2-10 王太子の大切な友人たち
「クラウス……!クラウス!!死なないで……死なないでよお……!!」
ミレーヌはすぐに水属性の解毒魔術を発動し、クラウスが毒で汚染された部位に向けた。これは半ば趣味で、長年かけて習得した上級解毒魔術だ。
ヒロインの光魔術でなければこの特殊な毒を完全に消すことはできないが、全身に回らないように留めることはできる。
ミレーヌはただの悪役令嬢で、ヒロインじゃない。毒に触れないように注意しながら、なんとか刃を抜いた。
しかし、おそらく刃を受けた瞬間から――――既に、全身に毒が回り始めていた。そして、回りが異常に早い。クラウスの呼吸は荒く、体温がかなり下がっていた。脈拍が落ちて、痙攣も始まっている。
魔術を発動させたまま、ミレーヌはいつも持ち歩いている鞄を漁り、薬の材料の詰まったケースを取り出した。大昔に作られた、解毒の特効レシピを見た記憶があったのだ。ミレーヌのケースの中には、乾燥させた植物の粉末などの入った小瓶が、ぎっしりと詰まっている。
古い文献の知識を何とか頭に思い浮かべながら、すぐに解毒薬を調合し始めた。
「チョウチンレンゲの花粉、ひと匙……グランドラットの髭、半分相当……一夜草の根、ひとつまみ……冥界の滝の水を、ふた匙……」
手が震える。
失敗は許されない。
次々材料を入れていく。少しの誤差もないように。
治療がこんなに恐ろしいのは、初めてだ。
「……中和魔術……っ!完了!!これで、いいはず……!!」
震えながら口に含み、口移しでクラウスに飲ませた。
――効いて。
どうか……。
お願い……お願いよ……!!
クラウスの呼吸が、次第に落ち着き始める。顔に赤みが戻ってきた。
どうやら――――効果を発揮したらしい。成功だ。
しかし。
「痕が、消えない……!どうして……っ!!」
肩の汚染部位の変色は、戻らなかった。解毒しきれなかった毒が、まだ残っているのだ。これ以上は、もう薬の材料が残っていない。
――どうして?
どうして?
私が、悪役令嬢だから?
やっぱり、私じゃダメなの?
ミレーヌが解毒魔術をかけ続けながら、ボロボロと涙をこぼしていると、ジルベルトとリーナベルが現れた。
「ミレーヌ、ドラゴンは倒した!!」
「クラウスの容体は!?」
「ジル!リーナぁ!!ダメなの!薬で解毒しきれなかったのよ!!」
ジルベルトが膝をついてクラウスの容態を確認した。全身状態は悪くない。
だが、もしも今ミレーヌが解毒の魔術を解除したら――――途端に毒が全身に回り、死に至るだろう。ミレーヌほど高度な解毒魔術を使える魔術師は、王宮にしかいないと思われる。
「魔術をかけたまま、馬車で運ぼう」
「着くまで持たないわ!私の魔力量は少ないの!どうしよう……っ」
「私が強化してみる。ミレーヌ、合図したら解毒魔術の出力を全開にして」
「リーナ!!」
リーナベルは身体強化の三次元魔術陣を描き始めた。今度はミレーヌにかけ、解毒魔術を最大限強化する。成功するかわからない。光魔術なしで毒を消失させられるのかどうかは不明だ。
でも、前世チートのこの魔術陣なら、あるいは何とかできるかもしれない。一か八かの賭けだ。
「さん、に、いち…………今よ!」
「うん!!」
リーナベルは枯渇一歩手前まで、魔力を一気に込めた。ミレーヌの魔術の威力が一瞬で上昇し、眩いほどの青い光が、その場一帯を包んだ。
毒による汚染がみるみるうちに小さくなっていき――――最後には、消失した。
「消えた!!……はぁ、はぁ……っ!!」
「リーナ!!」
「大丈夫、ちょっと……疲れただけ……っ!」
戦闘中と今の強化で、魔力量がギリギリになったリーナベルは肩で息をした。ふらついたところをジルベルトが支える。次第に呼吸は整った。
その横でミレーヌは声も出さず、冷静にクラウスの状態を確認していた。
「……うん!リーナ、ありがとう!解毒、できているわ……!!……クラウス!私がわかる?クラウス……!!」
「……んん……っ」
ミレーヌが強めに頬を撫でると、クラウスがゆっくり目を覚ました。そのまま、少しだけ身体を起こす。後遺症が、残っていなければ良いのだが。
「クラウス!!」
「ミレーヌ……これは……?ああ、そうか……さっきの……」
しばらく呆然と周囲を見回したクラウスは、俯いた。そして、何と。
「……はは、ははは、」
そのままクラウスがくつくつと笑い出したので、3人は呆気に取られた。
一体……どうしたのだろうか。
「ははは!はは……っなんだ、あれは……。規格外すぎる……っ」
クラウスは、これまで見たことがないほど笑っている。一体どうしてしまったのか。
――クラウスが、壊れた?
まさか毒が、頭に悪影響を及ぼしたのだろうか。
「ジル……っ、おま、ドラゴンを、一人で倒すなんて!はははっ!あり得ないだろ!リ、リーナ……あの魔術陣は、なんだ……!?それに、出鱈目な魔力量を……枯渇寸前まで使ったな……?」
ジルベルトとリーナベルは、気まずそうに顔を見合わせた。
仕方がなかったとはいえ、王族の前で全てを曝け出してしまった。間もなく陛下にも知られるだろうし、秘匿していたことが世間にバレてしまうのは時間の問題だ。
「解毒は、ミレーヌだな……?こんな、高難度の毒に対処できるなんて、聞いてないぞ……?あはは、はははっ……!めちゃくちゃだ……」
「ク、クラウス?どうしちゃったの……」
常にないクラウスの様子に、ミレーヌも動揺している。恐々としながら手を伸ばしていた。
「……クラウス。とにかく、早く王宮へ戻れ。事情は……その、あとで。必ず説明する」
ジルベルトが落ち着かせようとすると、クラウスがすっと手を上げて、それを制止した。
「はは……はぁ。僕の、友人達は……皆……めちゃくちゃだ……。無茶で、無鉄砲で、お人好しで…………」
ようやく笑い終えた彼は、笑いすぎで溢れた涙を拭いながらぽつりと呟く。
しばらくそのまま俯いていたが、ゆっくりと顔をあげて、三人を見回した。
「まあ……待て。大丈夫だよ……お前たち。今回のことを口外する気は、一切ない。ただし、後日必ず、僕にもお前達の『秘密』を共有させてもらうからね?僕だけ仲間はずれなんて……ひどいじゃないか?」
クラウスは少し寂しそうに笑った後、居住まいを正した。
途端に、王太子としての顔になる。その場を支配する圧倒的なオーラを受けて、三人は姿勢を正した。
「……今日は、私の命を助けてくれてありがとう。この恩は、一生涯忘れることはない。感謝する――――私の、大切な『友人』たちよ」
その言葉に。
リーナベルも、ジルベルトも、ミレーヌも。
三人揃って、首を垂れた。
間もなく、入り口にいた護衛達が集まってきた。
ドラゴンの出現から討伐、クラウスの解毒まで、あまりにもあっという間の出来事であった。そのまま全員護送され、その日の王宮は大騒ぎになった。
こうして、ドラゴンによる襲撃事件は幕を閉じたのである。




