3-10 親友との約束
「リーナああああ!!!!」
真っ赤に目を腫らしたミレーヌが、それ以上泣いたら目が溶けてしまうんじゃないかと思うほど涙を溢れさせながら、リーナベルに抱きついた。
「ミレーヌ、心配かけてごめんね」
ジルベルトの家で朝を迎えたその翌日、リーナベルはミレーヌに会いにやって来た。自分の名前を使われてリーナベルを誘き出されたと知ったミレーヌが、ショックと心配のあまり憔悴しきっていると、クラウスから連絡をもらったのだ。
まず昨日は、家族にこれでもかと号泣された。あんなに自分を愛してくれているのに、重ね重ね申し訳ない。
そして今日は、ミレーヌの涙を受け止めるつもりで来た。ミレーヌの名前をまんまと利用されるなんて、自分はなんて愚かだったんだろうと思う。本当にたくさん、心配をかけてしまった。
これからはもっと危機感を持って自分の身を守らなければと、強く思ったのだ。
大切な身を危険に晒してまで直接救出に来てくれたクラウスにもお礼を言いに行きたかったのだが、「その時間でミレーヌと一緒にいてあげてくれたら嬉しい。僕のところに来るのは、回復してからゆっくりでね」と言っていたそうだ。
ほとんど眠れていなかったであろうミレーヌの様子を見るに、確かにそれで正解だったようだ。
クラウスとジルベルトは、あの事件のことを追究するという。共有できる情報は後で伝えるから、今はとにかく休養を取るようにと言われた。
背後にいる人物や団体はわからないが、もし隣国が関与しているならば、下手に口は出せない。
「リーナ、リーナああ……!こわがっだねええ……」
「うん……でも、ジルがちゃんと助けに来てくれたから、私は大丈夫だったの。ちゃんと無事よ」
「ゔん……っ!そっが……!そっがあ……!!」
ミレーヌは我がことのように、滅茶苦茶に泣きじゃくっている。きっと、自分が危険な目に遭うよりも彼女にとっては辛かったのだろう。そういう子だ。
ミレーヌをどうにか宥めたあと、リーナベルはゆっくり話し始めた。
「それにね、ミレーヌ。良いこともあったの」
「いいこと……?」
「ジルと仲直りできたのよ。なんだか行き違いがあったみたい。あとね……ジルにやっと、『好き』って言えたの」
「……!!そっか……!!リーナ、ずっとずっと悩んでたもんね……よがったねええ……!!」
ミレーヌがまた泣き出してしまった。リーナベルはサッと次のハンカチを取り出す。
できるメイドのメアリーが、たんまりと持たせてくれたハンカチである。
「だけどね……今回のことで思ったの。シナリオの強制力みたいなものが、働いているのかなって……。私達は悪役令嬢だから、行き先が破滅に向かうように、運命が捻じ曲げられているのかなって……」
「リーナ……。うん……、うん、わかるよ……。私も、そう感じていて不安だったの……。ねえ、今回の事件も、『イベント』に似てたよね……?」
「うん。あれはフェルナンルートのイベントね……」
ヒロインがその光魔術の有用性に目を付けられ、王宮の夜会で拉致される事件。内通者に誘導される点や、犯人に暴行されそうになる点、隣国の関与が疑われる点などが共通している。
ただ、ゲームでは馬車での拉致だったし、転移などの高度な魔術は使われていなかった。そもそも標的が、ヒロインでなくリーナベルだったという違いもあるのだが。
「色々と違うこともあるけど、こうもシナリオっぽいことが続くと……不安になるよね」
「うん……。ミレーヌ……私、あんなに私のことを大切にしてくれるジルを、ちゃんと信じたいよ。でも、怖いの。来年、学園でシナリオが始まるのが怖い……ヒロインが、怖いんだ……」
「そんなの当たり前だよ!!!私なんて正式に婚約を結んでも、正直全然クラウスのこと信じてないよ!!!なんかクラウスって、あっさりと心変わりしそうじゃない!?」
「ミレーヌ……。それは言い過ぎだわ」
