29 帰省
すこし長い回になりました。
忙しい年末年始を超えて旅館は普段通りの営業状態に戻り、沙菜は一旦帰省することになった。結局年末の帰省は実現できなかった。年末年始の旅館はフル稼働だった。
今回は洋太も一緒に行って、沙菜よりも一足早く帰るスケジュールでの帰省となる。
列車を乗り継いで沙菜の故郷の駅に降り立った。さすがの大都会で、洋太は人の多さにクラクラしてきた。改札を出て沙菜の両親と合流して、移動中にも、車の多さに驚いた。
「洋太さんは初めてなんだっけ?」
義父が運転しながら話しかけてきた。
「はい。ここでは車の運転が出来そうにないです。怖く感じます」
「ははは。まあ、慣れだよ。時々気合が要るけど」
「気合ですか……」
洋太は外のビル街を眺めながら車の運転中に気合を入れたことはないなあと思いつつ呟いた。
やがて、沙菜が元住んでいたマンションに着いた。駐車場に車を入れてから車を降りて、マンションのエントランスに向かう。洋太は都会のマンションに入るのは初めてで緊張しているが、沙菜は特に様子に変化は無い様に見える。
エレベーターを降りていよいよ玄関に着いた。ドアを開けて沙菜の両親が入り続いて沙菜、最後に洋太が玄関に入った。
「あー。懐かしい」
廊下を歩いてリビングに入った沙菜が言った。
「懐かしい?」
「うーん。何と言うか……ここに居たなーって感じ」
「あら、お嫁に行ったら冷たい事言うのね」
「違う、違う。昔の自分がだよ。今実感したの、私は変わったんだって。昔の私はもう居ないんだって。こうしてリビングに居るとここに居た頃の感覚が蘇ってるんだけど、それはああそうだったなぁって言う風に懐かしく感じている自分が居るの。お父さん、お母さん、本当にこれまでありがとう」
「沙菜……」
沙菜と両親は抱き合った。
「本当にありがとう。お父さんとお母さんのおかげでわたし、元気になったよ。幸せになったよ」
沙菜はそう言うと泣き始め、沙菜の両親も泣き始めた。
その姿を見て洋太もこれまでの沙菜とその家族の苦労を想い、涙が込み上げて来た。
「さあさあさあ、洋太さん。まずはビールから」
「あ、はい」
洋太は差し出された缶ビールにコップを合わせる。
「お酒を飲んだことはあるんだろう」
ビールを注ぎながら、沙菜の父は洋太に尋ねた。ご機嫌だ。
「父と時々ビールを飲んでます」
「そうかそうか」
「お父さん、ちょっと。強引ですよ」
「あ、大丈夫ですから」
「お父さん、息子とお酒を飲むのも夢だったもんね」
沙菜はお酒は飲まず、ウーロン茶にして他の3人はビールで乾杯をした。
沙菜の父はコップのビールをすぐに飲み干したので、洋太は義父のコップにビールを注いだ。
沙菜は父親のなんとも満足気な表情を初めて見た。
「ありがとう。さ、食べようか」
その日、沙菜の父はずっと機嫌が良かったが、あまりお酒には強くないようで、眠くなってしまい、早めに床に就いてしまった。
「お父さん、今日は楽しそうだった」
「だってお父さん、本当に息子が欲しかったのよ」
沙菜の母の表情が曇る。
「もしかして、私が居たから……」
「子供は授かりものだから」
沙菜の母は首を横に振った。
「お父さんもはっきりとは言わないけどね。でも、沙菜と洋太さんが結婚することになって、洋太さんと会うのをすごく楽しみにするようになったのよ」
「そうなんだ」
「釣り仲間だし」
「それおっきいかも。私たちじゃ釣りの話はついて行けないもんね」
「そうね」
「上がりました」
洋太が風呂から上がると、沙菜と沙菜の母は顔を見合わせた。
「お母さんが先に入って」
「わかったわ」
そう言って沙菜の母は風呂場へ向かった。
「ねえ、洋太、私の部屋見たいでしょう。見せてあげる」
そう言うと沙菜は洋太の手を引いて部屋へ連れて行った。
部屋の中は、確かに中学生の女の子の部屋に見えた。高校から洋太の地元へ来たのだから、そこで時間が止まってしまっている。ただ、女の子の部屋にしては質素な印象を受けた。勝手なイメージだが、ぬいぐるみとかかわいい小物があるのではないかと思っていたが、この部屋は違っていた。
沙菜は部屋の中を見渡しながら「苦しかったんだなー」と呟いた。
そして、ベッドに座ると「ねえ、今日一緒に寝る?」と洋太に聞いた。
「さすがに無理じゃない?」
「えーっ。一緒に寝ようよー」
「だって狭いよ」
「まあ、確かにそうね」
「それに、リビングに布団敷いてくれるって言ってた」
「ちぇっ」
沙菜の母が風呂から上がったらしく、ドアの向こうから声がした。
「じゃ、お風呂入って来るね」
そう言うと沙菜は部屋を出て風呂場へ向かった。
「もう、ここで暮らしていた沙菜とは別人になっちゃったわね。背も伸びたし。何より明るくなった」
沙菜の母は、沙菜の背中を見ながらそう言った。
「ありがとうね、洋太さん。沙菜と縁を繋いでくれて」
「そんな、こちらこそ」
