閑話 ランスロットのプロポーズ
ランスロットだけが、セレスティナに愛を教えてくれたので。
セレスティナの愛は、ランスロットの形になってしまったのだ。
♦︎♢♦︎
気持ちに応えてもらえるなんて、セレスティナは最初から思っていなかった。
自分の立場は十分に弁えているつもりだ。
ただ、セレスティナは……自分の心に、嘘をついて生きていたくなかった。
ランスロットを好きだと、大好きだと今伝えなければ、一生後悔して生きることになると確信があったのだ。
それが優しくて愛情深い彼の、迷惑になるとわかっていた。
王女らしくない愚かな振る舞いであるとも、よくわかっていた。
それでもセレスティナは、伝えずにいられなかったのだ。
ランスロットが危険なことに身を投じ始めた時、セレスティナはすぐにわかった。
彼は嘘をつくのが、上手すぎたからだ。
今生の別れの言葉のつもりで、「信じています」と伝えた。
直接会いに行くことは、できなくなった。
彼の邪魔には、絶対になりたくなかったから。
だが会えなくなっても、セレスティナの心はずっと彼の元にあった。
漏れ聞こえる彼の恋の話に、心が散り散りに砕けた。
さらに、オーレリアとの婚約を聞いた時は、一晩中涙が止まらなかった。
それでもセレスティナは、やっぱり彼を助けたかった。
何があっても大好きだから、助けたかった。
王女としての立場を利用し、彼の助けになる情報を必死にかき集めて、手紙に織り交ぜて書いた。
それを伝えるのを理由にして、彼にラブレターを書いた。
大好きだと、まだ伝えたかった。
伝えることが許されるうちは、止められなかったのだ。
♦︎♢♦︎
「セレスティナ、よく来たね」
「クラウスお兄様、どうされたのですか?」
腹違いの兄のクラウスが、セレスティナに話しかけることは珍しい。セレスティナは王族の中で浮いているのだ。
今日クラウスに突然呼び出されて、何を言われるのかと少し怯えた。
ここ最近の王女らしからぬ振る舞いに、苦言を呈されるのかと思った。
「お前に、とても有力な縁談が来ていると聞いたよ」
「……!」
セレスティナの顔は強張った。
十歳になって、他国から縁談が舞い込むようになったのだ。
中でも国王が、非常に前向きになっている縁談があった。
遠い遠い南の島国の、王子との縁談。
一度嫁いでしまったら、母国の土地を踏むことは……恐らく一生、叶わなくなることだろう。
「セレスティナ。安心しなさい。あんな下らない縁談は、兄様が潰してあげるからね」
「え……」
クラウスの言葉に、セレスティナは呆然とした。
――止める……?縁談を……?
「何故……?」
「あんなもの、ほんの少ししか我が国の利にならない。父上も義母上も、お前の価値をあまりにも見下しすぎだ。……お前が冷遇されているのを、見て見ぬふりをしていた僕にも……十分責任はあるけれどね」
「お、お兄様……」
セレスティナは驚愕した。
確かにクラウスは、ここ数年急激に変わったと思っていた。しかし、まさか自分のことを気にかけてくれていると思わなかった。
セレスティナは王女であるにも関わらず、長年放置子のような扱いをされてきた。
現王妃は王位継承権のある男児を欲していたが、二人目に産んだセレスティナが女児で、大層落胆したのだと言う。
しかもセレスティナには、姉のような輝くような美貌もなければ、魔力量も少ない。魔力適性も風しかなく、ただの貴族として見ても見下されるレベルだった。
だからセレスティナは王宮でも、ずっと軽視されていた。
これまで彼女に愛を教えてくれたのは、ランスロットだけであったのだ。
「……いや、違うな。利になるかどうか、じゃなくてね。僕はお前に、お前が想う人と幸せになって欲しいと思っているんだ。今までお前を無視していた兄の、せめてもの罪滅ぼしだと思っておくれ」
「そんな!私は王女です。そこまで大層なことは望んでいません……!お兄様が、罪に感じることなど何もありません……!」
青褪めて言い募るセレスティナを、クラウスが制した。
「お前も、自分を過小評価しすぎだよ。それに、僕は親友を応援したいとも思っているんだ。強力な結界を張っているから、好きに話しなさい。限られた時間にはなるけれど、兄様は部屋を出ているからね。……ランスロット、出ておいで」
「!?」
その名前にセレスティナが驚愕していると、クラウスの背後の衝立の影から――――なんと、ランスロットその人が出てきた。
輝く白銀の髪に、深い海のような青い瞳。文官の制服を着こなし、すらりと高い背の彼が、セレスティナを静かに見下ろしていた。
姿を見るのは、半年ぶりだ。会いに行かないようにしていたから。
けれどセレスティナは歓喜するより先に、ランスロットに駆け寄って悲壮な声を出した。
「ランスロット様……!とてもひどい顔色だわ!隈もすごい……もしかして、眠れていないのですか?」
「ティナ……。ティナも……やつれてる」
セレスティナは固まった。ランスロットが苦しそうな声で、ティナ、と呼んだから。
それは、ランスロットがセレスティナと距離を置いて以降、決して言わなくなった呼び名だった。
ずっとずっと、もう一度呼んでほしくて……たまらなかった呼び名だった。
「ラ、ランスロット様……?」
「ティナ…」
確かに、また呼ばれた。その声には、身が震えるほどの甘さが含まれていた。
――これは、夢かしら……?
