閑話 クラウスとミレーヌ1
伯爵令嬢ミレーヌ・シャルタンが前世を思い出したのは、王太子クラウスと出会った瞬間――――では、なかった。
そんなに歴史のない伯爵家の次女。
ウェーブする豊かなダークブロンドにルビーの瞳。吊り目気味の目が、いかにも傲慢で気の強そうな令嬢に見えるとよく言われた。
そんなミレーヌは小さい頃から、蝶よ花よと育てられ我儘放題に……は、育たなかった。ミレーヌは貴族令嬢としては、かなり変わった子供だったのだ。
小さい頃から土いじりが大好きで、伯爵家の庭で庭師に混じっては、すぐに顔を泥だらけにして父に怒られた。
「ミレーヌウウゥウ!!!!」
「あはは!ごめんなさい父様!!」
美しい花だけでなく、そこらじゅうの雑草にも興味を示し、道端に生えているキノコを食べては母に怒られた。
「ミレーヌッッッ!!!」
「えへへ……美味しいわよ?母様!!」
末っ子なのに自分より小さな子供が大好きで、姉の慈善活動にくっついていった孤児院をいたく気に入った。そして家からお菓子を勝手に持ち出して、入り浸ってはまた父に怒られた。
ミレーヌの父も母も、この小さなやんちゃ坊主(正しくは令嬢)にはほとほと手を焼き、半ば諦めの境地に入りつつあった。
この子に嫁の貰い手があるのか……?いや、どちらにしろ、このまま外に出したら恥をかくに違いないと戦慄した。なんとか最低限、令嬢の仮面を被れるように、必死に教育を施したのである。こうして、超猫被りバージョンのミレーヌが爆誕した。
転機は、『黒斑病』という流行病が、平民の間に一気に流行したことである。
この病に侵されると、身体中に黒い斑点が現れ、二、三日の高熱を経て死に至る。
この病は栄養状態が悪く、免疫力が低下していると感染しやすい。貧しい平民達は次々に病に侵され、亡くなっていった。
治療には、光魔術を使うしか方法がなかったが、光魔術を使える治癒師や神官は数が少なく、治癒には大きなお金が必要になる。貧しい平民に、手の届くものではなかった。
そして――ミレーヌの通っていた孤児院でも、黒斑病は猛威を振るった。
「ルナ……ルナ!しっかりして!私が光の治癒師さまを呼んだから……っ!もうすぐ来るから!!」
ミレーヌは目の前の痩せ細った少女の手を、必死に握りしめて看病していた。
少女の身体は全身が黒斑に侵され、ひどい発熱が二日も続いていた。彼女に死の気配が近付いているのが、ミレーヌにもはっきりとわかった。
ルナ。
ルナ。
私をお姉ちゃんって呼んで、いつも後ろをついてきた。
かわいいルナ。
「ミレーヌ……おねえちゃん……わかって、るの……ひかりの、ちゆしさま、いそがしいん、でしょ……」
「ルナ!!」
「いいの……わたし、しあわせ、だったよ…………おねえちゃん、だいすき…………あり、がと…………」
そうして。
ルナの、小さな命の灯火が消えた瞬間のことである。
「……っ!!!」
ミレーヌの脳裏に、走馬灯のような光が駆け抜けた。
――――親友のよっちゃん。薬学部。お母さん。ゲーム。創薬。お父さん。バラ恋。クラウス様。――――
ミレーヌは、大切な命を失ったショックと共に、前世の記憶を取り戻したのである。
♦︎♢♦︎
「おかしいわ!どうして皆、薬で治療しないの?どうして国は、薬を開発しないの?」
「治療なら神官様にしてもらえばいいだろう。光魔術なら、どんな病も怪我も治る」
ミレーヌは怒った。
光魔術は贅沢品だ。
光の治癒師の数は少なく、伝染病の時はまず捕まらない。
ルナは、助からなかった。
それでは――貧しい平民は、死ぬしかないではないか。
「そんなの、おかしいわよ……!!私が、変えてやるわ!!」
ミレーヌは怒りのままに、町の薬草屋のアンヌおばあちゃんに弟子入りした。
この世界、野草や魔獣素材には、ヒトとは異なる魔力が含まれていた。魔力そのものに力がある上に、前世にはあり得なかったような効能を持つものがたくさんあった。少し組み合わせて工夫すれば、大きな効果が得られるであろうものも多かった。
ミレーヌは前世でも、薬学を志していた。薬草に興味があり、漢方の研究室に所属して、生薬を育てていたのだ。夏には虫刺されだらけ、日焼けで真っ黒になっていたし、フィールドワークにも積極的に出かけていた。
そんなミレーヌにとって、この世界の草木は宝の山でしかなかった。
それなのに、この世界では。
薬物治療は、あまり発達していなかったのである。
あるのは、平民が知恵を絞って受け継いできた民間療法の処方。
あとは、貴族の贅沢品――美肌、脱毛、薄毛治療などなど。
それだけである。
ミレーヌは怒った。
