2-6 推しにマーキングされる
いちゃいちゃ回です。
リーナベルがルシフェルに師事するようになって、はやくも一年以上が経過した。リーナベルは魔術の基礎を一から学び直し、自分がいかに危ういことをやっていたのかを思い知った。
ジルベルトもリーナベルも、十四歳になった。
先日のリーナベルの誕生日には、ジルベルトからアンバーのピアスが贈られた。上質ながらも普段使いできるデザインで、リーナベルの耳元にはいつも大好きな琥珀色が揺れるようになった。ジルベルトの目の色を身に纏うなんて、夢のようだ。
次のジルベルトの誕生日には、自分の目の色――青い宝石のついたピアスを贈ろうと、心に決めている。シンプルなピアスなら戦いの邪魔にならないだろうし、是非お揃いでつけたい。
今後、十五歳でデビュタントを迎え、十六歳になると魔術学園へ入学する。入学はすなわち、シナリオの開始を意味する。運命の時が、着々と近付いて来ていた。
しかし既に、シナリオ設定から外れた出来事が続々と起こっている。
まず、ジルベルトが弱冠十三歳にして、異例の騎士団入団を果たしたこと。もう見習いではなく、正式な騎士となったのだ。リーナベルの魔術陣を使いこなせるようになった彼は、剣の腕も同時に磨き、入団試験を易々と突破してしまった。ゲームでは学園入学の直前、十五歳で騎士になった設定であったので、かなり時期が早まったと言える。
さらに、クラウスはミレーヌを妃にするため、着々と外堀を埋めていた。何故か突然貴族の不祥事が発覚したり、急に縁談が結ばれたりして、有力な王太子妃候補が次々と脱落し始めたのだ。
クラウスは、「僕は何もしてないよ?」と笑顔でとぼけているが、そんなわけはない。
ミレーヌは、「腹黒王太子怖すぎるんだけど。まさか、本気で私を妃にするつもりなのかしら…」と呑気に言っていたが、クラウスは間違いなく、正真正銘の本気である。ミレーヌの家は伯爵家としても歴史が浅く、候補としてはかなり不利だったのだが、力技でそれが覆されようとしていた。
そういうわけで、クラウスがミレーヌを溺愛しているという話は、貴族の中でも周知の事実となりつつあった。ミレーヌは相変わらずクラウスと2人きりになるのを嫌がり、四人で行動しているが、もはや無駄な抵抗である。もしも本気で嫌がっていればリーナベルだって心配するが、彼女も満更でもなさそうだ。もはや彼女は、意地になっているだけとしか思えない。
一方でミレーヌは、クラウスの推薦で宮廷医に師事し、創薬の研究も進めていた。彼の協力もあり、彼女の目指す伝染病の治療薬の完成に目処が立ってきたようだ。
さらに、リーナベルも彼女に協力した。魔術陣で嗅覚を強化して、ミレーヌは微量の残渣でも、薬物や材料のにおいを特定できるようになったのである。これはあらゆる魔術師の中でも、ミレーヌだけが持つ特技となった。もちろん、数多の物質の知識を有するミレーヌだからこそできる特技だ。これは創薬にも使えるし、毒物の特定もできる。かなりチートな能力である。
そして、リーナベルはルシフェルの個人指導によりこの世の魔術の常識を身に付けつつも、魔術陣の改良研究を続けた。
先日とうとうルシフェルのお墨付きをもらい、他の研究員と共に研究に携われることになったのだ。魔術研究所には、助手として正式に在籍することとなった。
令嬢としては特殊なことだが、リーナベルの好きなことを、家族も応援してくれた。相変わらず一人娘を溺愛してくれているのである。
さらに、魔術研究所に通う馬車では、できるだけジルベルトが同行して護衛してくれることになった。訓練と業務の合間の時間だからと、本人は言っている。割と近いし短い時間なのに、過保護だ。だけど、正直嬉しい。
♦︎♢♦︎
今日は初めて、助手として研究所に行く日。行きの馬車の中で隣に座ったジルベルトの横顔を見て、リーナベルは改めてうっとりした。
出会った時より伸びた背。顔つきもさらに精悍になり、鋭い美しさに磨きがかかっている。さらりと目に落ちかかった宵闇の髪が色っぽい。
――今日も最高に格好いいわ。推しの成長を間近で見られるなんて、役得すぎる…。
そんなことを考えていると、切長の瞳がこちらを見て、にこりと微笑んだ。
「リーナ、おいで?」
ジルベルトはあっという間にリーナベルの腰を持ち上げ、向かい合うようにして膝に乗せた。
リーナベルは驚いて、途端にガチガチに固まった。
――は、は、恥ずかしい!だいぶ近い!
