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閑話 王太子クラウスの弱点

 それはサバイバル戦の、少し後のことである。

 王太子の執務室でジルベルトが仕事をしていると、バンと扉を開けて部屋の主――――王太子クラウスが入ってきた。

 いつも優雅な所作の彼が、珍しいことだ。すわ緊急事態かと、ジルベルトに緊張が走った。


「大変だ、ミレーヌが……!」

「ミレーヌがどうした!?」

「ミレーヌが……婚約破棄、するって……!」

「ああ……そう言えば宣言していたな」

「何だって!?」


 真っ青な顔をしたクラウスが、ジルベルトの襟元を掴んで激しく揺さぶった。


「知っていたのかジル!?」

「いや、サバイバル戦の件で怒られたんだろう?それで婚約破棄してやるって言っていたのは、確かに聞いた」

「うっ……!そうなんだよ。その件を怒られた……」

「ちょっと、秘密裏に動きすぎたな。俺も、リーナに怒られた。さすがに今回は、無関係の人間を巻き込みすぎたと思う」

「でも、仕方がないだろう!これで隣国にきつい脅しをかけて、向こうの動きを封じられたんだよ!あっちの非人道的な研究内容を明らかにして、世界に糾弾させられる!それもこれも、全部、ミレーヌを守るためなんだ……!!」

「それでも。彼女に何も事情を説明していなかったのは、良くなかったと思う。ちゃんと誠実に謝れ。そうしたら大丈夫だ」

「それが……大丈夫じゃないんだ……!!」


 青ざめたクラウスが両手で顔を覆う。彼の尋常でない様子に、ジルベルトも心配になった。


「どうした?他に何か言われたのか?」

「き……きらいって、言われたんだ……だいきらい、だって……!!」

「はあ……」

「はあ、じゃない、ジル!!だいきらい、だよ!?」

「いつも、よく言われてるじゃないか……」

「違う!!いつもの照れて言ってるやつじゃない!!本気の目だったんだ!!」

「クラウスッ、おちつけ、揺さぶるな!!」


 呆れるジルベルト。クラウスが意地悪をして、ミレーヌに「嫌い!」と言われるのはお決まりのやりとりだったからだ。

 しかしクラウスはジルベルトの頭をガクガク揺さぶっていた。今まで見たことがないほど狼狽している。


「許してもらえるまで、きちんと謝るしかないだろう。ミレーヌはどうしているんだ?」

「それが、部屋に籠ってしまって。顔も、合わせてくれない……」


 クラウスは、今にも泣き出しそうだ。

 あの人形のようだったクラウスが、こうも変わるとは。付き合いの長いジルベルトも驚きである。もしもミレーヌにフラれたら、本当に死んでしまいそうな危うさがある。ジルベルトは「全く仕事にならないし、とにかく話をして来い」と言って、彼を早々に送り出した。



 ♦︎♢♦︎



「ミレーヌ。話がしたいんだ……」

「私は話すことなんてないわ。もう婚約者でもないしね」


 遠慮がちにミレーヌの部屋の扉をノックしたが、一刀両断された。

 彼女は籠城しているのだ。

 クラウスは、額をドアにつけて項垂れた。


「ごめん、ミレーヌ。今回のことは、さすがに良くなかったんだね」

「見損なったわよ。人のことを駒かなんかだと思ってるから、こういうことができるんだわ」


 その言葉は、クラウスの心のやわらかい部分をさっくりと抉った。

 他の人間に言われても何も感じないが、ミレーヌだけは別である。


「……そうだね。僕は、所詮『()()()()()』だから…」


 クラウスはとても低い声で、吐き出すように小さく呟いた。


「…………?」

「……僕は、人の心がわからないから。正しいとされている行動をなぞって、ただ真似しているだけだから。だから、人を傷つけるんだと思う。だから、僕は……ミレーヌに、嫌われてしまったんだね……」

「……そ。そこまでは、言ってないわ」


 そのままクラウスは、ずるずると頭を下げて座り込んでしまった。

 その宝石のような紫の瞳から、透明な涙がポロポロとこぼれ落ちていく。

 鍵穴からその様子を盗み見ていたミレーヌは、ぎょっとした。急いでドアを開けて、しゃがみ込む。


「ク、クラウス。言いすぎたわ。泣かないで……」

「ミレーヌ……」


 クラウスは弱々しく頭を上げて、ミレーヌを見上げた。


「どうすればいい?どうすれば、また好きになってくれる……?何だって直すよ。今の僕が嫌になったんでしょう?僕が、ダメだったんでしょう?大丈夫……合わせるのは得意なんだ。上手に作れるよ。ミレーヌの好みに、完璧に合わせる。何でも言う通りにするから、だから……」

