23 ふたり
今日、沙菜は風邪で仕事を休んでいる。熱があるそうだ。今日は小田さんも休みなので看病については心配は要らないらしいのだが。
洋太は後で見舞いに行こうと思っているが、とりあえず目の前の仕事を片付けなくてはどうにも身動きが取れないので、仕事に精を出している。そうして、いつもは事務所に居るはずの沙菜が居なくて寂しく感じている自分に気が付いた。いつの間にか沙菜がいつも一緒に居る事が当たり前になっていることに改めて気づかされてしまった。
沙菜が居なくなってしまうと、本当に寂しくなるだろう。
チェックアウトが一段落して、沙菜のお見舞いに出かけるにした。
旅館のスタッフに声を掛け、スタッフからの生ぬるい視線を背中に感じながら旅館を出て、車に乗り込んだ。
途中スーパーに寄ってお見舞い用にプリンやゼリーを選んでいるうちに沙菜がアイスクリームが好きだったことを思い出して少しいいやつをいくつか買い物かごに放り込む。
沙菜のアパートに着いてチャイムを鳴らすと沙菜の母親が出て来た。
取り次いでくれたが、どうやら今は眠っているらしい。仕方がないので買ってきた見舞いの品を預けて帰ることにした。
「少しお話できるかしら」
帰ろうとしたところで小田さんから声を掛けられた。
「はい」
何の話なのか薄々は察しはついている。
「すぐに何かするという訳ではないのだけど、私たち家族がこれからのどうするかを考えないといけない時期に来ていると思うの」
「はい。そうです、よね」
「それで、やっぱり沙菜がどうしたいのかがね……」
「彼女は何か言っていますか?」
「ここに居たいって言ってるのだけど。このまま一人暮らしさせるのはまだ心配で」
「……分かります」
「洋太」
奥の方から沙菜の声がした。
「来てくれたの」
「うん。あ、プリンとかゼリーとか、あとアイス買って来たから後で食べて。思ってたより元気があってよかった」
「うん。薬飲んで熱が下がったから」
「そっか。環境が変わって疲れがたまってたんじゃないかな。2、3日ゆっくりしなよ」
「でも」
「旅館は大丈夫だから。俺も少しは事務仕事覚えとかないといけないし」
「え?」
「沙菜、そろそろ中に入りなさい」
「えー」
「ほら、また熱が出るわよ」
「洋太さんも今日はありがとう」
「はい。じゃあ、お大事に」
そうして洋太は旅館へ戻った。
「お母さん、彼と何を話してたの?」
「これから先の事を考え始めてますって伝えたのよ」
「私、ここに残るんだからね」
「でも、一人暮らしさせるのは心配なのよ」
「あーあ、早く大人になりたい」
少しすねた様に沙菜は言った。
「あなたが大人であっても心配はするわよ。自信があるわ」
「もー。それじゃ私どうしようもないじゃない」
「まあ、何か道は開けるでしょ。きっと。さ、もう休みなさい」
沙菜は部屋に戻り、ベッドに入った。布団をかぶって天井を見る。今日の洋太の母と話しているときの態度が何か心に引っかかる。沙菜の中にモヤモヤと不安な思いが湧きあがり始めるが、顔を左右に振ってその思いをかき消した。
翌日、小田さんは普通に勤務に来た。沙菜の熱は下がったが、念のためもう一日休みをもらいたいとの事だった。洋太は昨日、遠慮せずあと二日ほど休んだ方が良いと言ったのだが、一日で良いそうだ。
「休んでいてもすることが無いからって言うの」
「そうですか。あと二日は休んでゆっくりした方が良いと思うんですが」
「私もそう思うのだけど。洋太さんから説得してもらえるかしら」
「わかりました。あとでメッセージを送っておきます」
午前中の仕事が一段落して洋太がメッセージを送るとすぐに返事が来た。
何故か機嫌が悪そうだ。
【どうしてそんなに休ませたがるの?】
【環境が変わって疲れが出てるだろうから、今回はしっかり休んだ方がいいと思って】
【そんな事言って、私が居ないうちに洋太が事務の仕事を覚えようとしてるんでしょ】
「え?」
洋太は通話に切り替えた。
「ナ・ア・ニ」
どうやらだいぶ機嫌が悪い。
「確かに、事務の仕事も少しずつ覚えようとは思ってるけど、2、3日では覚えきれないだろ」
「そうだけど。今までは全然任せてくれてたじゃない。急にどうして? この間お父さんと何を話したの?」
「いや、別に」
その時、沙菜が通話を切った。
もう一度掛けたが、沙菜は出ず、メッセージを送っても既読はつかない。
洋太はあきらめて仕事に戻った。
翌日になっても相変わらず沙菜と連絡が付かない状況に変化はなかった。夕方に少し時間が出来たので、洋太は沙菜を訪ねた。体調はもう大丈夫との事だったので、カフェに誘った。機嫌は相変わらず良くない。
カフェに入り、洋太はコーヒーを、沙菜は紅茶を頼んだ。窓からはいつも通りのきれいな夕焼けが見える。洋太はしばらくその夕焼けを見ていたが、やがて話し始めた。
沙菜が来る前の年に母親が死んだこと。そしてそれは突然だったこと。だから、心の準備も出来ておらずショックだったこと。
「だから、心の準備はしておきたいと思った……」
「私が居なくなると思ってるの?」
「沙菜が残りたいと思っても、やっぱり沙菜のお母さんはそう遠くない未来に帰らなきゃいけないだろうし。だから」
「私を捕まえておいてくれないの!」
洋太は俯いた。
「だって、家族は一緒に居た方がいい……。僕らは成人ではあるけど、一人立ちしてる訳でもない。まだまだ誰かの世話にならないとやっていけない」
洋太の頬からテーブルにぽとりと涙が落ちた。
「だから。沙菜と一緒に居たいけど。居たいんだけど……」
テーブルにぽたぽたと涙がこぼれ落ちる。
「ごめん。力がなくて、そうなったらどうにもできないのが悔しい」
「洋太……」
沙菜は優しい声で話し始めた。
「違うよ。洋太。お母さんが居なくなって、料理が少し出来るようになって、家の仕事をしっかり手伝って、自動車を運転して、お父さんの病院の送迎もしてる。カフェを経営する夢も持ってる」
「うん」
洋太は俯いたまま頷いた。相変わらず涙が溢れている。
「だから、洋太はもう大人なんだよ。洋太が自分で思ってるよりずっとずっと大人なんだよ。だから、顔を上げて」
「……」
沙菜は顔を上げた洋太の頭を抱き寄せて、キスをすると、
「もう泣かないで。私はずっと傍にいるから」
とささやいた。
カフェの窓から差し込む橘湾へ沈む夕日は海も空も橙色を濃くして二人を照らしていた。




