4-14 ヒロインの事情(※クロエサイド)
クロエ視点です。
「フェルナン、明日退院できることになって、本当に良かったねぇ」
美しい白銀の髪を揺らして、妖精みたいに綺麗な人が言った。
リーナベルは優しい。そしてどこか、クロエの『前世』の母に似ていた。
クロエはずっと、彼女と話してみたかった。だから、こうして恐れ多くも――――友人になれて、いまとても嬉しい。
「はい!……本人は、『休暇丸潰れなんてサイアク』ってぼやいていましたけど」
「死にかけた上で助かって、一ヶ月の入院で済んだんだから感謝しないとね。それもこれも、ぜーんぶクロエちゃんのお陰だって言うのに!」
「ミレーヌ様のお薬あってこそですよ」
「もう、クロエちゃんは本当に謙遜しすぎるんだから!」
リーナベルはぷりぷりと怒ったような声を出している。クロエはクスクスと笑った。
今日はフェルナンのお見舞いに、リーナベルも来てくれたのだ。
クロエが光魔術をかけ続け、ミレーヌが薬物治療を施したことで、彼は奇跡的な回復を見せていた。例え魔術を使ったのだとしても、致死状態から一ヶ月で復帰できるのは、凄いことなのだと言う。
「クロエちゃん、フェルナンとは仲良くできてる?もう、告白は……したのよね?」
「は、ははははいっ!!!あのその、はい。仲良く……してます」
急に照れ臭い話題を振られて、クロエは慌てた。熱くなって、多分顔がユデダコになっているのがわかる。
実は、回復したフェルナンがもう一度目覚めてすぐに、想いを通じ合わせた。『仲良く』しているのは事実だが、直接的な話をするのはやっぱり恥ずかしい。
「今度、詳しく聞かせてね?本当に良かった!二人はすごくお似合いだもの!」
「わ、私は……リーナベル様の方が、フェルナン様とお似合いだと、ずっと思っていました」
「まさか!!フェルナンとは全然そういうんじゃないから!男友達?研究仲間?……みたいな、ものなのよ」
「ふふ、フェルナン様も同じことを言っていました。お二人が友人同士なんだって、今はよくわかっています」
クロエは笑った。
フェルナンに恋焦がれる中で、彼と仲の良いリーナベルを「いいなあ、お似合いだなあ」と思ったことは何度もあった。
妬んだことは、正直なかった。リーナベルは自分と格が違いすぎて、雲の上の存在であったから。
彼女にはとても仲の良い婚約者がいることも知っているし、フェルナンが自分だけを想ってくれていると、今は理解できている。
リーナベルがふと真剣な表情になって、クロエの手を包み込むように優しく握った。とても温かい。
「……あのね。クロエちゃん。フェルナンのこと以外でも、もし悩んでいることがあるなら、何でも言って欲しいの」
「……!リーナベル様……」
クロエは俯いた。
ずっと悩んでいることは、本当は――――ある。
でも、簡単に言えない秘密だった。
『あの人』にバレたらどうなるかわからない。
フェルナンやリーナベル達に、害が及ぶ可能性もある。
そして何よりクロエは、ようやくできた大切な人たちに、嫌われたくなかった。
――――私の『秘密』を話したら、きっと、軽蔑される。
「……っ。ごめんなさい。あの……もう少ししたら、話を聞いてくれますか?」
「……うん。わかった。いつでも言ってね」
リーナベルは心配そうな眼差しをして、けれどそれ以上追求することはなく、去っていった。
♦︎♢♦︎
「クロエ、おかえり。……あいつ、帰る時ちゃんと護衛付けてた?」
「はい。今日はジルベルト様ではなかったですけど」
「リーナベルって、何か抜けてるとこあるからな……。見送りありがとう、クロエ」
「いいえ、お礼を言われることでは。だって、リーナベル様は、私の……ゆ、友人、ですから」
「ふ。もっと堂々と言って良いと思うけど。皆クロエのこと、大好きなんだ」
ベッドで身体を起こして、気怠げにしていたフェルナンが、クロエの顔に手を伸ばした。
「……何か、不安そうな顔してるね」
「……っ!そ、そんなこと……」
「言いたくないなら、良いよ。でも、心配はしてるから」
「……はい……」
フェルナンには、隠し事があるととっくにバレている。
どうしても話せない自分が、情けない。
彼はそのままクロエを引き寄せて、口付けた。
「……っん……」
最初は、啄むように何度も。
