1-9 推しは恋に落ちる(※ジルベルトサイド)
リーナベルとの出会いから半年ほど経った、ある日のことである。
鍛錬場で突然、彼女の兄であるランスロットに呼び寄せられた。隣に彼女――リーナベルが居たので、思わず瞬間移動で駆けつけてしまった。普段ならばランスロットに呼ばれたところで、わざわざ魔術を使ったりはしない。この男は大抵、人をからかうことばかり考えているのだから。
しかし、そのランスロットから衝撃的な言葉が飛び出した。
曰く、リーナベルはジルベルトのために、騎士団の鍛錬場に通っていると。彼の言葉を真に受けるなら――ジルベルトに好意を持っていると。
驚愕しながらリーナベルを見ると、みるみるうちに深い青が潤んでいく。彼女は熟れた林檎みたいに、耳も首筋も、鎖骨の辺りまでも真っ赤にして、逃げ出すように去ってしまった。
――あんな顔を、するのか。
衝撃でジルベルトは固まった。
その姿があんまり愛らしくて、いじらしくて。
潤んだ目で真っ赤に染まったリーナベルの姿を何度も思い出してしまい、その日は一晩じゅう眠れなかった。
彼女に対するこの気持ちは、一体何なのだろう?
他人に、しかも異性にこんなに興味を持つのが初めてで、鈍感なジルベルトにはまだ自覚がなかった。
♦︎♢♦︎
翌日の早朝、悶々とした気持ちを断ち切るように一人で訓練していると、なんと鍛錬場にリーナベルがやってきた。こんな時間にやって来るのは、初めてのことだ。
一瞬幻かと思ったけれど、本物だ。
少しでも早くそばに行きたくて、また瞬間移動を使ってしまった。
「リーナベル嬢?」
リーナベルは小動物のように固まっている。
驚かせてしまっただろうか?
自分に用事があったのではないのだろうか?
何と声をかけるべきか考えあぐねていたところ、リーナベルが突然大きな声で話し出した。
「昨日は逃げてひどい態度をとってすみませんでした!そして、兄が申し訳ありませんでした。勝手に憧れてごめんなさい……。あの、私……!貴方様を遠くから応援できるだけで、満足なんです。これからも応援しています!!これ受け取ってください!!」
呆然としながら彼女の言ったことを咀嚼する。つまり彼女は自分に憧れているだけで、好意を持っているわけではないということだろうか。
それを、わざわざ念押ししに来たのだろうか。
一気に気落ちした自分に驚いた。
ほっそりした白い手が震えながらクッキーの包みを差し出す。一呼吸置いて自分を落ち着かせてから、それを受け取った。
「……ありがとうございます。俺なんかを応援してもらえて嬉しいです」
「そんな……俺なんか、なんて!ジルベルト様は誰よりも努力家で、立派な方です!いつも一番早くに鍛錬場に来て、一番遅くに帰られると聞きました。そんなの、なかなか出来ることじゃありません!」
彼女の言葉は、ジルベルトの心のやわらかい部分を突き刺した。
そんな風に、努力を褒められたことはなかったから。
そんな風に、自分を見てくれる人はいなかったから。
それまでの苦しみを思い出し、鼻の奥がつんとした。けれど、真に受けてはいけないと思った。
まるで自分に言い聞かせるように、なんとか言葉を絞り出す。
「そんな大層なことではありません……自分の立場を考えれば当たり前のことなんです」
その途端である。
彼女の眼差しが、変わった。
青い目が真っ直ぐにジルベルトを捉えた。ジルベルト自身を映し出すような、あの美しい眼差しだった。
彼女が凛とした清らかな声で、ゆっくりと、ジルベルトに言い聞かせるように言う。
「それでも、あなたの努力は尊いものです。当たり前と言えるのは、あなたの強さだと思います」
頭を鈍器で殴られたような衝撃を受ける。
心を占めたのは、歓喜。
彼女の瞳から目が離せない。
彼女は間違いなく、ジルベルト自身を見てくれていたのだ。
力強い言葉で、彼自身を認めてくれた。
今まで誰にも見てもらえなかった、自分という存在を見つけ出してくれた。
ジルベルトは唐突に理解した。
初めて出会った時から、彼女にずっと惹かれていたのだと。
そして自分は今この瞬間、初めての恋の深みに落ちたのだと。
感極まって、小さな少年のように笑ってしまった。
よく表情筋が死んでいると言われるから、うまく笑えていなかったかもしれない。ぎこちなかったかもしれない。
「ありがとう……」
けれどその後、彼女が笑ってくれたので。
出会ったあの日に見たきりだった、蕩けるような笑顔を返してくれたので。
そのあたたかくて柔らかな幸福に、ただただいつまでも浸っていたいと、彼は思ったのだった。