踏ん反り返るミレーヌに、リーナベルはジト目になってしまった。クラウスだって、あれだけミレーヌのことを大切にし(すぎ)ているのに、あんまりである。
「でもね!私それで良いかなって思ってるのよ。今、私がクラウスのことが好きで、クラウスが私のことを好きなのは確かなんだもん。これからのことは、そりゃ不安だけどね。怖いし泣いちゃう日もあるけどね…。『今』を信じていられれば、それでいいかなって」
「!!そ、そっか……。『今』を信じる、かあ」
リーナベルは目が覚める思いがした。先行きのことを心配しすぎて、大切なことを見失いそうになっていたかもしれない。
「そうね。今、気持ちが通じ合っているなら、それを信じるのが一番よね」
「そうそう!疑心暗鬼よくない!できることを頑張ろうよ!」
「じゃあ、私もっと魔術を研究するわ!もっとジルの力になりたい。それに、魔道具をもっと万能にする。強制力防止機能とか、GPS機能付きにする」
「さすがよリーナ!私はねえ……こうなったら治療薬を量産して世論を味方につけてやるわ。ヒロインが私に逆らえないようにしてやるの!あのクラウスだって世論には逆らえないわよ!おっほっほ!」
「ミレーヌ……顔、顔。悪役顔すぎる」
「ハッ!いけない!」
二人はコロコロと笑い合った。なんだか元気が出てきた。
やはり持つべきものは友人なのかもしれない。恋は幸せもたくさんもたらしてくれるけれど、時に辛く苦しいので。
「じゃあね……あのね、ミレーヌ……もしね、もし、ジルの心が私から離れたと感じて、私がまた彼を信じられなくなっても……ミレーヌは、味方でいてくれる?」
「勿論よ!あっ、戦闘ゴリラは滅茶苦茶怖いけど……できるだけ頑張るわ!」
「その言い方やめて」
「だから……リーナも、もしクラウスが私をポイと捨てちゃった時は、私の味方でいてね……」
「勿論!」
手を握り合って励まし合う。
本当はお互い、言いようのない不安に包まれていることは理解していたけれど。
お互い、この恋を失ったら生きていけないんじゃないかとわかっていたけれど。
でも、今は。
「大丈夫!例え推しに振られたって、私達は親友だわ!」
今はまだ、何も失ってはいなかった。
それに、隣に頼もしい親友がいてくれることが、心強かった。
シナリオの始まりは、もうすぐそこだ。
♦︎♢♦︎
「ローニュ帝国の魔術師だと思われる男だが、予め仕込んでいたらしい自爆魔術で自死した。痕跡も残らず、証拠にもできない。……僕の落ち度だ。すまない」
一方王太子の執務室では、男たちの密談が繰り広げられていた。
「そうか。いや……突入する時に俺が慎重な手段を取れていれば、結果は違っただろう。相手が複数転移できるほどの魔術師だとは掴んでいたのに、俺は奴を確実に封じなかった。むしろ、今回の件ではお前に感謝しかない」
「まあ、あんなに頭に血が上ったジルは初めて見たけれど……リーナがまさに危機に陥ってたんだから仕方ないよ」
「まあ……正直何度やり直しても、俺はああするしかできないと思う」
「だろうねぇ。ジルのそういうところを僕は信頼してるんだからね」
「……すまない」
「今回の件に関しては、父上が王命で緘口令を敷いた。帝国絡みだからね。僕達の様子を目撃した貴族の口には多少乗るかもしれないが……堂々とリーナを貶める者はいないはずだよ。さすがに王命には逆らえないだろう」
「本当に、なんと感謝していいか……。会場でリーナを探して騒いでしまったから、気にしていた。本当にありがとう」
「ふふ、僕からも父上に上申したんだよ?大恩ある友人のリーナのためだから、当たり前だけれどね」
クラウスは笑って見せた。つくづく頼りになる親友だと、ジルベルトは深く感謝した。彼への忠誠が揺らぐことはないだろう。
「……さて。他の犯人たちは、我が国で雇われた半端者たちだね。それに、あの女官も借金を盾に誘導を頼まれただけ。証言通り、偶然港の名前を耳にしたんじゃなければ、ジルに脅されてもすぐに情報を吐かなかっただろう。まあ尋問は続けるけど、どうもこれ以上は情報が出そうにないよ。主犯格の魔術師から情報を引き出せなかったのはかなり痛手だな」
