2-1 悪役令嬢vs悪役令嬢
二章開始です!
どうしてこうなった――。
目の前には、いかにも傲慢なキツい眼差しで自分を睨みつける、悪役令嬢。
氷のように冷たい無表情でそれを睨み返す自分もまた、悪役令嬢である。
修羅場だ。
これは、壮絶な修羅場の始まりに違いない。
――悪役令嬢vs悪役令嬢の仁義なき戦いが、今始まってしまう……!!
リーナベルは大変混乱していた。
ことは、一時間ほど前に遡る。なんと、ゲームのもう一人の悪役令嬢である、ミレーヌ・シャルタン伯爵令嬢が、先触れもなしに突然我が侯爵家を訪れたのである。
ミレーヌは、ウェーブのかかった艶やかなダークブロンドに、吊り目がちの翡翠の目をしている。彼女はあからさまに気の強そうな、迫力系美人であった。発育途上であるはずなのに胸はもうかなり大きく、抜群のプロポーションになる予感がする。将来、妖艶な美女になることが約束されているようだ。
そう、彼女は儚い系のリーナベルとは正反対のタイプの、典型的悪役令嬢の見た目なのだ。
ゲームのメインキャラクターの一人であるため、ビジュアルが大変派手である。
ミレーヌは伯爵家の令嬢。その格上に当たる侯爵家に、突然単身で押しかけたことだけでも十分非常識であった。その上、「余計なことを聞かれたくないの。人払いをして下さる?」ときた。それも、随分高圧的にだ。侯爵家の忠実な使用人達は殺気立ち、抑えるのが大変だった。しかし今はちょうど、リーナベル以外の家人は皆留守にしている。仕方がないので、人払いをしてリーナベルが相手をしているのだが、相手はなかなか話を始めずに、優雅にお茶を楽しんでいるようだった。
――この子、どれだけ面の皮が厚くて恥知らずなのだろう……。
常識人であるリーナベルは絶句していた。
しかし、彼女のこの性格は、原作ゲームのミレーヌの設定と完全に合致している。傲慢で勝ち気な、典型的悪役令嬢。それがミレーヌだ。頭が悪いのに、無駄にプライドが高く、自信家で高圧的。彼女は平民出身のヒロインのことを公然と差別し、公衆の面前で罵り、虐め抜くキャラクターなのである。
しかしミレーヌは策略家タイプではなく、嫌がらせがいちいち稚拙だった。そのためか、彼女の破滅エンドはリーナベルの破滅エンドほど酷い内容ではなかった。何だか解せない。
彼女が来た理由はと言えば、実は簡単に推測できる。彼女は、ゲーム設定では『ジルベルトの』婚約者なのだ。つまり彼女は、ジルベルトルートの悪役令嬢なのである。
大方、ジルベルトの婚約者の座を虎視眈々と狙っていたところ、それを突然リーナベルに掻っ攫われたので、怒ってやってきたのだろう。
――ああ、これは間違いなく修羅場だわ。
リーナベルは緊張して、ゴクリと唾を飲み込んだ。完璧に令嬢の仮面を被っているので、表情にはおくびにも出さないが。
ミレーヌは、音も立てず優雅な所作でカップをソーサーに置いた。
それからものすごい形相でこちらを睨みつけながら、ようやく言葉を発した。
「ねえ、リーナベル様。私が何の話をしに来たのか、もうお分かりですわよね?」
「さあ、全くわからないわ?なんだか恐ろしいお顔だこと……。せっかくお美しくいらっしゃるのに、台無しよ?」
リーナベルは澄ましたまま、冷たく切り替えした。誰に何と言われようと、ジルベルトの婚約者という立場を譲る気はない。
ここは、毅然として対応しなければならない場面だ。正に女の戦いである。
「まあいいわ……。ねえ、リーナベル様。これから言う私の言葉、少しでも身に覚えがあるなら……しっかりと応えてくださるかしら?」
そう言った後、ミレーヌが静かに俯く。
――多分、『この泥棒猫!』って怒鳴られるやつだわ!!
リーナベルは完璧に予測して身構える。
そして、しばしの沈黙の後。大きく息を吸い込み。
ミレーヌが、大声で言い放った。
「バラ恋の正式名称は!?」
「『薔薇色の恋〜魔術学園で貴方と〜』!!!」
………………はっ!!
つい反射で答えてしまったわ。オタクだもの。
……って、あれ……。
え?え……?
つ、つまり…………。
「やっぱり!!!貴女、転生者なのね!?」
「ええええ!?貴女もなの!?」
食らいついたミレーヌに、驚いて返すリーナベル。
登場する悪役令嬢が二人とも転生者だなんて、全くだに予想していなかった。
「ちょっと、悪役令嬢リーナベル!今日という今日は、一言文句を言いに来たのよ!!貴女がシナリオを変えまくって、ジルベルト様と婚約したんでしょう!?……貴女が王太子妃候補を降りたせいで…………私が補欠の王太子妃候補になっちゃったのよ〜!?一体どうしてくれるのよおお〜〜!?」
――おおう。なんですって。
ミレーヌが王太子妃候補になるとは。ゲームのシナリオには全く存在しなかった筋書きだ。リーナベルが王太子妃候補から抜けた分、新たな候補の追加が行われたのだと思われる。それはちょっと、確かに悪いことをしてしまったかもしれない。
しかし、この怒りようである。
もしかして、彼女は前世でジルベルト推しで、シナリオ通りジルベルトと婚約者になりたかったのだろうか……?
