閑話 クラウスとミレーヌ4
『君以外を妃にするつもりはない』宣言以降からの、クラウスの猛攻はすさまじかった。
毎日の、大量のプレゼント攻撃。
しかも、重い手紙までついてくる。
そして再三の、デート要求。
王太子妃になる気なんてさらさらないミレーヌは、困り果てた。王族なんて、自分には向いていなさすぎる。面倒臭すぎる!
それに、あんな輝く美貌のイケメンと、二人きりでデートなどに行ったら、完全に好きになってしまうという確信があった。
ついに誘いを断りきれないと父親に泣きつかれたミレーヌは、転生者と思われるリーナベルに一言文句を言いに行った。
貴女が候補を降りてシナリオを変えたせいで、私大変になってるんだからね!?と、一言言ってやりたかったのだ。完全に逆恨みなのは、百も承知であった。ついでに転生者だと確認できたら、クラウスのことについて少し相談もしたかった。
しかしそこで、思わぬ事実が発覚した。
なんと彼女は、ミレーヌの前世における唯一無二の親友――大好きな、よっちゃんの生まれ変わりだったのである!
「うそ……っ!ゔぞおおおお!!!よっちゃん!!!……よっぢゃん……っ!!!……あ、あいだがっだよおおおお……!!!!」
「ううゔ……っ!みーちゃん……!わたしもっ……!わたしも、みーちゃんに、会いたかった…っ!!!」
二人はわんわん泣いて、再会を喜びあった。
死に別れた親友と再会できるなんて、こんなに嬉しいことはない。
そして、前世からよっちゃんに甘えていたミレーヌは、リーナベルにも早速甘えを発揮した。
クラウスとのデートに、ついてきてもらうことにしたのである。勿論、彼女の婚約者のジルベルトも一緒だ。
二人きりじゃないなら、少しは接触が減るし、緊張も軽減されるはずである。きっと、簡単に好きにならずに済むと思ったのだ。
それに、ミレーヌの事情を知る親友が一緒なら心強い。いざという時は助けてもらえるだろう。
その夜は、リーナベルとパジャマパーティーをして語り合った。
リーナベルは、何と前世からの恋を成就させていた。彼女は前世から呆れるほど、ジルベルト一筋であったのだ。
彼女は人生を、命をかけてジルベルトを救い、愛し愛される婚約者になっていたのである。
親友のあまりの一途さに、話を聞きながら感動したミレーヌは、ズビズビと泣いてしまった。
私にも、いつかそんな恋ができるのかしら……。
ミレーヌはぼんやりと、クラウスの少年のような笑顔を思い出していた。
♦︎♢♦︎
初めてのダブルデートから時が経ち、クラウスとミレーヌは十四歳になっていた。
狭かったクラウスの世界は、ミレーヌを中心にどんどん広がって行った。
ミレーヌはいとも簡単に、クラウスの心の壁を取っ払っていったのだ。
破天荒で、無邪気で、可愛い彼女といると、いとも簡単に笑えて、感情が動いた。
ミレーヌが突拍子もないことをする度に、クラウスはお腹を抱えて笑うようになったのである。
真っ直ぐで、純粋で、信念を持つ彼女といると、憧れて強く焦がれた。
薬作りに没頭する彼女を美しいと思ったし、彼女に相応しい人間になりたいと渇望した。
クラウスの世界は突然色付いたかのように、色々な感情が溢れて止まらなかった。
彼女への恋心が、世界を変えていく。
会いたい。触れたい。好きだ。こっちを見て。笑いかけて。可愛い声。ずっと聞いていたい。髪が風に靡くのが、綺麗だ。翡翠の目が輝くのを見ていたい。可愛い。愛しい。支えたい。そばにいて。