クラウスが腕を組んで難しい顔をした。ジルベルトも顎に手を当てて思案している。
「だが、これで帝国が絡んでいるのは間違いなくなった……魔術師が帝国訛りだったと言うリーナの証言と、彼女に使われていた魔術陣封じの魔道具。加えて自爆魔術。条件が揃いすぎている」
「闇属性も、帝国では別にレアじゃないしね。あっちは適性が豊富だ。その代わり魔力量が少ないが……」
「例の魔術師は人為的に魔力を上げた者だと思う。初めから捨て駒だったんだろう。帝国らしいやり方だ」
「嫌になるね。さすがに船は帝国直通じゃなかったけれど、まあ何ヵ国か経由する予定だっただけだろうねぇ。魔道具と自爆魔術、どちらの条件もクリアできる国は少ない。今回は国として帝国へ正式に抗議したけど、まあ当然だんまりだよ」
「だろうな。こちらが証拠を出せない以上仕方がない……。十中八九、狙われたのはリーナの才能か」
ジルベルトの琥珀の瞳が剣呑に光る。クラウスも頷いた。
「ほぼ間違いないだろうね。戦争好きで魔力量に悩む帝国が、喉から手が出るほど欲しているものだ。一体どこから漏れたんだろうねぇ……事故があった騎士団か、研究所の人員が有力かな?鼠を探し出す必要がある」
「そこは任せてくれ。まあ、あとはドラゴンの襲撃事件を仕組んだ犯人の線もある。現場を何らかの手段で監視されていた可能性があるだろう」
「確かにその線もあるね。あっちは気味が悪いほど犯人の手がかりを見つけられないからなぁ。禁忌薬の残渣もすぐ消えてしまったし、手詰まり感があるな。まあ、一つ確かなことは……」
クラウスは一度言葉を区切り、一層険しい表情で続けた。
「王宮内に、隣国と繋がっている者がいると言うことだ。例の魔術師は、王宮の構造を知り尽くしていた。しかもジルは連れ出され、僕や宰相一家がちょうど手を離せなくなった時に、拉致が仕掛けられた。十分すぎる状況証拠だな」
「禁忌薬を仕組んだ犯人も王宮に出入りしている可能性が高いが……同一人物である可能性は?」
「僕は限りなく、高いと思っているよ」
「そいつと、例の女が繋がっている可能性が高いと俺は踏んでいる。『シナリオの強制力』だけでは説明がつかない」
「同意見だよ。あの、忌々しい、例の女ね」
「ああ、あの、忌々しい」
「全く、アレのせいでミレーヌは……」
「アレのせいでリーナは……」
「おいおーい……ちょっと待てって!お前ら顔怖すぎ。もうちょい逆恨み抑えろよ。まだあの子がクロだとは決まってないでしょーが。ったく、何のために、これから俺が色々頑張ると思ってんの?」
悪魔のような形相になった二人に待ったをかける者がいた。
彼は先程からずっと部屋に居たが、黙り込んで思考を整理していたのだ。彼はいわば頭脳の役割を担っている。二人がポンポンとかわす推論を黙って聞きながら、より真実に近い仮定を導き出そうとしていたが、話が 盛大に逸れ始めたので待ったをかけたのだ。
「え、上司である僕のためじゃないの?」
「リーナの幸せのためじゃないのか?」
「ジルベルト、素で答えるな。まあ、帝国まで出てきちゃ俺も頑張るしかないよな〜」
「……なあ、リーナには、本当のことを知らせなくて良いのか?」
ジルベルトは気遣わしげな声をかけた。
「敵を欺くにはまず味方からって言うだろ?リーナはそんなに器用なタイプじゃないんだよ。優しすぎるからな」
「……わかった。お前がそれで良いのなら」
「ん。リーナのフォローは頼むからな」
「ああ、約束する」
三人は頷き合う。
こうして、男たちの密談は終わった。
「それじゃあ、今回の情報を踏まえて各自検証。引き続き予定通りに頼むよ。お前を信頼している――――――ランスロット」
「仰せのままに。王太子殿下」
シナリオの始まりは、もうすぐそこだ。




