5-11 断罪イベントへ向けて
「断罪イベントが来る」
クラウスの言葉に、食堂の特別室は静まりかえった。王族が使うための特別室には、お馴染みの四人が集まっていた。四人とは、リーナベル、ジルベルト、ミレーヌ、そしてクラウスである。
「どういうこと?断罪イベントって、二年生の時の社交シーズン締めの夜会だったはずよ!?」
ミレーヌが慌てた声で言った。そうなのだ。全員まだ一年生である。いまは一月。冬の休暇が終わったところだ。
「黒幕と思われる人物が動いている。オーレリアもだ。どうやら、シナリオの断罪イベントを、今年の春の始め……社交シーズンが始まる、最初の王宮での夜会に早めるつもりで、動いているようなんだ」
「それで、私達の悪評が加速してるのね?」
「抑えきれていなくてごめんね、リーナ」
ジルベルトは苦しそうだ。リーナベルが悪く言われることに、耐えられないらしい。
「仕方がないわ。私は気にしてない。それに、向こうはきっと大勢で動いているんでしょう?」
「そうだ。噂の出どころとなっている貴族はランスロットが調べ上げている」
「随分大掛かりなのね……?断罪イベントを利用して、何かを起こすつもりってこと?」
クラウスが厳しい表情で頷く。
「そうだ。向こうの狙いは国家転覆だ」
「!!」
話のスケールが大きすぎて仰天した。それは、クーデターを起こすと言うことではないのか。王族が関与しているため詳細は聞けないが、クラウスはほとんど黒幕の正体を確信して動いているようだった。
「二人には今まで以上に、身辺に注意して欲しい。二人ともそれぞれに、狙われている理由があるんだよ。サバイバル戦でのことで隣国には強い圧力をかけているんだけど、向こうが手出ししてくる可能性もある」
「わかったわ。なるべくジルと一緒にいるのでいい?それが無理な時は護衛に付いてもらうから」
「それがいいよ。ジルは、リーナの最強の騎士だからね。僕はミレーヌと四六時中一緒にいるようにするからね」
「えっ!?四六時中?ちょっとそれは勘弁して欲しいわ……っ」
ミレーヌが不満そうな声を出したので、クラウスの笑顔がピクリと引き攣った。
「ミレーヌ。一体、僕の何が不満なの……?」
「冗談よ冗談!!喜んで一緒にいるわ!!ずーっとずーっと!!」
二人の関係は最近、夫婦漫才の様相を呈している。お決まりのやり取りにリーナベルは笑った。
「私は、魔術の開発に集中していたら良いのよね?」
「うん。そうして欲しい。オーレリアはまだ泳がせる。断罪イベントの時に、確実に黒幕を追い詰めるために」
「わかった。二人と兄様が動いてるんでしょう?」
「うん。あと、ミレーヌが活躍してる」
「え!?」
「リーナ、私だってやる時はやるのよ!今、怪しいにおいを嗅ぎ分けまくってるんだから!!怪しい奴を全員特定してやるわ!!」
なんと、警察犬ミレーヌも断罪イベント……およびクーデター阻止のために頑張っているらしい。なんとも優秀な嗅ぎ分け能力である。
さて、いよいよ舞台が整って来た。
クロエの洗脳によって、半ば無理やりに進められたシナリオ。
一年近く早まりそうな、断罪イベント。
忍び寄ってくる、国家転覆の気配。
ここは平和なはずの、全年齢向け乙女ゲームの世界。しかし今や、激動の様相を呈してきたのであった。
♦︎♢♦︎
「リーナ」
ジルベルトは強張った面持ちで、彼の自室のソファに座るリーナベルの手を取った。
今日は騎士団の仕事を終えて帰ってきたところだ。もう、どちらかの家に二人揃っているのが当たり前になってきたので、「今日はどちらのお家で過ごされますか?」と使用人に確認されるほどである。夕食の準備などが急になると申し訳ないので、予めスケジュールを伝えるようになった。
これでいいのかな?と思う時もあるのだが、リーナベルの身に危険が迫っていることは両家ともに察しているので、黙認されている。それどころか、オルレアン家はリーナベルが行くと、とても喜ぶ。
まあ、とても無表情なのだが。彼らは存外分かりやすいのだ。両親のどちらも、とても優しい人である。前世の推しが無表情クールキャラだったリーナベルは、もうすっかりオルレアン家の人々が大好きなのだった。
ジルベルトは固い顔のまま、続けて言った。
「大切な話があるんだ」
「どうしたの?ジル」
ジルベルトが明らかに緊張しているので、リーナベルは不安になった。急に改まって、どうしたのだろう。
「ちょっとだけ、リーナを連れ出しても良い?」
「もちろん。ジルが一緒なら安心だもの」
ジルベルトに促されて立ち上がる。冷えるかもしれないと言って、彼は自分の上着をリーナベルに着せた。大きくてブカブカで、良い匂いがする。