セレスティナは、段々と現実感がなくなってきた。足元がふわふわしてくるような心地だ。
「……」
「……おーい、聞いてるか?ティナ。これ、夢じゃないからな?」
「……ランスロット様、わ、わたし……」
「ティナ……泣くなよ」
セレスティナが大粒の涙をこぼし始めたので、ランスロットは弱りきった顔をして、彼女の頭をそっと胸に抱き止めた。それはとても遠慮がちな抱擁だった。
「ティナ、ずっと好きだと言ってくれて、ありがとう。本当はすごく、嬉しかった」
ランスロットが優しい声を頭上からかけた。それは、思いもしない言葉だった。
セレスティナは返事をしようとしたが、大きくしゃくりあげてしまい、無理だった。
「ティナ、たくさん手紙をくれて、ありがとう。お前の身を危険に晒してしまったと思うけど、正直すごく助かった。あの手紙に、俺は沢山勇気づけられた」
「……っ」
駄目だ。言いたいことがたくさんあるのに、言葉にならない。
喜びが許容量を超えると、人は何もできなくなってしまうらしい。
セレスティナはランスロットの胸に顔をうずめて、背中におずおずと手を回した。
大好きなシダーウッドの香りがする。懐かしい香りだ。小さい頃はこの場所だけが、セレスティナの安心できる唯一の場所だった。
――好き。
大好き。
ランスロット様。
ずっと、ずっとこうしたかった。
涙が次から次へとこぼれる。
「ティナ……俺は決めた。お前を必ず迎えに行く」
「……!?」
次に続いた言葉は、セレスティナの世界をひっくり返すには十分なものだった。
顔を上げてランスロットを見る。
今日は、青い瞳を遮る眼鏡はなかった。
濃い青が海のようにゆらめいて、強くセレスティナを射抜いていた。
セレスティナは、言葉をうまく飲み込めない。
迎えに、行く……。
それは、つまり。
「今回の件がうまく片付いたら、褒賞としてお前の降嫁を願い出る」
「え……!?」
「……嫌か?」
「そんなわけありません!!!」
嫌なわけない。セレスティナは思い切り叫んだ。
嫌なわけがない。
ただ、提示されたのが――――全く考えていなかった、道のりだったから。
あり得ないと思っていた道のりだったから、驚いたのだ。
だって、それが成功すれば。大好きな……ランスロットと、結婚できる。
セレスティナは、全く期待もしていなかった未来を突きつけられて、頭が真っ白になった。同時にその未来を想像して、耳まで真っ赤に染め上げてしまった。
ランスロットはそれを見て満足そうに微笑み、セレスティナの頭に頬を寄せた。
「勿論、お前に好きな奴ができたら、ちゃんと手放すし。俺に縛り付けるつもりはない」
「え!?」
「お前はまだ幼いから、成人するまで選択肢は残す。でも、もし婚約できたら……『今』を一緒にいる権利だけでも良い、俺にくれ」
「そんな!私の……私の好きな人は、ランスロット様です!いつまでだって、ランスロット様だけです……!!」
ランスロットは苦笑した。切なげで、悲しい笑みだった。
「……わかった。ありがとな」
「な、何もわかってらっしゃらないわ……!そういうお顔をしているわ!」
「はは。プロポーズしてるのに、怒られてるなぁ」
プロポーズ。
そう聞いて、セレスティナは今度は首まで真っ赤に染まった。
「ラ、ランスロット様……本気、なのですか……」
「本気だよ。ティナは俺の『特別』だ。俺は、お前と結婚したい。……受けて、くれるか?」
「あ、当たり前です……!」
感情がぐちゃぐちゃになって、もうよく分からない。
ただ目の前の人を安心させたくて、セレスティナは笑った。
目から涙をぼろぼろこぼしながら、顔を真っ赤にしながら、無理やり笑った。
紫の瞳が、涙で美しくキラキラと煌めいていた。
その不恰好な笑みが世界で一番綺麗だと、ランスロットは思った。
「ティナ。俺は最後まで足掻く。……待っててくれ」
決意を秘めて言った彼がまた涙で見えなくなって、顔を埋めながら首を縦に振る。
ランスロットの手が優しく、セレスティナの柔らかな髪を撫でていた。昔よくそうしてくれたことを思い出して、セレスティナはまた涙が止まらなくなった。
結界の維持時間が近づいてクラウスが部屋に戻るまで、二人はずっとそうしていた。
もう光が消えたと思っていた人生が、嘘みたいに突然、眩く照らされた夜。
セレスティナは彼の香りを思い出しながら、久しぶりにぐっすりと熟睡した。
夢の中でも、彼が髪を撫でてくれた気がした。
ランスロットだけが、セレスティナに愛を教えてくれたので。
セレスティナの愛は、ランスロットの形になってしまったのだった。
そうしてその愛がようやく、報われようとしていた。