やがて力の抜けた口から舌を入れられて、口内を優しく掻き回される。少しずつ、フェルナンの魔力が流れてきた。いつまでも浸っていたい、心地よい爽やかな味がする。この一ヶ月で、クロエが大好きになってしまった味。こうされると安心して、とろんとしてしまう。
優しい手が、包み込むようにクロエの髪ごとうなじを撫でた。フェルナンはとても可愛い顔をしているし、身長もクロエより少し高いくらいだけれど、手はやっぱり大きくて逞しい。男の人なんだと実感する。
こんな時、どうしようもないほど彼が好きだと、愛おしいと思う。
「……マーキング、したからね。これには、クロエを守る意味もあるから」
「ん……はい」
「もし話す気になったら、いつでも聞く。覚えてて。僕は何があっても絶対に、クロエの味方だ」
「フェルナン様……ありがとう、ございます」
フェルナンが、ゆっくりとクロエを抱き寄せた。
クロエは、涙が溢れるのをぐっと堪えた。
――また、今日も言えない。
どうして自分は、こんなに意気地なしなんだろう。
彼のことが大好きだ。
――――だからこそ、嫌われるのが怖い。
軽蔑されるのが、怖かった。
♦︎♢♦︎
治癒院の面会時間が終わって、クロエは家路に着いていた。
家の前まで、フェルナンの手配した護衛が付いてきてくれる。
今日も『あの人』の馬車が停まっていないと良いけど……。
家の前に辿り着くまで、クロエはいつも緊張するのだ。
学園に入学してからは、『あの人』の来訪は途絶えた。
今は、護衛が付いているお陰なのかもしれない。
学園でも、幸い向こうから接触してくることはなかった。
クロエのことを見限ってくれたのか、まだ監視しているのか、わからない。
ベルナール男爵を通した恐喝も、最近は途絶えている。
見限ったのであって欲しいとは思うが、入学前にされた『命令』を無視して行動していることは、きっと『あの人』の怒りに触れていることだろう。
クロエは、昔のことに思いを馳せた。
クロエの『前世』は短かった。
彼女は弱冠十四歳で、長い闘病生活の末に亡くなったのである。
十四年の生涯のほとんどはベッドの上で過ごし、学校にも全然行けなかった。友達もいなければ、恋なんて勿論、したこともない。両親は優しく、深い愛に包まれていたが、その分いつも泣かせてしまっていた。
彼女の心を癒すものは、物語の世界だけだった。中でも、彼女が夢中になったのは乙女ゲームだった。彼女は青春を送ることができなかったのだから、物語の中の恋に憧れるのも無理はなかったのである。
前世のクロエが死んで、生まれ変わった世界でも、クロエの人生は厳しかった。彼女は生まれた時から前世の記憶があったが、人生経験が豊富でないまま亡くなってしまったため、この世界で活かせる知識などは持ち合わせていなかった。
今世の母はよく面倒を見てくれたものの、もともと体が弱く、クロエが八歳になる前に亡くなってしまった。父はもともと酒癖が悪かったが、母亡き後の父はますます酒に溺れ、クロエのことを省みることはなかった。借金が嵩むばかりの毎日。幼い彼女は近所の手伝いをして、日銭を稼いだ。
クロエはただただ、今その時を生きるのが辛かった。
この世界が、かつてやったゲームと同じで――――自分が『ヒロイン』なのかもしれない、と言うのは、ぼんやりと理解はしていた。国や王子様の名前、自分の外見がゲームと一致していたからだ。もしかしたら、いつか素敵な人と恋ができるのかもしれない、と夢見ることはあった。しかしクロエにとって、それは遠い幻想ようなものだった。前世の記憶自体が、自分の都合の良い妄想なのかもしれないとも思っていたのだ。そのくらい、彼女は人生に追い詰められていたのである。
そんな時に『あの人』から差し伸べられた手を、クロエが取ってしまったのも、仕方のないことだった。
――――それが、『わるもの』の手だとも知らずに。
「貴女には特別な力があるの。だから私が、貴女を助けてあげるわ」
初めて会った日。
クロエが11歳になった日。
『あの人』はそう言った。
クロエが『ヒロイン』だと、『あの人』は知っていた。
クロエは優しく促されるままに、前世の記憶を洗いざらい話してしまった。
その秘密は、幼いクロエが一人で抱えるにはあまりにも重たかったのだ。




