5-3 攻略開始したヒロイン
翌日。学園の始業日――――新チームが始動した日。
なんとクロエの様子が、突然おかしくなった。
彼女は……『イベント』を、片っ端から起こし始めたのである。
最初は誰もが、気のせいかと思った。偶然かと考えた。
何故ならクロエと話してみると、いつも通りなのだ。丁寧で優しい、普段のクロエだった。
彼女は、フェルナンの退院の迎えに行けず申し訳ないと謝っていた。体調はもう大丈夫、心配をかけてごめんなさいと、言っていた。
しかし、クロエからフェルナンに接触することがなくなったのだ。
二人はあんなに、想い合っていたのに。
クロエに話を聞き出そうという予定だったが、あまりに様子がおかしい。
そのため、予定は延期して様子を見ることになった。
だが、しかし。
数日が経っても、元に戻るどころか――――クロエは、ますますおかしくなっていった。
時系列をまるで無視して、イベントを起こし続ける。
クラウスとジルベルトのイベントはことごとく塩対応で潰されたが、それでもめげないのだ。
しかも、こともあろうに、攻略対象以外の貴族子弟たちにまで接近し始めた。
「いや、絶対に異常よ……!!」
リーナベルは前を睨みつけて言った。
クロエを取り囲む男子学生の集団が見える。クロエ集団とでも言おうか――――まるでアイドル扱いのような様相を呈している。
その中心にいるのは、クロエと、もう一人の攻略対象であるカイン・シュバリエ。
赤銅の長めの髪はゆるくウェーブしていて、大人っぽい色気がある。彼は真っ赤な瞳を細めて、熱心にクロエを見つめていた。
シュバリエ侯爵家嫡男。出来の良い弟に劣等感を持ち、女遊びに精を出す、いわゆるお色気チャラ男枠の人物である。
彼は今や、クロエの熱烈な信奉者と化していた。何だか、イベントの進みが異様に早いのだ。
今もクロエの手を取って、キスを送っている。その目は、明らかな熱を宿していた。
「クロエちゃんはあんなにフェルナンのことが好きだったのに、急にこんな風になるなんて。絶対おかしいわ」
「俺もそう思う。俺たちは、彼女が脅されている線で調査する。リーナは……魔術をかけられている線で、調査を頼める?」
「わかった」
隣に立っていたジルベルトと、リーナベルは頷き合った。
魔術の線で調査するならば、本来はフェルナンと共にやるのが一番良い。
それが、良いのだが……。
「フェルナン……は。今は無理、しないで」
リーナベルは、少し離れた場所で地面に座っている人物を見遣った。
もう何も見たくないという風に顔を背け、自分の腕に顔をもたれさせて項垂れている。
その顔色は蒼白で、目には色濃い隈があった。
「ごめん……。少し、頭を整理する時間が……欲しい」
「仕方ないわよ。謝らないで」
フェルナンの落ち込みようは、凄まじかった。
やっと気持ちを通じ合わせたと思っていたクロエの、突然の豹変。
次々に見せつけられる、彼女が他の男たちと睦み合う姿。
無理もない。
もしもジルベルトがある日突然ああなったら、きっとリーナベルも正気ではいられない。
「フェルナン、変な気を起こしちゃ駄目だからね」
「ああ……」
「ジル。私は今日は、ルシフェル先生に話を聞きに行く」
「俺も同行するよ、リーナ。……フェルナン、よく休め」
リーナベルたちは動き出した。
すぐにでも友人を、クロエを救わねばならない。
クロエを救う戦いが相当な長期戦になるとは、この時は思いもしていなかった。
♦︎♢♦︎
「それで――――『心属性』による洗脳が疑われるということだね?」
「そうです、先生。私は友人を救いたい。どうか先生の知識をお貸しいただけませんか」
リーナベルの言葉にルシフェルは厳しい顔をしていたが、やがてふにゃりと力を抜いた。