「じゃ、もう寝ますね」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
沙菜の母は、そう言って寝室へ向かった。
「お母さん、もう寝ちゃったの?」
沙菜が風呂から上がって来た。
「うん」
「気を使ってくれたのかしら」
「そうかな?」
「分からないけど」
「洋太、くたびれたでしょ」
「そうかな。そうかも。もう寝ようか」
「そうね」
「おやすみ」
「おやすみ」
洋太は布団に潜り込んで、見慣れない天井を眺めているうちにいつの間にか眠ってしまった。
翌朝は人の気配で早くに目が覚めた。沙菜の母が朝食を作りにキッチンへやって来たからだ。
部屋の時計に目をやると七時近くだった。
「あら、起こしちゃったかしら」
沙菜の母ががキッチン越しに聞いてきた。
「おはようございます」
「おはようございます。よく寝れましたか?」
「はい。おかげさまで」
「よかったわ。あ、お布団はそのままそこに置いておいて」
「わかりました」
沙菜の母はそう言うとみそ汁を皿に取って味見をした。
「洋太、着替えて顔を洗っておいでよ。私の部屋使っていいから」
沙菜も起きて来た。
「うん。そうする」
洗面台で顔を洗って歯磨きをしていると、朝食のいい匂いが漂って来て、やがて目が覚めるにつれて空腹を感じる様になった。
キッチンに戻ると、沙菜が食器を並べていたので、並べるのを手伝った。
そのうちに沙菜の父も呼ばれて四人での朝食が始まった。
朝食はごはんと卵焼き、焼き魚とみそ汁という普通の朝食だった。
「お代わりしてくださいね」
「はい」
「お口に合うかしら」
「美味しいです。味噌がうちのと同じです」
「お父さんが島原の味噌が好きだから、昔からこれなんですよ」
「母さん、今日もうまいよ」
「洋太さん、お代わりどうぞ」
「あ、では、お願いします」
「沙菜はごはんちゃんと出来てるかしら」
沙菜の母は洋太に茶碗を渡しながら言った。
「しっかりやってくれてます。父の分も作ってくれてますし」
「ふふん。お母さん心配しなくても大丈夫よ」
「そうはいってもね、心配になるのよね」
「まあまあ、母さん。あんまり心配してもあれだから」
「そうね。それで、洋太さんは昼前に出るのよね」
「はい。今日は父のリハビリもあるので早めに帰ります」
「偉いわね」
「いえ」
「お土産買って帰るでしょ」
「うん」
「じゃあ。私も駅まで行って一緒に選びたい」
「うん。頼める?」
「もちろん」
お義父さんに駅まで送ってもらい、お土産をスタッフと父用に買い込んで、両手に袋を下げた洋太が列車に乗り込み、席に座って沙菜とお義父さんに手を振っている。
「たった一日居ただけなのにもう寂しくなるもんだな」
沙菜の父は手を振りながら沙菜に話しかける。
「うん」
「人を見送るのはどうして寂しいんだろう」
「ねー」
やがて洋太の乗った列車はゆっくりと走り出し、洋太と沙菜と沙菜の父はお互いに見えなくなるまで手を振っていた。
◆
「この家で親子3人水入らずは久しぶりね」
「ついこの前まで一人暮らしだったのが噓みたいに思えるよ」
「そうね」
「沙菜はすっかり大人びてしまったわね」
「だってもう結婚したんだから」
「そうか、もうこの家には子供はいないんだ」
「そういう事」
「新しい家での生活はもう慣れた?」
「うん」
「女将の仕事は大変でしょう」
「洋太とお義父さんが陰に陽に助けてくれるから何とかなってる感じかな。それに、若女将になって分かったのは先代の女将が残していってくれたものに結構助けられてるって事。姿はないんだけど、まるで一緒に働いているような不思議な感じがするの」
「そうなの」
「うん。新しい家まで用意してもらって、もうやるしかないって言うのもある」
「家の件はお母さんもびっくりしたわ。あなたが同棲から始めたいって言い出すかと思ってたから」
「そう言ってたらどうするつもりだったの?」
「さあ、どうしたかしら。でもそうはならなかったから」
「洋太、あの頃すごく悩んでて苦しそうだった。彼がカフェで泣き出したときは私も胸がキュッと苦しくなった」
「そんなことがあったの……」
「うん。私と一緒に居たいけど、力がなくてどうにも出来ないって。私の口調も良くなかったし……。それに、お義母さんが急に亡くなった事もあって、家族は一緒に居た方が良いっていう思いもあったみたい」
「そんなに苦しめてしまっていたの……。そんなつもりはなかったわ。彼に謝らなくちゃ」
「でも、もう忘れかけてるかも」
「え?」
「若い私たちは忙しいのです。立ち止まっている暇はないのです」
「まあ」
「おお」
沙菜の両親は同時に声を上げ、お互いに驚いた視線を合わせた。
「洋太は将来カフェを持ちたいんだって。練習も兼ねて毎朝コーヒーを淹れてくれるの」
「あらあら、お熱いことで」
「コーヒーだけに」
「うわ。久しぶりに聞いた」
3人は声を上げて笑った。




