閑話 ジルベルトの可愛い婚約者
リーナは夢の中でも、甘い花みたいな香りがするんだな。
ベッドの上で、彼女をぴったり後ろから抱き込むようにしながら、ジルベルトは思った。
「ジル………………」
甘える仔猫みたいな、可愛い声が響く。
夢の中のリーナの触り心地もふわふわだ。
もうずっとこれを触って生きていきたい。
俺はリーナの耳に口付ける。小さくて可愛い耳だ。「ひゃんっ」と声を上げて跳ねる様子まで、リアルな夢だった。
「リーナは……どこにキスされるのが好き?耳?頬?それとも……瞼?」
「ん…………えっと…………」
「早く答えないと、俺の好きなところにキスするよ?」
楽しくなってふふと笑いながら、耳に息を吹き入れた。リーナはびくんと震えて、耳まで真っ赤に染まっている。
可愛いなあ。もっともっと触りたい。
余す所なくキスして、それで……。
ああ、最高の夢だな……。
何たって今日は、休日だし。
昨晩は、リーナが俺の部屋に泊まってくれたし。
…………。
…………ん?
「…………リーナ。もしかして……これ、夢じゃない……?」
「……へ?ジル……?……ええっ、まだ寝惚けてたの?」
一瞬でサッと血の気がひく。
青くなった俺は即座にリーナから離れて正座した。
はだけた寝衣からのぞいた真っ白な足が、太腿があまりにも眩しい。
「朝から、すまない……っ!!!俺は、寝惚けたまま……!!」
「えっ……?ジル…………」
「……や、やめちゃうの…………?」
俺はリーナを抱き締めて、続きを再開した。
♦︎♢♦︎
あのデビュタントでの拉致事件のことは、今でも自分を許せないし、犯人を抹殺したくなる。
ただ、あれから俺たちの中で変わったことがいくつかあった。
一つ目。リーナが俺に甘えてくれるようになったこと。
いつも一人で抱え込みがちで、周りに頼らずに頑張ろうとしてきたリーナ。時に、俺に愛されるのを恐れ多いというような態度をとり続けてきたリーナ。
その彼女が、やっと俺に頼り、少し甘えてくれるようになったのだ。
俺はずっとそうしてほしくて、彼女を甘やかそうとしてきたので、信頼を勝ち取れたのがとても嬉しい。
例えば、眠れない夜にピアスの合図で俺を呼んでくれるようになった。事件に加え、『シナリオ』の開始が近いこともあり、不安で眠れない夜があるようだ。そういう時はすぐに転移して迎えに行き、リーナを自分の部屋に連れ帰る。朝まで抱き締めて眠ると、彼女は安心するようだった。
昨晩も、そういう日だった。本音を言うと、俺にとってはご褒美なので、毎日でもこうしたい。
彼女の家族が心配しないように、毎回念話をランスロットに投げるのだが、「俺を連絡係に使うな」と翌日とても怒られる。しかしあの兄は妹を心配しているので、結局協力してくれるのだった。
二つ目。俺がまたリーナに遠慮なく触れるようになったこと。
リーナを長い間悩ませて悲しませていたことは、一生の不覚だ。少し考えればわかるのに、俺は大馬鹿だった。ミレーヌにもヘタレと怒られ、返す言葉もなかった。リーナに立てた騎士の誓いを今度こそ守るため、もう絶対にこんな間違いはしたくない。
俺はもう、つまらない意地をはるのを止めた。彼女を泣かせるくらいなら、自分がどう思われたって構わない。
距離を置いていた分を取り戻すかのように、せっせと会いに行っては彼女に引っ付いている。
抱きしめて、キスして。触れたい時は遠慮しないようにしている。
ただ、さすがに一線は死守しているが。いや……今朝のも正直、かなり危なかったと思うが……。
『シナリオ』が始まるまで、もう半年を切っている。ゴールは見えている。まずは俺が揺らがないことを見せて、シナリオを最後まで終えて、リーナに安心してもらいたい。
何とか頑張れ。耐えろ、俺。
三つ目。リーナが「好き」と言ってくれるようになったこと。
もうこれには正直、快哉を叫びたくなった。
リーナはずっと、その眼差しや他の言葉、態度で俺を好きだと伝えてくれてはいたが。