「そういう話なら、仕方ないね……可愛い弟子の頼みだもの。僕の限られた知識で良ければ協力するよ。君やジルが、知識を悪用するとは思えないからね」
「ありがとうございます!先生」
リーナベルは顔を綻ばせた。ルシフェルの協力が得られるなら心強い。
「まず『心属性』がこの国で使われた可能性だけど――――ある、と言える」
「!」
「十年ほど前になるね。王宮に封印されていた『心属性』の魔術陣が、一部持ち去られるという事件があったんだ」
「そんな!」
「その件は俺も知りません」
何ということだ。大変な事態ではないか。
「この件は、ごく一部の者しか知らない。王は魔術陣を全て燃やして、処分したと公言していたんだ。それなのに、実際は王宮の奥深くに厳重に保管されていたんだよ。何に使うつもりだったんだか……。そして魔術陣が持ち出された跡には、闇魔術が使われた形跡があった。その分析のため、私が駆り出されたってわけさ。だからたまたま、この件を知っていたんだ」
「また、闇属性か……」
「分析の結果、犯人について何かわかったのですか?」
「何も。あまりにも痕跡が薄すぎた。相当に高度な技術を持つ術者だと思ったねぇ」
この件の裏で暗躍している者は、やはり闇属性を有しているのだろうか。しかも、ルシフェルでも分析のできないほど、高度な使い手だ。隣国の手の者とは、また違う人物である可能性が高い。とにかく謎が多い。
「心属性に適性のある者がその魔術陣を習得していれば、洗脳ができた可能性があるということですね?」
「そういうことになるねぇ」
「それで先生。もしもそうだと仮定して――――洗脳を解く手段はあるのでしょうか?」
「それは限りなく、難しい。解呪の成功例が本当に実在したのかも、定かではない。一部の条件だけは言い伝えられているがねぇ……。失われた技術だから少しだけにはなるが、私の知っていることを教えるよ。だからリーナベル。フェルナンと知識を共有して、彼と解呪方法を探るのが良いと思うね。その構築は、きっとほとんどゼロからになる。彼の発想力が必要だよ」
「……わかりました。フェルナンが立ち直ったら、そうします」
「もちろん、私も協力するからね」
それからリーナベルは、心属性についてのいくつかの知識と解呪のヒントを聞いて、研究所を後にした。
♦︎♢♦︎
「リーナ、大丈夫?」
家に帰って、聞いた知識を書き留めたものを整理していると、ジルベルトが頭を撫でて心配してきた。
「大丈夫よ。少し不安になっただけなの。あまりにも難しい問題で、解呪できる気がしなくて……」
「まだ洗脳と決まったわけじゃない。脅されて、行動を命じられている可能性もある」
「そう、ね……。でもとりあえず、最悪の事態を想定して動くわ。秘匿性が高い情報が多いから、扱いに気をつけないとね」
「俺が魔術で隠蔽するから、そこは心配ないよ」
「うん……」
リーナベルの顔色が悪いので、ジルベルトは一旦書類を置かせて、自分の膝の上に座らせた。
そのまま、細い体をぎゅっと抱き締めて囁く。
「せっかく友人になったのに、クロエ嬢が急変してショックだったね」
「うん……。しかも、元に戻らないかもしれないなんて……」
「大丈夫。必ず方法はある」
「うん……」
「それに……リーナ。『洗脳』が使われている可能性を聞いて、怖くなったんだろう?俺も、急に心変わりするかもしれないと」
「!ど、どうして…………」
「ずっとリーナを見ているんだ。そのくらいわかるよ?」
ジルベルトは、リーナベルの顔中にキスを落として甘やかした。それでも彼女は、不安そうな顔を崩さなかった。
「うん……私、ジルのこと、信じてる。でも、『洗脳』なんてものが使われたら、太刀打ちできないと思ったの。それって……まるで『強制力』みたいじゃない?」
「……」
