5-4 傷心と目覚め(※フェルナンサイド)
クロエがおかしくなってから、はや一週間が経った。
周囲の皆は、必死に原因を探っている。しかしそれに参加できないほど、フェルナンの心はぐちゃぐちゃだった。
――クロエ。
クロエ。
可愛い、僕のクロエ。
やわらかいミルクティーの髪。まっすぐなラズベリーの瞳。小ぶりで潤んだ唇。小さな細い手。
その全てで、僕を好きだと叫んでいたクロエ。
『彼女』はもういない。
突然、いなくなった――――。
彼女の悩みを、早く聞いておけば良かった。
無理にでも聞き出していれば。彼女を失うことはなかったのだろうか?
ぐるぐると思考の渦に陥る。
クロエが何らかのことに巻き込まれていると、頭では理解している。だって、明らかにおかしい。こんなのあまりに、『彼女』らしくない。
理解して、いるのに。
心がついていかないのだ。
クロエという支えを失った心は、ボロボロに壊れて、崩れていく。
今だって……ほら。
クロエが頬を染めて、カインの頬にキスをするのが見えた。そのまま見つめ合った二人の距離が近づく。
唇にキスをする――――――
ばしっ!!!
魔術で割り込んだフェルナンは、強くクロエの手を取って二人を引き離した。
抑えきれない怒気を漲らせて、カインを睨みつける。
「クロエ、借りるから」
一言言ってクロエを抱いたまま、その場を離れた。
フェルナンは随分離れた先で、勢い良くクロエを壁に押さえつけた。
そのまま激しく唇を奪う。強く強く魔力を流し込む。
「ん……っ!っ……!!」
こんなの、無理矢理だ。
こんな酷いこと、彼女にしたくない。
でも、心が追いつかない。
怒り狂う心が止められない。
「クロエ……クロエ……!!」
「あ、……っ!ん、ぅ……っ!!」
クロエに胸を強く叩かれて、ようやく口を離した。彼女は肩で息をしている。とても苦しそうだった。
その様子に、心がまた強い痛みを訴える。
「はぁ、は……フェルナン様……っ急に、どうしたんですか……?」
「……わからないの?クロエ。君が、おかしいからだろ……!!」
「おかしい……?私は、いつも通りですよ?」
微笑むクロエは、確かに『いつも通り』だった。
話し方や態度に、おかしさは感じられない。
「クロエ。困っていることがあるなら言って欲しい。脅されているなら助ける。体調がおかしいなら調べる。僕が絶対に何とかするから、だから、」
「何も、ありませんよ?」
「クロエ…………」
フェルナンは項垂れた。クロエはずっとこの調子だ。
どんなに問い詰めても、何もない、の一点張り。本当に、何ともなさそうな顔で言ってのける。
「…………ねえ、クロエ。僕を好きだと言ったのは、嘘だったの……?」
「いいえ?私は、フェルナン様が好きですよ!」
そう言うクロエは、一見以前と変わらない。
フェルナンの知っている、甘く優しい笑顔。フェルナンの大好きな、鈴を転がすような声。間違いなく、本人だ。
偽物ではない。フェルナンにはわかる。
「クロエ、それなら……」
「……あ!そろそろクラウス様がこちらにいらっしゃる時間帯です!ごめんなさい。私行かなくっちゃ!」
「あ…………」
フェルナンはクロエに力なく手を伸ばすが、その手が彼女に届くことはなかった。彼女はフェルナンなんか見えていないみたいに、ひらりと身をかわして去ってしまった。
フェルナンはその場にずるずるとしゃがみ込み、膝に額を押し付けた。
苦しい。
苦しい。
心が悲鳴を上げている。
その体勢のまま、聞こえるかどうかぎりぎりの声で、姿の見えない相手に話しかけた。
「……いるんだろ、ジルベルト。姿を見せろよ」
「わかっていたのか」
フェルナンから少し距離を置いた場所。何もなかった空間が歪み、ジルベルトが姿を現した。
「ふん……馬鹿にするなよ。闇魔術対策は万全なんだ」
「そうか……すまない」
「どうせ、僕を心配してるんだろ?……はは……見てて、どうだった?滑稽だろ…………ほんと、馬鹿みたいだよな、僕……」
「そうは思わない」
「そうかな……僕が、こんなだから。クロエもきっと……愛想をつかしたんだよ。いや……好きだって言ってくれたのが、最初から嘘だったのかもね……」
フェルナンは、下手くそな作り笑いをして言った。傷つきすぎて、自暴自棄になっているのだ。
だが、ジルベルトは彼に厳しい態度を取った。
「……お前は、自分の好きな女性がそんな人だと、本気で思っているのか?」
「は……?」
「……お前が、『彼女』を信じないでどうする。他ならぬ、お前が!」
「……!!」
フェルナンは絶句した。ジルベルトは強い口調で続ける。
「もう一度聞く。お前の知る『彼女』は、そんな人間なのか?」
「…………違う。絶対に違う。クロエは、あんなことしない」
フェルナンは悪夢から覚めたような顔をしていた。強く、強く首を振る。
「クロエは。僕の知るクロエは、人を悪戯に傷つけるような人間じゃない!」
「それならば、思い出せ。お前だけは忘れるな。彼女を信じろ」
「……うん」
「本当の彼女は、泣いているかもしれない。助けを求めているかもしれない。ならば、お前が助けるんだろう?」
「……ああ!絶対に助ける!!」
フェルナンは立ち上がってジルベルトの前まで来た。そして勢い良く頭を下げた。
あの、フェルナンが。
何とジルベルトに、頭を下げたのだ。
「ごめん。どうかしてた……ありがとう、ジルベルト」
「仕方がない。俺だってリーナがあんな風になったら、きっと正気ではいられない……」
「……はは、それは……滅茶苦茶怖いな」
フェルナンはやっと笑ってみせた。下手くそな笑顔じゃない、彼らしい皮肉めいた微笑み。
「ジルベルト。頼む。僕は彼女を助けたい。力を、貸してほしい」
「当たり前だろう」
「ふ……ありがとな。ジル」
ジルベルトも、わかりにくいながらも口角を上げて首肯した。彼はもう、ジルベルトの数少ない友人の一人なのだ。
「僕をリーナベルのところに連れて行ってくれないか?彼女は……洗脳を疑って、調べ始めているんだろう?」
「ああ。お前が立ち直ると信じて、一人で頑張っている。力を貸してやってくれ」
「勿論だよ」
フェルナンは不敵に笑ってみせた。
心は、確かにボロボロだ。今にも崩れ落ちそうなのは、変わらない。
けれど友人の言葉で、確かに目が覚めた。
『彼女』が泣いているかもしれない。
自分に、助けを求めているかもしれない。
それを救うためなら、何だってやってやる。
「クロエ…………待ってて」
小さな、小さな声で呟いた。
強い意志を込めて。
願わくば、それが『彼女』に届くよう、フェルナンは祈った。
そうして彼は、ようやく歩き出したのだった。




