クローディア」
「ん?」
「…無理はするな。お前が潰れるようなことがあれば、朕が父王に楯突いてでも止める」
その言葉に、胸が熱くなった。
「…ありがとう。でも、大丈夫」
私は、彼の手を優しく払いのけた。
「私には、仲間がいますから」
彼は、私の目をじっと見つめ、ゆっくりとうなずいた。
「…では、行け。明日から、戦いが始まる」
「はい!」
私は、軽やかに馬車から飛び降りた。
夕日が、学園を茜色に染めていた。
王宮という迷宮を、無事に抜け出した。
でも、本当の試練は、これからだ。
一ヶ月。
たった一ヶ月で、何ができる?
(…わからない)
でも、やるしかない。
だって、もう後戻りできないから。
私は、走り出した。
図書室へ。
ルナが、きっとまだいる。
彼女に、このことを伝えなければ。
そして、みんなで、考えよう。
王様が出した課題を。
この世界の「壁」を、どう越えるかを。
足音が、石畳に響く。
心臓は、緊張で高鳴っているが…
なぜか、わくわくもしている。
さあ、観光客の、新たな冒険が。




