第十章:職人街の光と影、そして観光客の気づき
一週間後。王都に一番近い門をくぐり、私たちは「職人街」へと足を踏み入れた。
「…ここか」
レオンハルトが、鋭い目で周囲を見渡す。彼の背後には、シオン、ルナ、そして選ばれた八人の参加者たち。今回は、前回よりさらに厳格な申し込み審査を経ている。
「うわあ…」
私が息を呑んだ。
石畳の道の両側に、小さな工房がひしめき合っている。槌の音、織機の音、窯の中の火の音。それらが交じり合い、生き物のような息吹を奏でていた。
「ここは『匠の小路』です」
シオンが説明する。
「王都で最も古くからある職人街の一つ。各家が代々の技術を守りながら、新しい試みもしています」
「いい匂い…」
ルナが、目を閉じた。
「木の香り…染料の匂い…焼き物の土の匂い…」
「君、嗅覚が鋭いな」
シオンが感心した。
「私は…記録で読んだんです。『匠の小路の朝は、百の素材の香りで目覚める』って」
「その通りだ」
私たちは、最初の工房へと向かった。木彫りの看板がぶら下がる、小さな店だ。
「おや、お客様ですか?」
中から、髪の白い老人が出てきた。彼の手は、無数の細かい傷で覆われていた。
「こんにちは。ロイヤル・ソレイユ学園から参りました。見学をお願いできますか?」
私が頭を下げた。
老人の目が、私たちの制服を見て、少し警戒したように細まった。
「学園の…お坊ちゃま、お嬢ちゃまが、こんなところに?」
「はい。皆さんがどんな風にものづくりをされているか、学びに来ました」
「…ふうん」
彼は、私たちをじっと見た。その視線は、私たちの意図を量っているようだった。
「…わかった。だが、邪魔はするなよ。作業の邪魔になるからな」
「はい! ありがとうございます!」
工房の中は、木屑の香りが濃厚だった。壁には、大小様々な彫刻刀が掛けられている。
老人は、小さな木片を手に取り、彫刻刀を握った。
「見てろよ。これはな、百年杉って木だ。年輪が詰まってて、堅いんだが…」
ぽん、ぽん、と軽やかな音。
彫刻刀が踊る。木屑が舞う。ほんの数分で、木片は小さな鳥の形になった。
「…すごい」
参加者の一人が呟いた。
「魔法とか使ってないの?」
「使わん。魔法はな、素材そのものを変えてしまう。でも、俺たちの仕事は、素材の声を聞きながら、中に眠ってる形を引き出すことだ」
彼は、仕上げにやすりをかけた。
「ほら、できた」
それは、羽ばたこうとする瞬間の小鳥だった。目に命が宿っているようだ。
「…売ってますか?」
私が思わず聞いた。
老人は、私を一瞥した。
「売るもんじゃない。見学のお礼だ。持って行け」
「え、でも…」
「いいから受け取れ。若い娘が、こんなものに目を輝かせるなんて…久しぶりだ」
彼は、照れくさそうにうつむいた。
私は、そっと小鳥を受け取った。手のひらに、木の温もりと、職人の思いが伝わってくるようだった。
「…ありがとうございます」
「次は織物工房に行きましょう」
シオンが促した。
外に出ると、レオハルトが私に近づいた。
「…大事にしろ。あれは、職人の魂だ」
「…わかってます」
私の手の中の小鳥は、ほんのり温かかった。
***
織物工房では、別の現実が待っていた。
「…来ないで!」
鋭い女性の声が、工房の中から響いた。
私たちが足を止めると、中から若い女性が飛び出してきた。彼女の目は、泣き腫らしていた。
「もう、ここには何もないって言ってるでしょ!」
「リリア、落ち着け」
後から、年配の女性が出てきた。彼女は私たちを見て、疲れたようにうなずいた。
「すみません…今日は、ご覧の様子で…」
「どうかなさいましたか?」
ルナが心配そうに尋ねた。
年配の女性は、ため息をついた。
「…仕入れ先から、魔法糸の供給を止められたんです。『もっと安く仕入れるところがある』って」
「魔法糸?」
