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閑話 クラウスとミレーヌ2

 さらりと落ちかかる、色素の薄い金の髪は、まるで絹のように輝いている。直系王族だけが持つ紫の瞳は、まさにアメジスト。

 長い睫毛と、完璧に配置された顔のパーツ。身長も年の割にスラリと高く、引き締まっている。

 王太子クラウスは、まるで神が精巧に作った人形のようだった。そして、彼はいつでも柔和な微笑みを浮かべており、女性陣を虜にしてきた。


 彼はずっと周囲から、「完璧王子」と言われていた。


 何をやっても、簡単にできた。

 すぐに、人並み以上にこなせてしまう。学問も剣術も、魔術も。

 だからやり甲斐というものを、何も感じたことがなかった。

 その上、非常に稀少な「闇」属性への適性持ち。

 年の近い相手では、戦闘の稽古にもならない――幼なじみの、ジルベルト以外には。


 しかし「完璧王子」には、大きな欠陥があり、本人もそれを自覚していた。


 ――感情が動かない。

 ――心から笑えない。


 だからクラウスは、自分に王位は相応しくないと、ずっと思っていた。自分はきっと冷酷な判断を平気で下し、民を苦しめると。



 彼がそうなったのには、きちんと理由があった。

 彼の母、ディアナ王妃は彼にそっくりの美しい人であったそうだが、クラウスを産んだことによる産褥熱で儚くなったのだ。


 ディアナ王妃を心から愛していた国王は絶望し、クラウスの顔を見ることもしなかった。

 物心ついたクラウスは、やっと自分の父に会えた際に、精一杯笑いかけた。幼いクラウスなりに、自分に関心を持って欲しかったのだ。

 だが、まだ三歳の彼に向かって――国王は、こう言い放った。


「ディアナはお前のせいで死んだ」

「ディアナを殺しておいて、笑うな」

「王族ならば、感情を表に出すな」


 その言葉たちは鋭い槍のように、クラウスのやわい心に刺さり、血を流した。

 そのため彼は、まだ幼いうちから――――笑えなくなったまま、育っていくことになる。


 クラウスが5歳のとき、新しい王妃が迎えられた。

 彼女は、見かけはおっとりして見えるが野心家で、出来の良い王子であるクラウスを邪魔に思っていた。そして、クラウスには後ろ盾がなかった。


 彼女に味方した王宮の者たちは、クラウスを見てはわざと聞こえるように言い続けた。


「見て、今日も感情が死んでらっしゃるみたい」

「まだお小さいのに、ニコリともお笑いにならない」


 陰口たちはクラウスの感情を、更に封じていった。

 感情に左右されては、彼は生きていけなかったのだ。


 そのうち彼は、揶揄されるようになった。

 陰で『つくりものの王子様』と。


 ――僕は、つくりものなんだ……。

 幼いクラウスは、思った。

 

 だから、母様を殺してしまったのかな。

 だから、父様に嫌われてしまったのかな。

 僕は、本物の人間じゃないのかもしれない……。


 悪意の込められた言葉の刃は、クラウスの自我形成に大きな影響を与えた。

 人々の悪意に、晒され続けて。彼は本当に、つくりもののようになってしまったのである。



 後ろ盾のないクラウスを気にかけてくれた者は、少なかった。騎士団長のランベルトと、その息子ジルベルト。側近候補として交流を持った、ランスロット。

 そして――病で位を退いた元国王の、祖父だけであった。

 彼は病床にあったので、あまり長時間接することはできなかったが、クラウスに王とは何かを教えてくれた。

 祖父は民に慕われ、賢王と呼ばれた、立派な人だった。


「お祖父様。お祖父様は何故、学校をたくさん作ったのですか?貴族は皆、家庭教師に勉強を教えられています」

「クラウスよ、それでは貧しい民はどうなる。彼らは子どもですら労働力にせねばならず、家庭教師なんかつけられないんだぞ」

「……でも、平民に教育を施して、果たして国の益になるのでしょうか」

「勿論だ。知識は力になる。彼らが学び、成長すれば自分の職業を選択できる。そして、国を支えていけるようになる」


 幼いクラウスは、祖父の行った政策を一生懸命調べた。そして、このような質問を繰り返した。

 祖父はいつも、民のことを考えていた。

 クラウスは、自分もいつかこんな王になりたいと、漠然と思っていた。


「お祖父様……。僕は感情が動きません。心から笑うことができません。民の上に立つ資格があるのでしょうか……」


 祖父の病気の進行は早かった。六歳のとき、祖父との最期の挨拶が許されたので、クラウスは思わず悩んでいたことを打ち明けた。


「クラウス……十分にお前のことを見てやれず、本当にすまない……。でも、聞きなさい……感情が動かない人間なんて、いない……。お前は、必要以上に抑え込んでいるだけだ……。笑えないということに関しては……いつか必ず、お前を笑わせてくれる人が現れるよ……。お前に、愛を教えてくれる人が……」

