2 温泉旅館
学校の昇降口でみのりは洋太とあの転校生が親しそうにしているのを見た。
お祭りの日以来、どうも目についてしまうようになっている。
「あの二人、よく話してるよね」
隣を歩いている唯も気が付いたようだ。
転校生の女の子はやがて一人で昇降口を出て先に帰って行った。
みのりはそのタイミングで声を掛けた。
「洋太」
「おう、みのり。あ、唯も」
「さっき話をしていた人」
「あー。小田さん。こないだ教えたろ」
「仲いいんだ」
「同じクラスだから話はするな。席、隣だし」
「ふーん。そっか」
「何だよ」
洋太はそう言いながら靴を履くと、
「それじゃ」
と言って出て行った。
「ねえ、みのり」
唯は洋太の後ろ姿を見ながらみのりに話しかけた。
「なに?」
「確認しといたほうがいいよ」
「なにを?」
「事実関係」
と、唯は一語ずつ強調しながら言って、
「また来週ね」
と手を振りながら帰って行った。
洋太はサッカーをやめてから家の温泉宿の手伝いをよくするようになった。
今日は学校が休みなのでいつも通り大浴場の清掃をしている。
きつい仕事なので、従業員の皆さんになかなかに感謝される。
「あら、中田君」
「あ、こんにちは。小田さん」
風呂場から戻った洋太は転校してきたクラスメイトの小田さんの母親に声をかけられた。
彼女は洋太の旅館で働いている。
接客の仕事は初めてだったらしいが、この小さな温泉地で仕事がふんだんにあるわけもなく、たまたま洋太の旅館で求人の張り紙を見つけて、申し込んだらしい。
「お風呂洗ってたの?」
小田さんはズボンのすそを巻き上げたままの洋太の足を見て言った。
「はい」
「おうちのお手伝い、偉いわね」
「あ、ええ、まあ、小遣いの足しにもなりますので」
「そうはいってもねぇ。偉いわぁ……」
感心されるとなんだか照れ臭い。自分としては父がやっていることを少し手伝っているだけの認識で、父のしている事と比べるとまだまだと思っている。
小田さんの家族は洋太の父が経営する旅館に家族で泊まったことがある。
彼女の娘、クラスメイトの小田沙菜は初めて会った時はずっと下を向いていて洋太は彼女の頭を
見せられていた記憶がある。
皮膚が弱く、顔を人に見せたくないという事だった。
洋太は最初はそういう事情なのかと思っただけだったが、後にそれが彼女にとってかなりの精神的ストレスであるという事を知った。
そしてそれがまた、皮膚への悪影響となり、堂々巡りになっている様なのだ。
温泉地をめぐっているのも温泉に浸かることでそういう精神面での改善も期待してのことだと小田さんが言っていた。
とはいえ、転校してきた時はびっくりした。
そして、自己紹介はやっぱりうつむいたままぼそぼそと話していた。
洋太は、お客として旅館に家族で泊まった彼女と同じクラスになって、彼女の事が気になっていた。
席も隣同士になり、洋太は声をかけようかと思ったが、その頃の彼女の雰囲気は他人を拒絶していて話しかけられずにいた。朝の挨拶ですら彼女は俯いてしまう。
肌を見られたくないのだろうとすぐに洋太は理解した。
洋太は彼女と話をする時には彼女の顔を見ない様に心がけた。
ちょっと変だが頭や、肩を見て話すようにした。
朝の挨拶は彼女の頭にして、隣から声を掛けるときには前を向いたまま話しかけた。
すると彼女は徐々に会話をしてくれる様になった。
時々、他のクラスメイトが話に加わって来るが、そうなると俯いて黙ってしまう。
その様子から彼女の肌によるストレスの大きさを察した。
彼女は実は話好きだった。
彼女はファミレスとハンバーガーチェーンが無いのを残念がり、魚がおいしくて好物になったとも言っていた。
テレビドラマの事ややお気に入りのSNSの情報も教えてくれた。
彼女が転校してきたのはここの温泉のお湯がこれまでで一番肌に合っていた事と、宿の部屋から見た海に沈む夕日を見てとても感動したからとの事だった。
その光景に見入ってしまい、その時には肌のことも忘れてしまっていたほどだそうだ。
洋太にとっては生まれてからずっと見ている景色なので、日常となってしまっているが、確かに夕日が綺麗だと思う。それに故郷の事を褒められてちょっと誇らしい。
できれば、ここの温泉が彼女の肌をきれいにしてくれるとなお良いのだが。
洋太はそう願った。
春のお祭りは小田さんのお母さんに頼まれて彼女と一緒に出掛けた。
せっかくだからと小田さんのお母さんはごねる娘を玄関で一生懸命説得していた。
帽子で顔を隠してしまえばわからないから、それとたまにはそういう場所にも出かけた方がよいと言っていた。土地勘がないのは俺が付き添えば大丈夫だからとも言っていた。
とにかくお祭りへ行かせたい様だった。
洋太はハッピ姿の俺とでいいのかと心の中で突っ込みを入れたが、小田さんのお母さんは僕と彼女の背中を各々右手と左手でぱんぱんと叩いて出かけさせた。
彼女はつばの広い帽子を深々とかぶっており、肌は一切露出さない様にしていた。
アイスは好物のようで、買って食べている姿は嬉しそうだった。
祭りの仕事があり、本当に短時間だけ付き添っただけだったが、みのりには目撃されていた、と言うか、クラスの連中にも目撃されていた。
翌日には好機の目にさらされたが、知り合いの娘さんという事で通した。
この温泉地には格安の共同浴場がある。
彼女はそこを利用しているそうだ。
皮膚の状態も徐々ではあるが、良くなってきている実感もあるそうだ。
残念ながら住んでいる家からは夕日は見えないので、時々海岸へ出て海に沈む夕日を満喫しているらしい。
洋太は最初に会った頃からすると別人の様に明るくなった彼女の姿を見て、本当に良かったと思った。