「ええ。特殊な魔力を帯びた糸で、織り上げると丈夫で美しい布になるんです。うちは三代に渡って、その糸を使ってきましたが…」
彼女の声が詰まった。
「…新しい仕入れ先は、質が悪い。すぐに切れるし、色も褪せる。でも、契約を断れば、もうどこからも糸を買えなくなるんです」
「それは…」
「独占だ」
シオンが冷たく言った。
「安価で質の悪い商品で市場を埋め尽くし、伝統的な仕入れルートを潰す。よくある手口です」
「どうして…そんなことが?」
私が聞いた。
「利益のためです。そして…」
シオンの目が、鋭く光った。
「…職人たちの『独立性』を奪うためでもあります。従属させれば、安くこき使えますから」
参加者たちが、ざわめいた。彼らは、美しいものづくりの裏側にある、こんな現実を知らなかった。
「…朕は聞いている」
レオンハルトが口を開いた。
「この街では、最近そんなことが増えていると」
年配の女性が、うなずいた。
「はい。特に、私たちのような小規模な工房は…もう、続けられないかもしれません」
その時、リリアが叫んだ。
「私は諦めない! おばあちゃんが、お母さんが守ってきたこの工房を!」
「リリア…」
「魔法糸がダメなら、普通の糸で最高の布を織ってみせる! それでダメなら…他の方法を考える!」
彼女の目には、涙とともに、強い決意が燃えていた。
「…リリアさん」
ルナが、一歩前に出た。
「私…図書室で、古い織物の記録を読んでいます。魔法糸が普及する前の、天然素材だけを使った製法とか…」
「…え?」
「もしよかったら…その記録、見せてあげてもいいですか? 役に立つかわかりませんが…」
リリアの目が、ぱっと開かれた。
「…本当に?」
「はい! 私、ここに来る前に、いくつか写しを取ってきました!」
ルナは、バッグから羊皮紙の束を取り出した。
「これは…『古式藍染めの技法』…これは『蜘蛛の糸と麻の混合織り』…」
「わあ…こんなの、見たことない…」
リリアの目が、記録に釘付けになった。
年配の女性も、驚いて近づいた。
「これ…本当に学園の図書室にあるのかい?」
「はい! でも、誰も読まないんです。皆、新しい魔法技術ばかり気にして…」
「馬鹿な…こんな価値ある技術が…」
二人は、夢中で記録を見始めた。
参加者たちも、その様子を見守っている。マリエッタが、そっと私に言った。
「…ルナさん、すごいわね」
「うん。彼女の知識が、誰かを助けられるなんて…」
胸が熱くなった。
「…これは、いいことか?」
レオンハルトが、低く呟いた。
「え?」
「学園の知識を、外部に流出させる。規則に照らせば、問題がある」
「でも、役に立つなら…」
「朕は、規則を問うている。お前の感情を、ではない」
彼の目は、冷徹だった。
「しかし…」
一呼吸置いて、彼は続けた。
「…朕個人としては、これが正しいと思う。知識は、眠らせておくためではなく、活かすためのものだ」
「殿下…」
「だが、言っておく。これは正式な記録ではない。あくまで、個人間の情報交換だ。わかったな?」
「…はい!」
私は、にっこり笑った。
(彼も、変わってる)
***
昼食は、職人街の小さな食堂で取った。
「ここは、職人たちが集まる店です」
シオンが説明する。
「安くて、量が多くて、美味しい。地元の人のみが知る名店です」
店内は活気に満ちていた。職人たちの笑い声、仕事の話、家族の話が飛び交う。
私たちは、長いテーブルを一つ占領した。
「…ねえ、さっきの織物工房のこと」
マリエッタが、小声で言った。
「ああいうことって、他にもあるの?」
「あるよ」
答えたのは、参加者の一人の男子生徒だった。
「僕の家は、金属細工をやってるんだけど…最近、安い輸入品に押されてて」
「うちも」
別の女子生徒が言った。
「陶器屋なんだけど、魔法で大量生産した安物ばかりが売れて…」
次々に、声が上がった。
