3-1 推しとデビュタントへ
「本当に綺麗だ、まるで雪の妖精みたいだ――――俺の、リーナ」
磨き上げて着飾ったリーナベルを見て、ジルベルトが顔を綻ばせた。
月日が流れ、二人は十五歳になっていた。今日はリーナベルのデビュタントだ。婚約者のエスコートを受けるのが一般的であるため、リーナベルはジルベルトと共に、馬車で王宮の夜会へと移動していた。
このフランツ王国では、貴族も平民も、十五歳で成人扱いとされる。貴族女性はデビュタントを迎え、婚姻も可能となる。
そのためか、この世界の人々はリーナベルの前世の世界よりも、精神的に早熟だ。ジルベルトなんか出会ったのは十二歳の時だが、その時既に前世で言うところの、十五〜十六歳くらいの貫禄と落ち着きがあったと思う。
――まあ、乙女ゲームの攻略対象って、前世に実在した男子より、どう考えても大人っぽかったもんね……。
リーナベルは、前世の中高における同級生男子達のお子様っぷりを思い出し、微笑ましい目をした。世界が乙女ゲーム基準に合わせられた結果必然的に、精神的に大人っぽい世界になったのかも、と今は推測している。ゲームのご都合主義というやつだ。
なお、身体的な成長具合は、前世よりちょっと早い程度にすぎないと思う。ゲームの登場人物は軒並みスタイルが良いが。
貴族は男性も十五歳までに社交デビューして顔繋ぎをしてから、十六歳で魔術学園に入学する。一定以上の魔力のある者は学園への入学が義務付けられているので、貴族はほぼ全員が学園へ入ることになる。魔術の研鑽をすること、魔力量の多い子孫を残すことは、この国の貴族の義務だ。
学園入学は、貴族子女としての教育を各家庭で終了させた後となるので、魔術学園は前世でいうところの大学のような機関――――主に魔術の研究教育を目的にした高等機関と、若い貴族の社交場を兼ねている場所なのである。
ゲームをしていた時は、そういう事情はよくわからなかった。何せ、授業はミニゲームだったし。パラメータ上げにしか、使っていなかったし。
勿論平民でも、例外的に魔力を持つ者はいる。それこそ、ヒロインのように。ただし、優れた力を持つ者は貴族の養子に取られるか、騎士団などの国の機関に入るのが一般的だ。
ともかく、この世界における十五歳は大人なので、婚約者がいるのが一般的。ろくに見合いもせずフラフラしている兄、ランスロットは特殊な例だ。かれはもう十七である。「俺はなぁ、より取り見取りだからいいんだよ」などと余裕ぶっているが、リーナベルは兄が心底心配だ。
他の攻略対象だと、魔術師のフェルナンにも婚約者がいないが、彼には色々と事情があった。一歳年下でもあるし。
「リーナ、具合が悪い?それか、緊張している?」
物思いに耽っていたら、ジルベルトが心配そうに尋ねてきた。
今日の彼は騎士服ではなく、ぱりっとした黒のテイルコートを着ている。以前よりさらにすらりと伸びた身長、引き締まった体躯が映えていた。普段は降ろされている前髪も半分後ろに流しており、それが大人っぽくて、強烈に格好良い。
その格好良さと色気に、リーナベルは婚約者を二度見したほどだ。今日も彼女は推しに対して通常運転である。
一方のリーナベルは、白の布地に同色の刺繍と、縫い付けられたパールが輝くドレスを身に纏っていた。白銀髪は後ろで編み込んで結いあげ、白い薔薇の生花で飾っている。これらはメイドのメアリーが何ヶ月も張り切って準備し、「お嬢様は王国一ですわ!」とやり切った顔をしていた。この国のデビュタントは白のドレスを着て、生花を頭につける決まりだ。
胸元には、ジルベルトから贈られた豪奢なネックレスが輝いていた。琥珀色のパパラチアサファイアに、ダイヤモンドがたっぷりあしらわれたネックレス。公爵家の財力に震えたが、ミレーヌは一言「独占欲すご……」と言って引いていた。
いや、ミレーヌが贈られた宝飾品も大概……いや、それ以上だったのだが。賢明なリーナベルは、口をつぐんでおいた。
ちなみに、なんちゃって中世ヨーロッパ風のこの世界。コルセットは胸当てと一体化しており、体型を補正する程度の目的のものである。顔面蒼白になるほどギュウギュウに締め上げられたりしないので、そこは心底良かったと思う。下に履くのも、前世とあまり変わらないショーツだ。豪奢なドレスの重みはあるものの、ドレスアップしたことで具合が悪くなったりはしていない。この世界が乙女ゲームであるという設定に、非常に助けられていた。
それに、リーナベルは今まで、しっかりと淑女教育を受けてきた。だから、緊張もあまりしていなかった。
「体調も良いし、緊張もしてないわ。ジル、ありがとう」
「気分が悪くなったら、すぐ言って。今日は騎士としての仕事は外れているし、ずっと付いていられるからね」
リーナベルは僅かに苦笑した。体調も悪くないし、気分も悪くないが、最近のリーナベルが目下悩んでいるのは――――『ジルベルトその人について』であったからだ。
ここ、半年くらいだろうか……?
ジルベルトの態度が、明らかによそよそしくなっているのだ。
以前は暇があれば転移してきたし、膝に乗せたり、念入りにマーキングしたりしてきた。隙あらば抱えて抱き寄せてきたものである。
それが、どうだろう。最近は会えるのが週に一回程度。送迎も侯爵家の護衛に頼むことが多い。
そして、必要以上に近付いたり、触れたりしなくなった。おかしいのは明らかだった。
以前のように膝に乗せないどころか、座る時はむしろ、少し距離を置いている。
それに、習慣づいているマーキングも最低限で、終わればすぐに離れてしまうのだ。
相変わらず態度は優しいし、こちらを気遣ってくれるけれど、リーナベルの不安は澱のように溜まっていった。
――ねえ、ジル。もしかして、私にもう飽きてしまったの?
愛情が、薄れてしまった?
シナリオが近づいているせい?
それとももう、私のことを――――嫌いに、なった?
考えれば考えるほどリーナベルは苦しくなり、思い詰めて涙する夜もあった。
それでも、ジルベルトを問い詰めることなんてできない。
今まで恥ずかしがってばかりいたのは自分だし、何より自分はジルベルトに、きちんと「好き」とも言えていないのだ。
思い上がったバチが当たったのだろうか。こんなことになるのなら、最初から近づかなければ良かったのだろうか。
最近は、そんな後悔ばかりしている。
初めて愛した人に心底愛される時間は、今は霞のように遠く感じられ、まるで幻だったようにすら思えるのだった。