リーナベルはドクドクと心臓が脈打つのを感じた。助手として働くのに華美な服装は必要ないので、今日は清楚なブラウスに、ドレープの美しい、ミントグリーンのロングスカートを身につけている。つまり、コルセットを付けていないのだ。だからだろうか。直にジルベルトの身体の温度と、しなやかな筋肉を感じた。
「さて。今日は、リーナにマーキングをするよ」
「まーきんぐ……」
「俺の魔力を纏わせるんだ。貴族の間では、パートナーとの関係が良好なことを示すために、よく行われていることは知っているね?」
「それは知ってるわ。うちの両親は、いつもお互いの魔力を纏っているもの」
魔力の特徴は人によって千差万別だ。複数の魔力の気配を纏っていれば、すぐにわかる。
それを利用して、貴族がパートナーとの仲をアピールすることがあると、リーナベルも知っていた。
「でも私、その方法を知らないのよ。お母様が教えてくれなくて。うちにある本にも載っていなかったの」
「リーナはご両親に大切にされているからね。方法は、俺が全部教えるから大丈夫だよ?」
「う、うん…」
優しく背中を撫でる手。なんだか緊張してきた。
以前はジルベルトを見るだけで爆発しそうだった心臓も、会うたびするキスの荒療治で慣らされつつあったが、これから一体何をされるのだろう。落ち着かずそわそわしてしまう。
「魔力は、粘膜接触で流すんだよ」
「ねんまくせっしょく」
「こうするんだ。リーナ、少し口を開けて?」
言われるままに、リーナベルは小さく口を開けた。ジルベルトの言葉には魔法のように従ってしまうのだ。
すかさずジルベルトが口付けた。
口の隙間からぬるりと、大きな舌が少しだけ入ってきて、リーナベルは驚いてしまった。
「……っ!」
反射で逃げる後頭部を、大きな手が覆って固定した。
「いい?これが粘膜接触。鼻で息をするんだ。できる?」
「わ、わかったわ」
口と口をくっつけたままジルベルトが言ったので、リーナベルはこくこくと頷いた。
「今から魔力を流すよ。俺たちの魔力相性は悪くないはずだから、問題ない」
「う、うん……?」
――何で、魔力相性が良いことが事前にわかっているんだろう?
リーナベルのその疑問は、すぐに彼方へすっ飛んだ。ジルベルトが魔力を流し始めたからである。
始まった途端、甘い、甘い味がした。優しい味。何だか懐かしい気がするのは、どうしてだろう。
ともかくリーナベルはそれを、大好きな味だと思った。意識がとろけて、思考が麻痺していく。
「ン……」
リーナは夢中で、自分の小さな舌を絡めた。とにかく気持ちが良い。いつまでもこうしていたい。もっと、もっとしてほしい…。
ぷはっ、とジルベルトが口を離す。
見ればリーナベルはもう、完全に蕩け切った顔をしていた。身体はふにゃふにゃになっており、震えながらジルベルトに縋り付いてくる。
「じる…………」
舌ったらずに呼ぶリーナベルの声に、ジルベルトは硬直した。
「じる……。じる…………?」
「………っ!!リーナ……っ、悪い。魔力を流しすぎた。思ったより、魔力の相性が良すぎるみたいだ……」
酩酊状態になったリーナベルがあまりに可愛いので、ジルベルトは騎士の理性を総動員し、彼女から身を離した。
隣の席に座らせて、頭を優しく撫でる。リーナベルは心地よさに身を任せていた。
「じる…………すき………………」
「……リーナ……!その顔は、いけない……っ。そんな顔で、研究所に行っては、虫除けとしては逆効果だ……。くっ、加減を細かく調整する必要があるな……繰り返せば慣れるはずだが……」
ジルベルトはぶつぶつ呟きながらリーナを宥めた。肩に寄りかからせて、大きなため息をつく。そして、絞り出すように言った。
「はあ……。正直、どこにも行かせたくない……」
両手で頭を抱える。それはジルベルトの本音だった。やや理性を失ったリーナベルには、届かなかったが。
リーナベルが、やっとその理性と羞恥を取り戻して狼狽え出し、顔の赤みが引くまではかなりの時間を要してしまった。
馬車はとっくに到着していたが、リーナベルの顔色が元に戻るまで、馬車を出ないようにジルベルトは言い聞かせた。研究所には、体調が優れず遅れて行くとまで連絡してしまったのだった。初日なのに、情けないことである。
それから翌日以降も、馬車の中では甘い試行錯誤が続いた。
リーナベルは研究中も時折その感触を思い出しては、狼狽えて赤くなるのを繰り返してしまったのだった。