「私はてっきり、職人さんたちは皆、のんびり好きなもの作ってるんだと思ってた」
「私も…現実は、厳しいんだね」
参加者たちの顔が、少し曇った。
「…でも、さっきのリリアさんみたいに、諦めない人もいる」
ルナが言った。
「新しい方法を探す。伝統を守りつつ、変化する。それも、職人の技だと思います」
「…そうだな」
男子生徒がうなずいた。
「僕も、家の仕事を馬鹿にしていたけど…考え直さなきゃ」
「私も、何か手伝えないかな…」
会話が弾み始めた。身分の差など、もうどこかへ吹き飛んでいる。
その時、食堂の主人が大きな鍋を運んできた。
「ほら、今日のスペシャルだ! 匠の小路名物、大鍋シチュー!」
「わあ! すごい匂い!」
「皆で食べるから、たっぷり取れよ!」
私は、参加者たちに笑いかけた。
「さあ、いただきましょう! これも、観光の楽しみの一つ!」
一同が、嬉しそうに取り分け始めた。
レオンハルトは、少し離れて一人で食べていた。だが、その口元は、ほんのり緩んでいた。
シオンが、私にそっと話しかけた。
「…見てください」
「ん?」
「彼らが話している内容を」
私は耳を澄ませた。
「…この織り方、うちでも試せるかも」
「それなら、こっちの染料の配合が…」
「魔法を使わない製法、もっと調べてみたい」
彼らは、もうツアーのことなど忘れ、職人街の未来について熱く語り合っていた。
「…化学反応が起きていますね」
シオンの目が、輝いていた。
「単なる『見学』が、『関わり』へと変化している。予想以上の成果です」
「うん…でも、これで終わりじゃないよね」
「ええ。むしろ、始まりです。彼らが学園に戻り、それぞれの立場で何かを考え始める。その波紋が…」
シオンは、レオハルトを見た。
「…殿下の言う『大きなうねり』になるかもしれません」
私は、手の中の木彫りの小鳥をそっとなでた。
(観光って、ただ楽しいだけじゃない)
(美しいものの裏には、苦労がある。それを知って、何かを感じて…それも、観光なんだ)
***
帰り道。門の前で、リリアが駆け寄ってきた。
「待って!」
「リリアさん?」
彼女は、息を切らしながら、小さな包みを差し出した。
「これ…お礼です。まだ試作品だけど…」
包みを開くと、そこにはハンカチがあった。藍色に染められた布に、銀の糸で小鳥が刺繍されている。
「わあ…美しい」
「ルナさんがくれた記録の技法で、試しに染めてみたんです。刺繍は…あの木彫りを見て、思いついて」
リリアの頬が、少し赤らんだ。
「私も…諦めない。新しい道を、探してみる」
「…ありがとう。大切にするね」
「いいえ、私こそありがとう。工房に、久しぶりに希望ができたから」
彼女は深く頭を下げ、走り去った。
学園に戻る馬車の中で、私はみんなに聞いた。
「今日の観光、どうだった?」
「…目が覚めた気分です」
一人の生徒が答えた。
「今まで、何も見えてなかった」
「私も。でも、これからは…違う見方ができるかもしれない」
参加者たちの目は、確かに何かを得た輝きに満ちていた。
ルナは、満足そうにうなずいていた。シオンは、記録を取る手を休めない。レオハルトは、黙って窓の外を見つめていた。
夕日が、職人街を黄金色に染めていた。
槌の音、織機の音が、遠くから聞こえてくるようだった。
私は、ハンカチを胸に当てた。
小鳥の刺繍が、ほんのり温かかった。
(よし)
心の中で、強く思った。
(私は、ただの観光客じゃない)
(この世界の美しさも、苦しさも、全部受け止めて…)
(そして、ほんの少しでも、良くする手伝いがしたい)
馬車が学園の門を通り過ぎる。
今日一日で、私たちは確実に変わった。
観光客から、住民へ。
傍観者から、関わる者へ。
この変化が、どこへ向かうのか—
まだ、誰にもわからない。
でも、確かなことが一つ。
もう、後戻りはできない。
さあ、明日から。
新しい目で、この世界を見よう。