やっぱり俺はずっと、彼女のその言葉を待っていたんだと思う。
あの凛とした可愛い声で「好き」と言われると、いつも幸せでいっぱいになる。何だって乗り越えられると思う。
叶うならばこれからも、たくさん言い続けて欲しい。
そのために、ずっとずっとリーナを安心させてやりたい。
俺からも、何度だってこの言葉を贈り続けたい。
♦︎♢♦︎
今日はせっかくの休日なので、あの後リーナとデートに来た。
ずっと来たかったカフェがあるというので、二人で訪れたのだ。
リーナは先程からキョロキョロと店内を見回している。可愛い。青の瞳が、陽に照らされた海のようにキラキラ輝いている。
「すごいね!可愛いお店!!ゲームで見た通りだわ!」
そうそう、これも変わったことのひとつだな。"ゲーム"や未来に対して、必要以上に怯えなくなったというか。今日も、ゲームのデートシーンで何回も出てきたカフェを、本当はずっと見てみたかったと、リーナが言い出したのだ。
「今を信じて大切にしたいと思ったの」と、リーナは言っている。ミレーヌと話して心境に変化があったようだ。俺にできないフォローをしっかりしてくれるミレーヌには、感謝してもしきれない。
リーナの憂いを、一つでも多く晴らしてやりたい。できるならずっと、笑っていて欲しい。
勿論『シナリオ』に警戒は必要だろうが、それは俺やクラウスが頑張れば良いことだ。彼女はもう、十分頑張ってきた。
それに俺だって、リーナとの"今"を楽しみたい。
「うわあ〜!ケーキが十……二十……二十四種類もある!すごい、迷っちゃう……!」
メニュー表を見て、むうと眉間に皺を寄せるリーナが可愛い。
さっきから自分でも自覚しているが、俺はリーナを見ていると頭が「可愛い」でいっぱいになるんだよな。
クラウスに「ジル、また『可愛い』しか語彙なくなってない?」と薄笑いで馬鹿にされることも多い。正直あいつにだけは言われたくないが……。あいつも大概だと思う。
「リーナ。頼みたいだけ頼んで、一口ずつ食べても良いんだよ?余ったら俺が食べるし。全種類頼んで、残りは持って帰っても良い」
「そんな勿体ないことできないわ!う〜ん……でもどうしよう。うう……あのね、ジル、何個くらいなら食べられそう?」
「三、四個は軽くいけるかな」
「ジルは甘いもの好きだもんね。肉体労働だしいっぱい食べられるのね」
俺の一番好きな甘いものはリーナだが、それは言わないでおいた。
リーナは散々悩んで結局4個のケーキを頼んで、俺とシェアした。四個でいいのか。こういうところも、やっぱり可愛い。
しまいには、「またジルと来た時の楽しみに取っておくから、いいの!」と言った。時々、可愛さで俺を殺す気なんじゃないかと思う時すらあるな……。
運ばれてきたケーキをフォークで掬って差し出すと、照れながらも食べてくれた。
お返し、と言ってリーナからもおずおずと差し出してくれた様子が、今日の可愛さ最高記録を更新していた。
――ああ、さっさと『シナリオ』を終わらせて結婚したいな。
そのためにも、キナ臭い連中はまとめて締め上げないといけない。
もっと強くなって地位を盤石にして、彼女を守れるようにならなければ。
きっとあと少しの辛抱だ。
学生結婚も珍しくないしな。
俺は稼ぎがあるし、嫡男だから問題ないだろう。
しばらくは二人でいたいけど、いつか子供もできたら幸せだろうな。
「ジル、楽しそう。何考えてるの?」
「リーナとの将来のこと」
「えっ!?!?……びっ、びっくりさせないで!もう……!」
帰り道、手を繋いだリーナが頬を染めてこちらを見上げ、反対側の手で顔を仰いでいる。その様子に俺は破顔してしまった。多分、すごくだらしない顔になっているんだろう。
リーナはふにゃりと、俺の大好きな微笑みを浮かべて、打ち明け話をするように囁いた。
「あのね、ジル。大好き……」
――ああ、俺の婚約者は、今日も最高に可愛い。