「クロエがヒロインの行動をなぞらされているように、ジルもキャラクターの『ジルベルト』として動かされるかもしれない。私も……残忍で狡猾な悪役令嬢『リーナベル』になって、ひどいことをするのかも」
「リーナ」
ジルベルトは、素早くリーナベルに口付けた。
「ん…………」
ジルベルトの魔力が流れてきた。うっとりとして心が落ち着いていく。
口の中を丁寧になぞられるのに、リーナベルは応えた。
「リーナ……上手」
「ん……」
顔を離したジルベルトが愛おしそうに琥珀を細めて、リーナベルを撫でた。
「安心していい。俺はリーナのことを信じてる。君はキャラクターの『リーナベル』なんかじゃない」
「うん……」
「もしもリーナが洗脳されたら、俺が何をしてでも助ける。絶対に君を見限らないと約束する」
「ジル……ありがとう」
泣きそうだ。不安がポロポロこぼれてしまったけど、ジルベルトに抱きしめられていると、大丈夫だと感じられた。
「それに、先生の言っていたことを覚えている?『洗脳』するのに、必要な条件」
「勿論。心が大きく弱っているか、身体が大きく弱っているか――――そのどちらかの『隙』がないと、洗脳はうまくかけられない……」
「そう。だから、気を強く持つことが大切だよ」
「うん、そうね」
リーナベルもジルベルトをぎゅっと抱き締め返した。
気持ちが弱ったら洗脳される危険があるという。いま動揺して弱ってしまえば、恐らく敵の思うツボなのだ。
「リーナの身体は絶対に俺が守るから、リーナは自分の心を守って」
「ジルは?」
「俺は、リーナさえ居てくれれば大丈夫。心が弱ったりしない。それに……俺の身体がそこまで弱っているところ、想像できる?」
「それは……ふふ。想像できない……」
ジルベルトは最強の騎士様だ。敵に遅れを取ってやられている姿は、正直想像できない。
彼の弱点は間違いなく、リーナベル。彼女に何かあれば、彼は一気に窮地に陥るだろう。
だから、リーナベルはしっかり自衛しなければならない。
「私、頑張るね」
「一人で頑張りすぎなくていいよ。俺に頼って欲しい」
「わかった…」
甘やかされて、心地良い。やはりジルベルトさえ居てくれれば、耐えられそうだと思う。
「私……魔術感知のリングを、急いで全員分作る。いまは男性陣しかつけていないから。もしもの時、洗脳されたことを感知できた方がいいよね」
「それは急ぎでやろう。あと、リーナ……俺は、フェルナンが心配だ」
「それは私も。いまは間違いなく、『心が大きく弱っている』状態よね」
リーナベルは、追い詰められた友人の姿を思い出して俯いた。あまりにも痛々しい姿。うまく勇気づけられない自分がもどかしい。だって、かける言葉が何も見つからないのだ。
「彼には同意の上で、護衛をつけている。だけど敵に闇属性持ちが潜んでいる以上、俺が警戒した方が良いと思う。学園ではなるべく彼を見守るけど、良い?」
「それは勿論。……ジル、フェルナンを護ってくれるの?」
「ああ。彼は恩人だし、友人だから。でも、リーナ。フェルナンを護っている間は、リーナから離れる時があるかもしれない。できるだけ誰かと共にいてもらうようにするけど、それで大丈夫?」
「大丈夫よ!フェルナンを護って欲しい。私、気持ちを強く持って付け入れられないようにする。あと、何かあったらピアスで必ず連絡するから」
「うん。そうしたら瞬時にリーナのところに転移するからね。協力を頼みたい」
「わかったわ!」
俄然やる気が出てきた。リーナベルは自分のためより、他人のために頑張る方が向いているのだ。
「リーナ、明るくなって良かった……。君が俺の光なんだ。大好きだよ」
「私も……」
リーナベルとジルベルトは、お互いの気持ちを再確認するかのように、しばらく触れ合っていた。
それはまるで、この時間が失われるかもしれないという恐れから、逃げるかのようでもあった。




