3-3 推しとのファーストダンス
今日のメインイベントとして、デビュタントを迎えた貴族女性が並び立ち、順番に国王陛下からのお言葉を頂いていった。
リーナベルは魔術陣の研究成果についてお褒めの言葉を頂き、大変恐縮してしまった。ほとんど大部分を秘匿しているとは、口が裂けても言えまい。
国王陛下は、クラウスがそのまま成長したような美形だ。サラサラの金髪に紫の瞳。威厳に満ち溢れていて、あまり表情を動かさない。
王弟であるアドリアン公爵とは、あまり顔立ちは似ていない。こちらも美形ではあるが、体格が良く、いつも人好きのする笑顔を浮かべている。
クラウスの母である前王妃は、彼を産んだ時に産褥熱で亡くなっている。ゲームでは、クラウスが心を閉ざした原因はそこにあるとされていた。
現王妃は、クラウスの妹である二人の王女を産んでいる。栗色の髪の、おっとりした雰囲気の女性だ。
不躾にならない程度にロイヤルファミリーを観察しつつ、陛下からのお言葉は特に問題なく終わった。これで社交デビューは果たされたことになる。
この後、いよいよファーストダンスだ。
この国では、ファーストダンスは通常婚約者と踊る。婚約者がいない場合は親族と踊るのが一般的だ。
リーナベルは会場で丁寧にエスコートされながらも、やはりジルベルトに距離を置かれていると感じていた。
リーナベルは、何だかだんだん緊張してきてしまった。だって、最近はしばらく抱きしめられたこともない。ダンスなんて、彼とそんなに近づいて平気だろうか。
心臓をバクバクさせながら隣を覗き見るが、ジルベルトはこちらを向かない。こういう時、心にぽっかり穴が空いたように感じてしまう。
――いつから、こんなに高望みになったんだろう……。
リーナベルは密かに項垂れた。
そのうちに、王族から順番にダンスが始まった。クラウスとミレーヌも、中央で踊り始める。
ミレーヌはそこまで運動神経が良くないので、一緒に随分練習したが、そんな隙は見えない仕上がりになっている。器用なクラウスが、巧みにフォローをしているようだ。彼は何でもできるのである。ミレーヌと時折言葉を交わしながら、クスクスと微笑む余裕っぷりだ。ミレーヌも、余裕がないながらもはにかんでいて初々しい。
親友の恋の魔法はまだまだ解けていないようで、リーナベルはほっとした。
音楽が止んで次の曲に切り替わる。デビュタントの令嬢たちが、ファーストダンスを踊る番だ。
「行こうか」
ジルベルトに手を差し出される。指の長い大きな手に、自分のそれをそっと重ねた。
初めは不安だったが、そこからは――まさに、夢のような時間だった。
シャンデリアの下で、彼の瞳の琥珀色が煌めいている。彼は以前のように、大切そうに、慈しむようにこちらを見つめていた。
ジルベルトのリードは力強く、とても踊りやすい。二人で練習したことは何度もあるけれど、最初から誂えたように息がぴったりだった。初めの頃はそんなことにも自惚れたな、と思い出す。
リズムに合わせて、彼の束ねられた宵闇の髪が舞い、弧を描くのが美しかった。
世界に二人きりになって、時間が止まってしまったようにすら感じる。
夢みたい……。本当は、最初から全部夢だったのかしら……。
大好きな体温と香りが懐かしくて、リーナベルは出会った時のことを思い出していた。
会う前から好きだったけれど、『本物の彼』には多分、一目惚れしたのだろうと思う。
最初はただ、彼を助けたかっただけだった。
あれから、もう三年以上が経った。
三年の間に、もっともっと大好きになってしまった。
「リーナ、とても綺麗だよ」
琥珀の双眸が、愛しげに細められている。
甘いテノールが、心地よく鼓膜に響く。
ずっとずっと、この夢が続いてくれれば良いのにと――――リーナベルは、思ったのであった。
♦︎♢♦︎
素敵な夢は、会場からワッと上がった拍手で、あっという間に覚めてしまった。
