ローランの悩み
子ども世代の話です。
ランスロットとセレスティナの初めての子ども、長男のローランは、年齢の割にとても落ち着いていて、しっかりした男の子だった。サラサラの栗色の髪を肩まで伸ばし、濃い青色の目は切れ長で、父親そっくりの顔立ちだと人々に言われてきた。
ローランには大切な幼馴染がいた。
フェルナンの次女、ネリーである。ネリーは藍色の癖っ毛にラズベリーの瞳を持った、可愛い女の子だ。人見知りで恥ずかしがり屋の彼女はローランに特別懐いて、いつでも後ろをちょこちょことついてきた。二人の年齢差はたった一つだったが、大人びているローランはいつもネリーの面倒を見ていた。
二人は小さな頃から、ずっと特別仲良しだったので、ローランが十歳になる時に婚約を結ぶことになった。ローランはネリーと結婚するのが当たり前だと思っていたし、それをすぐに受け入れた。ネリーも喜んで、嬉しそうに微笑んでいた。
そのはずだった。
だから、大切なネリーが離れることなんて一生ないと、ローランは思っていた。
「私、ローランから離れたいの」
「…………え?」
それは晴天の霹靂だった。十三歳になったローランを呼び出し、ネリーが開口一番にそう言ったのである。ローランは一瞬、ネリーが何を言っているのか分からなかった。しかし、彼女は続けた。
「私、ローランとちょっと距離を置きたいの」
「……どうして?」
「どうしても。一人でも居られるようになりたいの」
ネリーはいつも伏目がちなのに、今日はやたらと真っ直ぐにローランを見つめてきた。ローランはたじろいだ。
「しばらく会わないで欲しいの。お願い」
ローランは、頭を鈍器で殴られたようなショックを受けた。けれどネリーは頑なだった。だから彼はしぶしぶ頷いて、ネリーの家を後にした。
「ネリーに嫌われたのかもしれない……」
「へ?」
家に帰ったローランが茫然自失としたまま告げると、ランスロットも目を丸くした。
「何だ?喧嘩でもしたのか?」
「してない。……何も、してない」
「じゃあ、何で?」
「分からない。距離を置きたいって言われた。会わないで欲しいって……」
ランスロットは腕を組み、ううんと唸った。
「お前たちはいつでも一緒だったのにな」
「俺、どうしたら良いのかな」
「ううん。ネリーにも何か考えがあるんだろう。年頃だし……俺はちょっとフェルナンに事情を聞いてくるよ」
「うん、お願い」
しかし、翌日ランスロットがフェルナンに事情を尋ねても、理由は分からないとのことだった。ネリーは頑なに口を閉ざしているらしいのだ。
そして、それからは――――ほとんど毎日会っていたのに、ネリーのいない生活が突然始まった。
三日経ち、一週間経ち、やがて本当に全く会わないまま、一年もの月日が経った。
ローランは一見すると平気なように振る舞っていたが、寂しくて、悲しくて、全然平気なんかじゃなかった。
毎日が淡々と過ぎていく。元々とても優秀だったローランだが、ネリーのことを少しでも忘れたくて、がむしゃらに勉学に没頭した。昼夜を忘れて勉強した結果、社会学で革新的な論文を書くこととなり、国から表彰されることになったほどだ。でも、ローランは全然幸せではなかった。隣で一緒に喜んでくれるネリーが居なければ、何も嬉しくなかったのである。
さて、会わなくなって一年と三ヶ月経ったある日、ローランの家に突然来客があった。先ぶれもなかったので何だろうと思ったが、やってきた人物を見てローランは目を丸くした。
それはネリーだったからである。記憶の中の彼女より少し大きくなって、女性らしい身体になっていたが、間違いなくネリーだった。
「ネリー……どうして……?」
「あ、あのね。これ……」
ネリーが差し出したのは、表彰状だった。それは、ネリーが弁論大会で優勝したことを示すものだった。
内気なネリーが弁論大会。結びつかなすぎて、ローランは固まった。
「嘘…………すごいね、ネリー」
「本当?」
「すごい。すごいよ、どれだけ頑張ったの……」
ローランは言いながら、目からポロポロと涙が零れていくのを感じた。
「ローラン……?」
「ネリー、頑張ったんだね。でも、その隣に俺が居られなかった。それが、こんなに悲しいんだ…………」
「ローラン」
「もう、ネリーは俺なしでも大丈夫だって、証明したかったの?婚約を解消したかった……?」
「違う!違うよ、ローラン!」
ネリーは慌ててローランの涙を拭いながら、必死に言った。
「あのね、貴族の女の子たちから、いつもいつも言われていたの。ネリーなんて、ローラン様に全然相応しくないって。私も、そうだって思ってた」
「……!」
なんと、ネリーはそんな心無い言葉を受けていたらしい。ローランは全然知らなかった。
「だから、私……ローランの横にいても、恥ずかしくない人になりたかったの……!ローランの隣に堂々と立って、あなたを支えられるくらい……強くなりたかったの……!!」
「でも、俺から離れたいって言ったじゃないか」
「隣にいたら、またローランに頼ってしまうと思ったの。それじゃダメだって思った。一人で頑張らなきゃって思ったの。ローランが、好きだから!大好きだからだよ……!!」
ローランはその言葉を聞いて、いよいよ涙が止まらなくなってしまった。
「俺は、ネリーが居なくて、全然大丈夫じゃなかった。世界が色褪せて見えて、何をしてもつまらなかった……ネリーがいないと俺はだめなんだ……」
言っていて情けなくなるが、事実なのだ。
「ネリーが立派じゃなくても、なんでも良いんだ。お願い、もう離れるなんて言わないで。側にいて……」
「ごめんなさい。ごめんね、ローラン。私が暴走したから、ローランをこんなに傷つけたんだね……。私、自分の都合しか考えてなかった。それに、ローランは強いから私なんかちょっと居なくても、全然平気なんだと思ってた……」
「そんなことない。ネリーが居ないと、俺は生きていけない…………」
この言葉に、ネリーもポロポロと涙をこぼし始めた。ローランはそれを指で拭った。この一年半で遠くなってしまったネリーの温度。恋しかった温度だ。
「傷つけて本当にごめんなさい、ローラン」
「いや、きっと俺たちには……一回離れるのも、必要だったんだ。俺はネリーなしじゃ居られないって、自覚できた。それに、ネリーは自信がついたんじゃない?受賞、本当におめでとう」
ローランが涙を浮かべたまま穏やかに微笑むと、ネリーはくしゃりと顔を歪めた。
「うん……ありがとう。でも、私も……毎日体がびりびり痛むくらい……寂しかった。ローランのことばかり、思い出してた。私も世界が色褪せて見えて…辛かったよ……」
「そっか……。これからは離れるなんて言わないで、そばに居てくれる……?」
「うん、もう言わないわ」
泣き笑ったネリーを見て、ローランの心臓はとくんと大きく鳴った。ああ、やっと自覚した。自分はこんなに
、こんなにもネリーのことを――――…………
「愛してるよ」
「……っ!」
「会えない間があんなに辛かったから、今、よく分かったんだ。俺はネリーを、心底愛してるって」
「……私も。私もローランを、愛してるわ……。一番苦手な弁論大会に、挑戦したくらいなのよ」
「ふふ、そうだね」
ローランはそっとネリーの頬に手を添えた。そして、触れるだけのキスを落とした。初めてのキスは、涙のしょっぱい味がした。