可愛いミレーヌ。
どうか、僕の道標になって。
どうか、僕を好きになって。
どうか、ずっと僕のそばにいて。
クラウスは激しい恋に身を焦がし、がむしゃらに彼女の気をひこうとした。手段なんて選んでいられなかった。惨めでも滑稽でも、何でも構わなかった。
無理をしてでも時間を捻出し、定期的に四人で出掛ける機会を作った。
それは意外にも、とても楽しい時間であったので、ミレーヌと二人きりでなくとも全く構わなかった。むしろミレーヌは、リーナベルといると気を抜いて警戒が緩むので、そこに付け込もうという狡い気持ちもあった。
元婚約者候補筆頭であったリーナベルとも、すっかり仲良くなった。彼女は賢く、面白い視点を持っており、優秀だった。クラウスは自分がいかに『人』をちゃんと見ていなかったのか、まざまざと思い知った。
人間不信に陥るあまり、先入観で決めつけ、相手をきちんと見ていなかったのだと、深く反省したのだった。
そんな風に日々を過ごすうちに――――あの、ドラゴンの襲撃事件があった。
♦︎♢♦︎
クラウスが死んでしまうと思った時、ミレーヌは心の底から恐怖を感じた。
彼の笑った顔ばかり、思い出していた。
嘘の笑顔じゃない、本当の幼げな笑顔ばかり。
ちょっと意地悪な、クラウス。
でも、本当は底抜けに甘くて優しい、クラウス。
何故かミレーヌのことが大好きな、クラウス。
他の婚約者候補を蹴落としたり、やることがえげつない、クラウス。
そんなに腹黒いのに、少し臆病な……クラウス。
自分を好きになれない、大切にできない……愛しいクラウス。
ミレーヌは、知ってしまった。
自分は、もうとっくに、クラウスを好きになっていたのだと。
彼を失ったらどうなってしまうかわからないほど、彼を愛してしまっていたのだと。
クラウスが助かって、心から安堵したけれど。
その晩ミレーヌの心は全く落ち着かず、おそらく顔じゅう真っ赤になりながら、ずっと心臓を押さえていた。
多分、ミレーヌは怖かったのだ。
自分が『悪役令嬢』であることが、今更怖くなっていたのだ。『ヒロイン』が現れて、心変わりされるのが怖かった。
クラウスを好きだと認めるのが、怖かった。
きっと――――初めて彼の笑顔を見た瞬間から、本当は既に惹かれていた。
翌日混乱した頭のままリーナベルに泣きついて話を聞いてもらい、ミレーヌは心を決めた。
命を懸けて自分を守ってくれたクラウスに、きちんと向き合おうと。
愛を伝え続けてくれたクラウスに、自分の気持ちを伝えようと思ったのだ。
♦︎♢♦︎
「ミレーヌ!ミレーヌが自分から来てくれるなんて、初めてだ。嬉しいな」
ミレーヌから会いに行きたいと手紙をもらって、クラウスは大層浮かれた。事件の事後処理が立て込んで大変だったが、ジルベルトとランスロットに頼み込んで、何とか時間をあけた。
だって、これは一大事である。
ミレーヌが自分に会いたいだなんて。
しかも、二人きりで会ってくれるなんて、庭を案内してもらった時以来である。
まあ、護衛や付き人は沢山いるが、ノーカウントだ。
「ク、クラウス。あのね。あのね……話が、あるの」
ミレーヌはガチガチに固い顔をしていた。どうしたのだろうか。話とは何だろうか。クラウスは途端に不安になって、表情を曇らせた。
――危険な目にあったから、婚約者候補を降りたくなった?別れを告げに来たのだろうか?
