1-7 推しに恋をする
翌日の早朝。まだ太陽も昇らない時間に、リーナベルはそっと屋敷を抜け出して馬車に乗った。
到着してドキドキしながら鍛錬場を覗くと、思った通り、ジルベルトが一人で鍛錬をしていた。
――何て声をかけよう。
隠れてまごまごしているうちに、ジルベルトがこちらに気付き、琥珀色の目が見開かれる。そしてあっという間に、彼はリーナベルの前にやってきてしまった。
「リーナベル嬢?」
穏やかで心地良い声が鼓膜に響く。
その人外のような美貌に圧倒されるが、言うべきことは昨日のうちに決めている。リーナベルはなんとか口を開き、大声でまくし立てた。
「昨日は逃げてひどい態度をとってすみませんでした!そして、兄が申し訳ありませんでした。勝手に憧れてごめんなさい……。あの、私……!貴方様を遠くから応援できるだけで、満足なんです。これからも応援しています!!これ受け取ってください!!」
言った。言い切った!!
リーナベルは荒い呼吸をなんとか整えようと頑張った。恥ずかしくて仕方がない。
慕っているとまでは、やっぱり言えなかった。というか――言わないと、決めてきたのだ。
だって、いつかヒロインを好きになるとわかっている人に恋して、告白するなんて不毛すぎる。
震える手で手作りクッキーを差し出すと、大きくて綺麗な手がそっと受け取ってくれた。
リーナベルは心底ホッとして、体からドッと力が抜けてしまった。
「……ありがとうございます。俺なんかを応援してもらえて嬉しいです」
ジルベルトの声があんまり優しいので、リーナベルはそろそろと頭を上げて、彼の目を見た。切長の瞳が柔らかく緩んでいる。
けれど、リーナベルは――彼の瞳の中に、悲しみの色があるのを見つけた。自分の言い方がまずかったのだろうか。リーナベルは慌てふためいて、言葉を探した。
「そんな……俺なんか、なんて!ジルベルト様は誰よりも努力家で、立派な方です!いつも一番早くに鍛錬場に来て、一番遅くに帰られると聞きました。そんなの、なかなか出来ることじゃありません!」
必死に訴える。しかし、ジルベルトの目は、今度は明らかに悲しげに揺れた。
「そんな大層なことではありません……自分の立場を考えれば当たり前のことなんです」
その言葉を聞いて、彼の表情を見ていたら――リーナベルは、胸が締め付けられるようだった。
どうして、そんなに悲しそうにするの?
どうして、そんなに自分を否定するの?
たとえそれがジルベルト本人でも、ジルベルトの努力を否定されるのは嫌だと思った。
だから勇気を振り絞って、精一杯強く見返して伝える。
「それでも、あなたの努力は尊いものです。当たり前と言えるのは、あなたの強さだと思います」
その途端ジルベルトの目は、驚愕に見開かれた。
言いすぎたかな。
出過ぎた真似だったかな。
リーナベルの心が不安でいっぱいに染まる。
しかし、その次の瞬間。
あのジルベルトが、破顔した。
「ありがとう……」
そこにいたのは『無表情の堅物クールキャラ』のジルベルトなんかじゃなかった。
少年みたいに笑う、今ここに生きているジルベルトだった。
その笑顔が、あんまり可愛くて、優しくて。
愛おしい、と思った。
リーナベルは、自分が今、深い深い恋の穴に転がり落ちたことを自覚した。