宣告
「うつ病ですね」
狭い診察室で、女性の医者は柔らかい声でゆっくりとそう告げた。
真夏の午後。
診察室には、先程まで俺の面談をしていたソーシャルワーカーと、医者の3人しかいない。
蝉の鳴き声が、五月蝿い。
俺は、上手く声が出せずに、ひどく擦れた声で医者に聞き返した。
「うつ病・・・ですか?なぜ?」
医者は、噛んで含めるようにさらに柔らかい声音でひとつひとつ症状を読み上げる。
「ご専門の分野でしょうから、あまり詳細には説明は必要ないと思いますが」
医者の声が遠のく。
最近、あまり眠れていないのと、物忘れが多い事から産業医の検診を受けたのが2ヶ月前。
その場で、この精神科を紹介された。
しかし、多忙のあまり3ヶ月以上もまともな休みが取れていない中で、平日に通院するのは不可能だったせいもあり、放っておいた。
ただの疲労だと思っていた。
仕事柄、家に帰って寝ていても、問題が発生すれば深夜や明け方に容赦なく叩き起こされる。
そのうち、眠りが浅くなる。
妻や子供の寝顔を横目に、布団の中で携帯を使うような日々が続いていた。
会社に行けば、朝から夜遅くまで書類や現場対応に追われ、あわせて打ち合わせや会議や面接などもあり、多忙と言う言葉がとても似合う毎日だ。
この歳になれば、それなりの責任があるのは当たり前だし、数字は右肩上がりなのだから、休めないのも当然だろうと感じていた。
しかし、眠れない。
そして、小さなミスが増え始め、やがて、大きなミスへと変わっていった。
昨日会った人物を覚えていない。
車のルートが覚えられない。
申請書類を忘れ、上司への報告を忘れ、クレーム処理を誤る。
当然、下からも上からも責められる。
ますます眠れなくなり、食事が喉を通らなくなる。
産業医から上司に相談があり、今日、こうして精神科という重いドアを開けた。
ソーシャルワーカーとの面談中、話しながらなぜだか涙が止まらない。
感情失禁という症状だ。
それは、わかる。
しかし、極度の疲労や、精神不安でも見られる症状だ。
別にうつ病だからそうなるわけじゃない。
医者の声が、急に近くに聞こえる。
強く名前を呼ばれて、慌てて返事をしたが、何を話されたのか理解ができない。
「すみませんが、ご家族と一緒にもう一度説明を受けて貰えますか?」
家族?
妻・・・ということか・・・。
生返事をして、俺は診察室を出た。
待合室の堅いソファに腰を下ろす。
ソーシャルワーカーが、妻の携帯の番号を聞きだし、事務室へ消えた。
妻は、どんな顔をするだろうか・・・。
俺は、そのことばかりが気になってしまう。
うつ病。
言葉はよく聞くが、俺が詳しいのは高齢者の認知症状に伴う、うつ症状だ。
中年男性のうつ病など、わけがわからない。
頭の中が、妻の顔と娘の顔でいっぱいになった。
続いて、上司や同僚や部下の顔が浮かぶ。
「どうしよう・・・」
宣告された病名に対する感想は、ただこれだけだった。