六.入口
MEのお客様の声収集も私の仕事のうちの一つである。基本的には感謝の声が多数だが、最近来る優さんという方の口コミが気になっている。そこには
〝成長している気がしない〟
というようなご意見が何通か届いていた。ご意見フォームにはグッドかバッドもつけるところがあるが、その優さんからのご意見にはそのどちらもついていなかった。私はあまり気にも留めず、その声をスルーした。成長なんかするわけがない。自分にない記憶を垣間見て快楽を提供しているだけなのだから。さて、今日は何の記憶を体験しようか。先週はフレンチのフルコース、その前は遊園地のジェットコースター。実際にいま行われているようなリアリティ、これが家で味わえるのは本当に素晴らしい進化だと思う。ふと、社長から渡されたものを思い出した。茶色い紙袋をガサっと開ける。
『【刺】2045年(試作)』
物騒なタイトルに少し気が引ける。しかし、これもおそらく新商品なので提供する側の人間として知りませんではいけない。手に取ったタイトルを読み込ませる。世界が少しずつ薄暗くなっていく。これがMEを使ったときの感覚。死に際、パトラッシュがゆっくりと眠りにつくようにスーッと意識が遠のいてゆく———
目を覚ますと薄暗い公園にいた。数十メートルおきに置かれている街灯では、しっかりとあたりを照らすには心もとないように感じる。どこか見たことがあるようなないようなそんなことを考えながら自分の手元を見ると、刃渡り約十五センチの包丁が一丁。そうだ、自分はいまMEの中にいるんだ。ある種の明晰夢のような状態を感じつつ、自らの思考に従う。自分は今、ある女性を殺そうとしている。その人は私の親友と二股をし、親友を選んだ女。死んで当然である。自分の中にある恨みの感情が沸々と湧き上がってくる。ふわっと香った香りに記憶がヒットする。
「あの女だ。」
足音に合わせ、こちらも歩くペースを調整する。気付かれないように二メートルの距離まで近づいた。
ドプッ。
柔らかい肉に刃物が突き刺さる感触と同時、生温かいものが手を包む感覚を感じた。真っ赤な液体がじわじわと溢れ出してくる。彼女の衣服が徐々に鮮紅色が染められていく。
「綺麗だ。」
そう感じたときには私は彼女に馬乗りになっていた。鮮やかに染まる赤とは対照的に真っ白になったその顔面非常に美しく、うっとり見惚れてしまっていた。
「もっときれいにしてあげるね。」
私は宣言通り、体の中心、心臓あたりに包丁を突き立てる。衝撃が急に伝わらないよう、秒速一センチメートルのペースで少しずつ刃を入れていく。目を見開き、驚いた表情をする彼女もいとおしく思えてきたころだった。気付くとそこには寝起きの空が瞼をこすっていた。小鳥の囀りで朝に戻される。私は———。
はっと我に返ると朝になっていた。私はMEを付けたまま眠ってしまっていたようだった。そうだ、あの公園って、と思い出した私は半開きの目をこすりながら冷水で顔を洗う。冷たさと昨日の生温かさに違和感を覚えながら玄関を出たのであった。