あとは自由なダンスと歓談の時間というところで、ジルベルトは急に上司の騎士から呼ばれてしまったのだ。
ジルベルトは戻ってこず、何だか難しい顔で、ずっと話し合っている。何か起こったのだろうか。
しばらくして、心底申し訳なさそうな顔をしたジルベルトが、こちらに戻ってきた。
「すまない、リーナ。緊急の案件で仕事に出なければいけなくなった」
「そうなの?私のことは気にしないで行って。お仕事なんだから」
「今日はずっと一緒にいられると言ったのに、ごめん……」
非番のジルベルトが駆り出されるほど、緊急の案件とは何だろう。リーナベルの心は、そこにざわついていた。
確かに、今日は久しぶりにずっと一緒にいられると思っていた。だから、寂しくないと言えば嘘になる。夢から一気に覚めて、現実へと引き戻されてしまったような気分だ。
でも、仕事に向かう彼を引き止めるわけにはいかない。彼の邪魔にだけはなりたくないのだ。
リーナベルは、綺麗に笑顔を作ってみせた。
「いいのよ」
「リーナのご両親は……いま取り込み中か。ランスロットは……オーレリア嬢とのダンスに捕まってるな。クラウスとミレーヌの姿も、見えない……」
「大丈夫。ちゃんと大人しくしているから」
ジルベルトがリーナベルを預けられる相手を探そうとキョロキョロし始めたので、慌てて言った。
緊急の案件なのに、自分のことで時間を取らせてはいけない。
「リーナ。知らない相手にはついて行かないで。必ず誰かと合流して。家族と先に帰っていてもいい。俺は、どのくらいかかるかわからない」
「心配しないで。もし何かあったら……ちゃんと、ここに」
リーナベルは自分のピアスをトンと示した。
ジルベルトも少し笑顔を取り戻して、耳元をトンと叩いた。
「わかった。合図があったら、必ず駆けつけるから。約束するよ」
そのままジルベルトは急いで姿を消してしまった。
取り残されたリーナベルは、言いようのない不安と寂しさに包まれる。
彼に心配をかけたくなくて、虚勢を張ってしまったと思う。
それにしても、彼でないといけない案件ということは、闇属性などの魔術関連だろうか?もしや、何か事件があった……?
先程から探しているが、ミレーヌの姿が見えないのが不安だ。彼女が狙われる可能性は危惧していたことだった。
それに、クラウスの姿も見えない。
周囲を見回しながら、ひとまず壁の花になろうと移動していると、声をかけられた。
「失礼致します。リーナベル・ノワイエ様。少し宜しいですか?」
振り返ると、知っている顔がそこに立っていた。ミレーヌについている女官だ。
「ミレーヌ様が控え室でお呼びです。お急ぎだとのことでした」
ざわりと嫌な予感がする。
彼女に何かあったのだろうか?
「すぐに向かうわ」
心配になって、すぐに彼女の案内に従った。
せめて誰かに言伝を残してくれば良かったかと途中で思ったが、会場からはどんどん離れていく。
女官の足取りが緩まらないので、リーナベルはふと違和感を覚えた。
「ミレーヌはどこに?」
「王族用の控え室で休憩していらっしゃいます。この先です」
この女官は確かにミレーヌ付きの人物のはずだ。それは間違いない。
しかし、それにしてはなかなか到着しない。
しかも――――いつの間にか、随分人気のない方角に誘導されている気がする。
周囲を伺っても、護衛が誰も見当たらなかった。
――もしかして。
私、やってしまった…!?
リーナベルはそこで愕然とした。まさか、自分が標的になるとは思っていなかったのだ。
女官の他に、人の気配はまだない。
緊張で喉がカラカラになるのを感じながら、悲鳴を上げると同時にピアスに魔力を流そうとした。
その瞬間。
「――――――っ!!」
口に布を当てられ、意識が一瞬で刈り取られるのがわかった。
ジル。ごめんなさい――――――――……………………
ピアスに魔力を流せないまま、リーナベルは昏倒した。




