5-7 推しの裏切り?
「大丈夫かい?」
「リーナ、怖かったね……」
リーナベルが逃げた先では、クラウスとミレーヌが待っていた。今は本来、授業の時間だが、ジルベルトの念話を受けて緊急事態と判断したようだ。
「私は、大丈夫……。フェルナンは大丈夫?辛かったよね……」
「ごめん。気持ちが……ついていかなくて」
「仕方ないわ。私もクロエちゃんを嫌いたくないのに、さっきのは少し……耐えきれなかったの。頭では分かっているのに」
「うん、そう。頭ではわかってるんだ……あんたの方が辛い思いしたのに、ごめん」
フェルナンは力なく頷いた。クロエにはっきりと拒絶されたのは、相当に辛かったろう。
「とにかくこれは緊急事態だ。敵は君達を、『悪役令嬢』に仕立て上げることも目的としているらしい」
クラウスが厳しい顔つきで言った。今までこの手のイベントはなかったが、これから増えていくのだろうか。あまりにも耐え難い。
「もしかして、敵の目的は、私達の心を追い詰めること……?」
「その可能性もあるし、君たち自体を追い詰めて立場を弱くするのが目的かもしれない。君たちの身柄は、以前から狙われているだろう?」
「うん……そうね」
――怖い。
漠然とした不安がいっそう強くなる。すぐにジルベルトに会いたい。そばにいて欲しいと思った。
「クラウス……ジルから、まだ連絡はないの?」
「今のところないね。ずいぶん時間がかかってるな……君がクロエを害した証拠なんて、どこにも存在するわけないんだから、教員に引き継げば、すぐ解決するだろうに」
「まだ、クロエと一緒にいるのかな……」
リーナベルの不安がいっそう増したその時。ミレーヌが切羽詰まった声で叫んだ。
「リーナ!見て!!虹よ……!!」
「ああ、さっきまで霧雨が降っていたから。……え?……虹?」
その虹を見た瞬間。
リーナベルの脳裏に、一つのスチルがよぎった。前世、一番大好きだったイベントだ。
美しい虹をバックにキスする――――ヒロインと、ジルベルトのスチル。
「まさか、そんな……」
「リーナ。イベントの条件が揃ってるかも。心配なら行った方がいいわ!」
「ジルベルトルートのイベントか。ジルがまさかとは思うけど……さっきから、念話に応答がないんだ。僕が近くまで転移するから、ジルの様子を確認しに行こう」
「お、お願い…………」
リーナベルは元々白い顔が、もはや青くなっていた。足元がガクガク震える。
信じている。信じているけれど。
もしもジルベルトが……『強制力』に敵わなかったら?
四人はすぐに転移した。ジルベルトはすぐに見つかったが……なんと、クロエと、二人きりでいた。
「私、ジルベルト様の努力家なところ…………本当に尊敬しています」
クロエの言葉が聞こえる。あの、イベント通りの台詞。
ジルベルトはなんと、その美しい顔を、クロエの顔に近づけ、そして――――
「キス、してる…………」
リーナベルの弱々しい声が、ぽつんと響いた。
遠目だが……二人は確かに口付けているようにしか、見えなかった。
リーナベルが絶望した、その瞬間。
ジルベルトの琥珀色と目が合った。
リーナベルは涙を目にいっぱいにためながら、彼にぶつけるように叫んだ。
「……ジルの馬鹿!!!大嫌い!!!」
そのまま身を翻す。身体強化をかけた。
――嫌だ。
嫌だ。
嫌だよ、ジル!!!
信じてたのに。
ジルとの『今』を、信じてたのに。
私以外の女の子とキスするなんて、嫌だよ……!!!
強制力に対する恐怖よりも、嫉妬による怒りの方がずっとずっと強かった。
嫌悪感で吐きそうだ。
リーナベルは泣き崩れそうになるのを必死に堪え、走って逃げた。
「待ってくれ、リーナ!!」
ジルベルトが必死に叫ぶ声が聞こえたが、答えることはできなかった。
クラウスとフェルナンが彼を抑えているのが、視界の端に映った。しかし、いまジルベルトの姿を直視する勇気は、リーナベルにはなかったのだ。
♦︎♢♦︎
自分の部屋に帰ったリーナベルは、ベッドに蹲って泣いていた。次から次へとこぼれ落ちる涙が止まらない。しばらくメイドのメアリーが励ましてくれていたが、「今は一人にして欲しい」と言ったら、心配そうに立ち去っていった。申し訳ないことをしたと思う。
でも、嫉妬に狂う醜い姿を、これ以上誰にも見られたくなかったのだ。
――嫌だった。
とても、嫌だった。
自分はジルベルトを、絶対に誰にも取られたくないんだと、強く強く思った。
これまで、嫉妬心や独占欲に苛まれることはあまりなかったのに。
多分今までは、自分はまだ一歩引いていたのだろう。あんなに素敵なジルベルトに自分は釣り合わないのではないかと思う気持ちが、どこかにあったように思う。
『今』があればそれだけで十分。
ジルベルトとの『未来』まで望むのは、烏滸がましいという気持ちが、多分あった。
けれど、違ったのだ。
私は……ジルの全部が欲しい。今も、未来も。これから先もずっと、誰にもジルの隣を渡したくなかったんだわ。こんなに醜い気持ちを抱えてたなんて、知らなかった。
リーナベルの涙は止まらない。
だって、仕方がないではないか。
自分は『悪役令嬢』なのだ。シナリオなんてものに襲い掛かられたら、ひとたまりもないのだ。
そんな強制力で彼を奪われたら、どうしたら良いと言うのか。
それがずっと怖くて、彼に心を全部明け渡せなかったくせに……本心ではずっと、彼は自分のものだと慢心していたなんて、滑稽だ。
滑稽だけれど……止まらない。
心が、ジルベルトに向かって叫び続けている。
――ジル。
ジル。
嫌だよ。
さっきまで拒絶していたのに。
どうして突然、クロエにキスしたの?
約束してくれたのに、結局心変わりしたの?
ひどい。
ひどいよ……。
「ゔうっ……うぇっ……!」
ぼろりと大粒の涙が数粒、頬を伝ったその時。
「リーナ」
扉の向こうから、聞き慣れた彼の声がして、リーナベルはぴしりと固まったのだった。