リーナベルはいつも転移する時のように、近付いて手を握った。ジルベルトには全幅の信頼を置いているので、彼と一緒だというなら、行き先はどこでも構わなかった。
「じゃあ、行くよ?」
ぐるりと視界が反転する。転移にはもうすっかり慣れてしまったので、驚きはない。
しかし、リーナベルは目の前に飛び込んできた光景に、驚きの声を上げた。
「わあ……!!」
そこはまるで夢の世界のように、幻想的だった。
小さな湖を囲い込むように、光を帯びた小さな花々が咲き乱れている。琥珀色に近い、温かな色の光たち。そして湖面には、満月がぽっかりと映り込んでいた。そこから上を見上げれば、空いっぱいに満天の星空が広がっているのだ。
あまりに幻想的な光景に、リーナベルは小さく口を開けたまま圧倒されていた。
「きれい…………」
「……気に入った?一夜草って言うんだって。この季節の満月の夜にしか咲かないらしい」
「もちろん!すごく綺麗!ジルの目の色みたいな光ね……」
リーナベルの言葉に、ジルベルトは眩しそうに目を細めて笑った。白磁の美貌の目元が、赤く染まっていた。
「リーナ。これを、受け取って欲しい」
彼は跪いて、ポケットから小箱を取り出した。重厚なベロア素材の小箱を開けると、中には美しいダイヤモンドの指輪が輝いていた。リーナベルは、頭が真っ白になる。
「愛しいリーナベル。どうか俺と、結婚して下さい」
両目に涙の膜が張った。ジルベルトの意図を汲み取ったリーナベルは、震える左手を差し出した。
「……はい。喜んで」
左手の薬指に、指輪をゆっくり嵌めてもらう。
ジルベルトの長くて美しい指が触れるだけで、ドキドキと胸が高鳴った。
この世界には、婚約指輪の習慣はない。だけど、ずっと憧れはあった。
前世、勉学に励みながらも……いつか、激しい恋をしてみたいとは思っていた。こんな風に大好きな人にプロポーズされてみたいと、ずっと思っていたのだ。
「もう婚約しているのに、おかしいかなとは思ったんだけど。リーナに喜んでもらいたくて」
「ううん、全然おかしくない。嬉しい……」
リーナベルは堪えきれず、透明な涙をポロポロと零した。
勿論、昔婚約を申し込まれた時もとても嬉しかったけれど、あの時はまだジルベルトのことを信じきれていなかった。
二人の絆が深まった今、改めてこんなに素敵なプロポーズをしてもらえるなんて、とても幸せだ。
「リーナ。断罪イベントを無事に乗り越えたら、すぐに結婚の準備に入ろう」
「!」
時が経過して、今二人は十七歳。貴族の結婚準備には、一年程度かかる。
この世界の結婚適齢期は二十歳前後なので、全然おかしくはない。学園を卒業するのは二十歳であるため、学生結婚をする者も多いのだ。何せ学園は、大半が貴族なのである。その上ジルベルトは騎士職に就いているし、金銭的にも何ら問題はない。
そういうことは頭ではわかっていたが、シナリオが終わるまではと思い、あまり考えないようにしていた。ジルベルトに改めてプロポーズされて、リーナベルの中で結婚の二文字が一気に現実味を帯びた。
涙が止まらず頬を伝うのを、ジルベルトが優しく指でなぞり取っていた。
夜の中で、花々の光を反射した美しい琥珀が煌めいて、リーナベルをまっすぐに射抜いている。
――結婚、できるの……?
この人と……?
嬉しい。
嬉しい……!!
「うん…!ジル、嬉しい…!私、ジルと、結婚、したい……!未来も、ずっと一緒にいたいもの……」
「リーナ!リーナ、ありがとう……!」
ジルベルトは、勢いよくリーナベルを掻き抱いた。少しだけ苦しいくらいだったけれど、構わなかった。
「……実は何て言われるかと、少し緊張した」
「それで、固い顔してたの?」
「うん。やっぱり、万が一リーナに拒絶されたらって思うと、俺でも怖いんだよ」
「ふふふ、ジルはすごく強い騎士様なのにね?」
「俺は、リーナには滅法弱いんだよ。知らなかった?」
リーナベルは笑いながら首を振った。
「婚約指輪のことは、どこで知ったの?」
「ミレーヌに聞いた。前世で、憧れるって言ってたって」
「……もしかして、給料三ヶ月分?」
「騎士の給料三ヶ月分。そこは何故か、ミレーヌが頑なにこだわっていた」
「ふふっ、そっか……この場所も、あの子が教えてくれたの?」
「そう。ぴったりだと思って」
「素敵な場所だもの。できたら毎年、この日に……ここに来たいな」
「うん、そうしよう」
二人で笑い合った。
思い出の日や、思い出の場所が増えていく。
これから一緒に年を重ねながら、そういうものを増やしていきたいと思った。
二人は、結婚したら結婚指輪もお揃いでつけようと約束をした。
この人との未来のために、頑張りたい。
来たる断罪イベントまで、あと三ヶ月を切っていた。