「あなた……もしかして、ジルベルト推しだったの?それなら私、とても申し訳ないことを――――」
リーナベルがそう言った途端、ミレーヌはその場にくずおれながら逆ギレして叫んだ。
「いやどうせ!?クラウス推しですけどおおおお〜〜!?!?王道に弱くて悪かったな!?!?でもでも、王太子妃は嫌なのよううう!!!」
リーナベルは、ギシリと固まった。
ミレーヌのその言葉が意外だったからではない。
彼女の動き、そして言葉に既視感があったからだ。
リーナベルの脳内に、前世の親友の、【みーちゃん】との会話が蘇る。
『みーちゃん、バラ恋はもう全ルートやった!?最高じゃない!?』
『毎日徹夜で全部クリアしたよおお!ねえ、もうネタバレ平気だから語ろ!よっちゃんは誰推しだった?』
『私は断っ然、ジルベルト様推し!!みーちゃんは……あー……言わなくてもわかるわ。みーちゃんは、どうせクラウス推しでしょ。聞かなくてもいいや……』
その時みーちゃんは、その場にくずおれて逆ギレしたのだ。
『いやどうせ!?クラウス推しですけどおおおお〜〜!?!?王道に弱くて悪かったな!?!?』
それは、もう……遠い遠い、記憶。
リーナベルは、小さくカタカタと震え出した。もしかして。もしかして。
あり得ない一つの可能性が、頭から離れない。
恐るおそる、小さな声で尋ねてみる。
「あ……貴女、もしかして……【みーちゃん】、なの…??」
それを聞いて、ミレーヌは翡翠の大きな目を見開いた。
途端に、彼女もカタカタと震え出す。
「う、うそでしょ…………もしかして……【よっちゃん】……?」
リーナベルがコクリと頷くと、ミレーヌは呆然とた後、がくっと肩の力を抜いた。やがてその目から、ぼろぼろと透明な涙が溢れ出し、大きく震え始める。そしてついに立ち上がって駆け寄ってきて、リーナベルは勢いよく抱きつかれた。
「うそ……っ!ゔぞおおおお!!!よっちゃん!!!……よっぢゃん……っ!!!……あ、あいだがっだよおおおお……!!!!」
「ううゔ……っ!みーちゃん……!わたしもっ……!わたしも、みーちゃんに、会いたかった……っ!!!」
二人は抱き合い、おいおい泣きながら、突然の再会を喜んだのであった。
♦︎♢♦︎
前世、みーちゃんとは中学生時代からの親友で、エスカレーター式で進学した高校でも一緒にたくさん勉強をした。そして私達は、同じ大学に進学した。私は理学部の数学科に、みーちゃんは薬学部の薬学科に。
みーちゃんはずば抜けた行動力に溢れる素敵な女の子で、いつでも底抜けに明るく、優しかった。頭が良い割に、ちょっとおバカで破天荒で、トラブルメーカーなところもあったけれど、そんなところも含めて大好きだった。
みーちゃんはどちらかと言えば陽キャだったが、私とは不思議とウマがあった。そんな彼女は私の影響で立派なオタクとなり、よく一緒に徹夜でゲームをやっていたものだ。その中でも、二人揃って大好きだったのが乙女ゲームで、特にバラ恋は一緒に大ハマりした。ついには、一緒に舞台まで追いかけていたほどだった。
前世のリーナベルが亡くなったのは、二人で大学の卒業旅行に行くため、飛行機に乗っていた時。その飛行機で、墜落事故が起こったのだ。
あの時みーちゃんも一緒に亡くなったんだろうな……と前世を思い出して、リーナベルは時々涙していたものだ。
♦︎♢♦︎
「ぐすっ、まさか、二人とも悪役令嬢転生するなんて……」
「ずび、ほんとよね……。でも、よっちゃ……じゃない。リーナ……。良かったじゃない。前世から大好きだったジルベルト様と婚約できたなんて!すごいわ、おめでとう!」
ミレーヌはニッコリと、満面の笑みを浮かべた。吊り目がちなキツい美人顔がそうすると、幼く見えてギャップがすごい。その笑い方が前世のみーちゃんそのもので、リーナベルはまたちょっとホロリとした。
「ありがとう。まあ、色々あってね……。でも、今はすごく幸せなの。そういうみーちゃん……じゃない、ミレーヌは、王太子妃候補になったのね。クラウス推しだったけど……やっぱり王太子妃ともなると、嫌っていうこと?」
「そりゃ嫌よ〜!!一応、ちゃんと令嬢モードにはなれるけど、中身はこんなんだし。王太子妃なんて無理無理!それに実際会ったら、クラウス様はもう顔面が強すぎて、本当に死ぬと思ったわよ。あまりにも眩しすぎて、発光してんじゃないのってレベルよ」
「うう、生の推しの顔面が強すぎるのは、確かによくわかるわ……」