「クラウス!!」


 ポロポロと涙をこぼしながら、無機質な目で、あまりにも酷いことを言い募るクラウス。

 ミレーヌは耐えきれず、彼の頬を勢いよく両手で挟んだ。


「ばっっっかじゃないの!?私が好きなのはクラウスよ!合わせてもらわなくて結構よ!!」


 ミレーヌは大声で叫んだ。人形のようになっていた紫の瞳に、少しだけ光が戻る。


「え……、だって、きらいって。だいきらいって、いったじゃないか……」


 ポロポロと涙をこぼし続けるクラウスは、まるで迷子の子供のようだった。そのあまりの痛々しさに、ミレーヌまで涙がこぼれる。


「もう……!そんなに傷つくなんて、思わなかったのよ。ごめんなさい。言いすぎたわ……」

「ミレーヌ……僕、どうしたらいい?これから先……またきっと、君に嫌われるような行動を取ってしまうことがあると思う。僕には、強い意志や優しい心なんてないんだ……。『()()()()()』だって、ずっと言われてきたんだ……。非情な判断も平気でしてしまうし、ミレーヌの言う通り、人を駒のように思っているんだと思う。でも、ミレーヌに嫌われたら、僕は生きていけない……。また間違ったら、それで今度こそ、本当に嫌われたら……僕は、どうすればいい……?」


 ミレーヌは、深く深くため息をついた。彼がその心に負っている傷は、ミレーヌが思うよりもまだまだ深いようだ。


「あのねえ、そのために私がいるんでしょうが!クラウスが間違ったら、その度にちゃんと叱ってあげるわよ!ちゃんとずっとそばに居て、見てあげるから大丈夫よ!!」


 ミレーヌは彼のサラサラの金髪を撫でてやった。紫の瞳に、キラキラと光が溢れ出す。


「え……一緒に、いてくれるの?これからもずっと……?」

「もう……ばかねえ!当たり前じゃない!!私……クラウスのこと、大好きなのよ?」


 そう言って抱きしめると、クラウスはおずおずと彼女の背に腕を回してきた。婚約破棄などと言って、お灸を据えすぎたと反省する。ミレーヌは今回、とても怒っていたのだ。でもクラウスに必要なのは、きつく言って拒絶することではなく、きちんと話し合うことなのだと思い知った。ミレーヌは自分にも甘えがあったと、心の底から反省した。


「つくりものだなんて、二度と言わないで。あなたはちゃんと優しいし、私のことも友人のことも大切にしてるわ。ただ、何でも()()()()()()()()から……時々、やりすぎちゃうだけよ。だいたい、間違わない人間なんていないんだからね!私なんて間違ってばっかりよ!?知ってるでしょ!!」

「わかった……わかった。ありがとう……ミレーヌ」

「ただねえ、守られてるだけなのは、もう嫌なの!ちゃんと話して欲しいし、裏で勝手に動かないで欲しい。それは約束して?」

「うん……わかった。肝に銘じる」

「はあ……。もういいわ。言いすぎて、傷つけてごめんなさい。婚約破棄なんてしないからね。仲直りしましょ?」

「……じゃあ、キスしてもいい……?」

「勿論」


 こんなに弱っている彼は珍しいので、ミレーヌは苦笑した。いつも自分を揶揄(からか)って楽しんで、勝手に愛でて、無理やりキスしてくるのに。

 まあ、それだけミレーヌのことを好きだと言うことか。少し重たいけれど、それでもクラウスのことを好きなのだから仕方がない。その重たさごと、ミレーヌは愛していくしかないのだろう。


 クラウスはミレーヌに、そっと慈しむようなキスをした。ミレーヌはそれでは足りなかったので、彼の瞳にキスを落とした。涙を啄むように、繰り返し口付けていく。

 クラウスは、やっと少し笑った。


「ミレーヌ……好きだよ。いつも僕を導いてくれて、ありがとう。君が道標(みちしるべ)になってくれないと、僕は駄目だ。僕には、君だけなんだ……」

「うん、それはよく分かったわよ。貴方って、本当に私のことが好きよねぇ……つくづく、謎だわ……」

「うん、大好きだ。どうしようもないほど。君を失ったら、死んでしまうほど」


 その言葉は、ほぼほぼ真実なのだろうと……ミレーヌは実感した。


「仕方がないから、ずっと一緒にいてあげるわ」

「……ありがとう。ねえ、ミレーヌ」

「なあに」

「君を抱きたい」


 気づくとクラウスの瞳が激しい熱を宿して、ミレーヌを見つめていた。ミレーヌは一気に林檎よりも赤くなって、動揺した。


「ええ……!?もうしないって、前した時に言ったじゃない!!」

「でも今、どうしても君を抱きたい。君がちゃんと僕のものだって、実感しないと不安だ」


 二人の初めては以前に済ませている。クラウスが意地悪をするので、ミレーヌは禁止令を出していた。


「今日は、優しくするよ。お願い。抱かせて、ミレーヌ」

「うう、仕方ないわね……じゃあ……一回だけ、だからね」


 しぶしぶ頷くと、クラウスはくしゃりと笑った。泣き出す寸前の幼い子供みたいな、不器用な笑顔だった。


 この国の王太子は、頭の出来はすこぶる良いけれど不安定で、一人の人間にこんなに一喜一憂させられてしまう存在なのだ。

 ミレーヌは間違いなく、この王太子の――――この国の、弱点である。


 だからずっと、彼のそばにいてやらなければ。彼が間違った時は、自分がちゃんと叱ってやらなければいけないと、改めてミレーヌは思った。


 約束が違うとミレーヌが怒るまで、あと数時間。

 いつも通りの調子に戻ったクラウスが、ご機嫌で謝って仲直りするまで、あと数時間。


 急にスケジュールをキャンセルした王太子の尻拭いに追われたジルベルトとランスロットが、一緒に胃薬を飲むまで、あと数時間のことである。

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