そうして彼女は今世でも研究に、没頭していったのだ。
優しいアンヌおばあちゃんのお陰で、基本的な調剤はできるようになり、その場で症状に合わせた薬を作り出せるようになった。
ミレーヌは孤児院や治癒院を回り、自分に治療の施せる者には積極的に治療を行っていった。
また、魔術は苦手だったが、水の中和魔術と解毒魔術は高度のものまで手をつけ、必死に覚えた。
中和魔術は、創薬に必須だ。
そして、解毒魔術。もし目の前で毒に侵されている人がいたら、見捨てたくない。絶対に治療したい。
その一心で、ミレーヌは貴族にしては少ない魔力量ながら、水の魔術を異常に極めていった。
また、この世界は薬草の価値が低いので、その量産もされていなかった。必要性を感じたミレーヌは、薬草を人工的に量産する試みを始めた。
――――つまりは、伯爵邸の、美しい庭を。
薬草園に作り替えていったのだ。
「ミレーヌ………!!本当に!いい加減になさい!!」
「いやよ!!薔薇なんかたくさんあっても仕方ないわ!!」
「ううっ!もうこの娘は……全然言うこと聞かない!!」
ミレーヌの母は、負けた。彼女はもう、娘を好きにさせることにした。父母は、ミレーヌを嫁にやることはもうほとんど諦めていた。
そうして彼女は庭師と結託して、美しい薔薇園を雑草だらけにしていったのだ。
ミレーヌには目標があった。
黒斑病の、特効薬を作ること。
今は感染が落ち着いているが、あの病気は定期的に猛威を振るっては、平民たちの命を奪っていくのだ。
治癒師などに頼らなくても、誰にでも手に入る安価な特効薬を量産して、感染を最小限に抑える。
もう二度と、ルナのような子を生み出したくない。
♦︎♢♦︎
そうこうしているうちに、ミレーヌはもう十二歳になっていた。お見合いは、全くしなかった。研究で忙しくて、そんな暇はないのである。
ちなみに自分は、よく考えれば悪役令嬢であったが……その婚約者となるはずのジルベルトからも、全く接触はなかった。しかしミレーヌは、それどころではなかった。日々忙しく過ごしていたのだ。
ところが、ある日父の書斎に呼び出され、驚くべきことを言われた。
「ミレーヌ。お前に縁談が来た」
「暇がないので、断ってください」
「ミレーヌよ……。まあ、いい。今回は断れん。相手は……王太子殿下だ」
「………………はああああ!?」
寝耳に水である。自分が王太子妃候補になるシナリオなんて、ゲームにはなかったはずだ。
「どうしてよ?王太子妃候補って言ったら、ノワイエ侯爵家のリーナベル様が、ほとんど本決まり状態でしょ!?」
「ミレーヌ……!お前、貴族の事情に興味があったのか!?その通りだよ。だが、そのリーナベル様が、王太子妃候補を降りたのだ。公爵家のジルベルト・オルレアン様と婚約を結んだらしい」
「な……何ですって!?」
驚きである。王太子クラウスの婚約者となるはずの悪役令嬢リーナベルが、ジルベルトと婚約した?
それは……その悪役令嬢リーナベルが、前世の記憶持ちで、シナリオを変えたということではないのか。
別に、シナリオを変えられるのは構わない。
ミレーヌは、悪役令嬢になんかなる気はなかったし、攻略対象となるべく関わりたくないと思っていた。
それよりやることがあると、完全に後回しにしていた部分もあるが。
しかし、王太子妃候補となると話が別だ。
――――面倒臭すぎる!!
ミレーヌは一瞬だけ、前世の推し――王太子クラウスの姿を思い出し、ポッと顔を赤らめたが――すぐにスンとした顔に戻った。
いや、ゲームだから良かったけど。実際に王族とか無理だし。
とにかく、面倒臭すぎる!!
「まあ、弱小伯爵家であるうちに声がかかったのは、リーナベル様の抜けた穴埋めとして婚約者候補が必要だからというだけだ。まさかお前が王太子妃になるなんてことは、万が一にもあり得ない。だから頼むから、王太子殿下との顔合わせ、お茶会にだけは、行ってきてくれ……」
「補欠候補ってことね。まぁ、仕方ないわよね……行ってきます。父様」
ミレーヌは渋々頷いた。
王家からの誘いを断れないことくらい、ミレーヌにもわかる。
こうなったらアイドルを拝む気持ちで、推しの顔を眺めて来ようではないか。
あと、面談の席できっぱり言ってやろう。王太子妃になんかなる気はないと!
「よし!行くわよアイドルとの面談!!」
ミレーヌは気合を入れた。
彼女は気付いていなかった。
自分が、着々とフラグを立てていたことに。
自分が、いわゆる 『おもしれー女』と化していたことに。
そうして。
王太子クラウスとの面談を境に、ミレーヌの運命は大きく変わってしまうのであった……。