心臓が嫌な音を立てて、冷や汗が背中を伝う。ミレーヌが絡むと自分は一気に冷静でいられなくなることを、クラウスは嫌というほど実感していた。
「話って……何?」
――聞きたくない。聞きたくないが、クラウスは優しい声を出そうと努力した。
別れを告げられたら、これからどう生きていけば良いのかわからない。クラウスは絶望した。
しかし、続くミレーヌの言葉は、クラウスの予想を裏切るものだった。
「わ、私。私ね…………クラウスのことが、好き……」
「…………え?」
クラウスは自分の耳を疑った。聞き間違いだろうか。
あんなにがむしゃらに猛アタックしておいて何だが、クラウスは自分を好きになってもらえる未来が見えず、途方に暮れていたのだ。
だって……自分は『つくりもの』だ。
つまらない人間だという自覚があるし、冷たい人間だと思っている。こんなに魅力的なミレーヌが、自分を好きになってくれるとは思えなかったのだ。
「嘘…………」
「嘘じゃないわ。クラウスのこと、好きなの。きっと、前から、好きだったの……。答えるのが、遅くなって、ごめんなさい」
「……どうして?僕……僕、自分で言うのも何だけど……。そんなに良いところ、ないよ」
心細そうなクラウスの反応に、ミレーヌは吊り目がちな翡翠の目をまん丸にした。猫みたいで可愛かった。
「……クラウスったら!前から思っていたけど、貴方……自分を過小評価しすぎじゃない?」
「そうかな?顔くらいしか、取り柄がないと思うけど」
「ふふ!顔が良いのは自覚があるのね」
ミレーヌは、とびきり優しい笑顔になった。初めて見る、甘い蕩ける微笑みだった。クラウスの目は、それに釘付けになる。
「……笑った顔が、好き。ちょっと意地悪だけど、優しいところが好き。私のこと、好きすぎるところも……好き」
ミレーヌはクラウスに一歩ずつ近づき、頬を染めて笑いながら、クラウスの好きなところを挙げていった。
「私のこと囲い込もうとするくらい腹黒いのに……無理やり手篭めにはできない、臆病なところが、好き。自分を大切にできないところは、直して欲しいから……これから私がそばにいて、貴方のことを好きだって言い続けることにする」
「……ミレーヌ」
クラウスは、気づけばポロポロと泣いていた。
大好きな祖父が亡くなった時も、泣けなかったのに。
「本当は泣き虫なところも、好きよ」
「ミレーヌ……!」
クラウスは、ミレーヌを掻き抱いた。
信じられないほど柔らかくて、良い香りがした。花や薬草の混ざった、彼女の清潔な香り。
ずっと、ずっとこうして抱きしめてみたかった。
「ミレーヌ。好きだ。大好きだ。君なしじゃ生きていけないほど」
「う、うん」
ミレーヌは首まで赤くなっていた。なんて可愛いんだろう。クラウスは感動して、また涙がポロポロ零れ落ちた。
「どうしたらミレーヌが、僕を好きになってくれるのかわからなくて、ずっと困ってた」
「ふふ……!あんなに自信満々に振る舞ってたのに?」
「そうだよ……だから今、死ぬほど嬉しい」
「クラウスが死んじゃうって思ったら、さすがに自覚しちゃった。私、気づかないようにしていたみたい」
「……王太子妃になるのが嫌だから?」
「それもあるけど。怖かったから?」
「……怖い?」
「クラウスが、いつか別の人を好きになって、捨てられたらと思うと怖かったのよ」
ミレーヌが言うと、クラウスは怖い顔になって言った。
「それは絶対に、あり得ないと断言する。僕の心を動かすのは、ミレーヌだけだ。……むしろ、もう君を放してあげられないけど。王太子妃に、なってもらうけど。覚悟は、できているの?」
「それは仕方ないかなって。覚悟してなかったら告白しないわ。創薬の研究は続けさせて欲しいけど」
「むしろ、婚約者になってもらえれば大手を振って研究を支援する。そのための設備を整えるし、人も紹介できる。創薬は民のためになることだ。是非続けて欲しい」
「……うん!わかった!!ありがと」
ミレーヌは、また可愛い笑顔になってクラウスを抱きしめ返してきた。あまりの愛しさに、クラウスはくらくらと眩暈がするほどだ。
「……わからない。こんなに幸せで、良いのかな」
「もう!素直に喜びなさいよ」
「ごめんね。ちょっと、怖くなったんだ」
クラウスは弱った顔で笑った。二人の目線が間近で交差する。
クラウスはミレーヌの翡翠に見惚れながら、そのぽってりとした唇に口付けた。
「ミレーヌ…………大好きだよ」
二人はそうして何度も、啄むような口づけを繰り返した。
二人の婚約が内定したのは、その翌日のことであった。