「愛、を……?」


 祖父は小さな声で、ゆっくりとクラウスに言い聞かせた。


「必ず、現れるよ……信じなさい、クラウス…………」


 クラウスは、こんな時でも涙も零れない自分を恥じながら、祖父の手を強く握った。

 それが、クラウスの聞いた祖父の最期の言葉だった。



 結局、新しい王妃は男子を産めなかった。

 また、クラウスは上手な作り笑いを覚え、その優秀さでめきめきと頭角を表していった。

 そうして十歳になった時、ついに彼の立太子が決まった。


 すると、突然の変化が起きた。

 それまで彼を冷遇していた者たちが、掌を返して擦り寄って来るではないか。

 彼らを冷め切った心で見ながら、クラウスは更に人間不信を拗らせていく。


 特に、貴族女性に対する不信感は根強かった。

 王宮にはびこる女性たちを見て、彼は育った。王妃に、女官に、侍女たち。華やかな見た目と優しげな声とは裏腹に、一枚皮を剥けば自己顕示欲と野心に塗れた化け物が隠れていた。

 婚約者候補たちと次々と面談させられたが、皆同じにしか見えなかった。皆クラウスの関心を得ようと、着飾って香水をまとわせ、頬を染めて話しかけて来る。流行のドレスに香水、貴族の噂話。どれもくだらないと思った。

 どれだけ美しく着飾っても、彼女らの中身は私欲に塗れているに決まっている。


 婚約者候補筆頭のリーナベルのことも、よく見ていなかったと思う。貴族女性は皆同じだと決めつけて、個として認識していなかった。

 だから彼女が突然、幼馴染のジルベルトの婚約者におさまっても、特に何とも思わなかった。

 ――ただし、ジルベルトが突然婚約者に骨抜きになったのには驚いたが。

 無表情仲間だと思っていたのに、と、少し裏切られたような気さえしていた。


 クラウスは、自分の人生はこのまま何事も起こらず、世界の歯車の一つのように機械的に過ぎて行くのだろうと思っていた。



 しかし――その出会いは、あまりにも突然に訪れた。



「王太子妃になるつもりはありません。私、やりたいことがあるのです。とても忙しいのです」


 クラウスはそれまで波一つ立たなかった自分の心に、突然大きな石を投げられたように感じた。


 リーナベルの抜けた穴を埋めるための、婚約者候補としての面談。

 挨拶もそこそこにそんな宣言をして来る者など、これまで一人もいなかった。


 改めて、目の前の令嬢を見る。

 その時クラウスは目の前の人物を、初めてきちんと認識したのである。

 他人に関心のないクラウスにとっては、それだけでも異常事態だった。


 彼女は、意志の強そうな翡翠の目をしていた。美しく豊かなダークブロンドを下ろし、王太子に会うにしては控えめな、新緑のドレスを纏っていた。しかしそれがかえって、彼女自身の存在感と生命力を浮き立たせている。


「ええと……やりたいこと、って、何かな?」


 クラウスは、思わず聞いてしまった。向かい合ったミレーヌ・シャルタン伯爵令嬢は、クラウスから全く目を逸らさずに、非常にはきはきと答えた。


「薬を作りたいのです」

「……薬だって?病気の治療なら、治癒師が魔術で行えるのでは?」

「……それでは、貧しい民はどうなりますか!」


 ミレーヌは怒りの声を上げた。それは、美しく真っ直ぐな怒りだった。

 クラウスは目を見開いて、固まった。


 ――祖父と、同じことを言っている。


「光魔術は便利ですが、お金がかかります。お金があっても、伝染病では人手が足りず、たくさんの死者が出ます。平民たちまで行き届きません!」

「……伝染病の、薬を作るというの?」

「私が作りたいのは、黒斑病の特効薬です」


 迷いのない言葉に、クラウスはまた衝撃を受けた。

 黒斑病。十年程度の間をあけて流行しては、民の命を奪って行く伝染病だ。光魔術ならば簡単に治療ができる。

 また、そもそも免疫力が下がっていなければかからないため、貧しい民しかかからない病気だった。ある程度流行して死者を出すが、自然と収束する。問題視されたことはあれど、本格的に解決しようと動いた者はいなかった。

 

 しかも、薬ときた。薬など、貧しい民が風邪や腰痛などを癒すために、応急処置的に使っているだけの手段。魔術大国のこの国では、病気や怪我の治療は普通魔術で行うのだ。


「特効薬が、できるのか?」

「できると私は信じています!死にゆく命を見捨てたくありません!」


 クラウスは、自分の心臓がドクンドクンと音を立てているのに驚いた。


 ――何だ、この子は。

 この、女の子は。

 たった、十二歳で。

 自然と民のことを考えている。


 彼女は人の上に立つべき人だと――そう、直感的に思った。

 彼女を逃してはならないと、クラウスの頭がけたたましくサイレンを鳴らしていたのだ。


 詳しく聞けば彼女は、伯爵邸の庭を薬草園に改造してしまっていると言う。

 クラウスは無理やり、それを見に行く約束を取り付けた。

 どうしても薬草に興味があると言えば、彼女は少し照れながら、渋々それを受け入れた。

 照れた顔が可愛いと、クラウスは思った。


 ――――可愛い……?


 クラウスの頭は、突然勢いよく波打ち出した心に、まだ追いついてはいなかった。

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