「そうそう。それでね?ジルベルト様が貴女と婚約したって、噂で聞いて、びっくりしちゃってさ。この間、王宮でジルベルト様を初めて見たけど、失明していなかったし。もしかして、貴女……【リーナベル】が転生者で、シナリオを改変しているんじゃないかと疑って、失礼を承知で今日押し掛けたのよ。私は王太子妃候補になっちゃったわけだし、せめて一言だけでも文句言ってやろうと思って……。でも、まさかよっちゃんだと思わなかった……。いきなり押し掛けて、本当にごめんね」
「それはいいわよ。私も会えて嬉しいもの!」
「私ね、今世でもやりたいこと一杯で、とっても充実してるの!せっせと薬草を育てて薬を作りたいし、孤児院で子供たちを愛でるので忙しいのよ!!王太子妃なんて絶対なりたくなくて……それで、困っちゃったのよねえ……」
「うわ、ちょっと貴女、前世とやってること変わらないじゃないの……」
リーナベルは呆れた。
みーちゃんは薬学部で生薬の研究をしており、こよなく薬草を愛していた。いつも虫刺されだらけで、日焼けしていたっけ。将来は製薬会社の研究職へ就職を目指して、修士課程への進学が決まっていたはずだ。
それに、みーちゃんは子供が大好きで、図書館の読み聞かせや児童館のボランティアに精を出していた。
彼女はとてもアクティブなタイプのオタクだったのだ。
そして、どうやら今世でも歪みなく、自分のやりたいことに忠実に生きているらしい。
令嬢としては、ちゃんとやれているのだろうか。若干心配である。
「でも、こう言うと失礼かもしれないけど……ミレーヌは、伯爵令嬢でしょう?ご実家の歴史がすごく長いわけじゃないし……いくら追加の王太子妃候補になったと言っても、そこまで最有力の候補にはならないんじゃないかしら。そこはちょっと、心配しすぎなんじゃない?」
「あ。……い、いや、それがさあ〜…………」
ミレーヌがつつつ、と目を逸らす。それを見たリーナベルはジト目になった。
こういうときの彼女は、大抵何かをやらかした後である。彼女は前世からトラブルメーカーなのだ。
「なに?もしかして、何かやらかしたの?」
「それが……なんか、クラウス様に目をつけられたっぽくて……??」
「……はい?」
「なんでかわかんないけど……『君以外を妃にするつもりはないから』って、言われたのよねえ…………」
「えええ!?なんでよ!?そんなに積極的に迫ったわけじゃないんでしょう?」
「いやいやむしろ逆よ!?積極的に嫌われようと思って、クラウス様の前では、完全に令嬢モード外してたし!最初の顔合わせでは、『妃になるつもりはありません!』って堂々宣言したくらいよ!!」
リーナベルは頭を抱える。それは、逆に興味を引いてしまったのでは…?
「……なんか、それだけでも既に、やらかしてる感じがするけど。……他には?」
「いやあ、それで、話の流れでさあ……うちの薬草園がどうしても見たいって言うから。しぶしぶお招きしたのよ……」
「薬草園ですって?ちょっと貴女、伯爵邸に薬草園を作っているの……?」
「庭を改造したのよっ!薔薇ばっかりあっても意味ないし、仕方ないじゃない?庭師のアラン爺ちゃんも、今はすっかりハマってるのよ。母様ももう諦めてるわ!」
「よ、欲望に忠実すぎる……。それで?」
「いや、それだけよ。クラウス様には、家で薬を作ってる話をしたりしただけ。それで何が彼の琴線に触れたのか知らないけど、妃にするって急に宣言されて。私にも何がなんだか……」
リーナベルは天を仰いだ。
それ、完全に『おもしれー女』状態なのでは……?
親友のフラグの立てっぷりに、びっくりである。
そもそも、王太子クラウスは。何にも動かない心に悩んでいるという設定。そこで、平民出身のヒロインの破天荒さや無邪気さに、初めて心動かされるのだ。
生来ちょっとおバカで破天荒な親友は、クラウスの好みのど真ん中に、がっちりハマってしまっている予感がする。
「とにかく!それからクラウス様がしつこくてしつこくて……!!二人で出掛けるお誘いを何度も何度もしてくるのよ!断っても断っても!もうこれ以上断れないって、昨日ついにお父様にお説教されちゃってさあ……。どうしよおおお……あの光り輝く王子様と、二人でデートとか無理よお……!!」
「まあ、推しと二人で急に出かけるのは、ハードル高いわよねえ…。しかも、相手は王太子だし」
「もう、真面目に聞いてる?リーナだって、完全に無関係じゃないのよ?貴女がシナリオを変えたんだからね!?責任とって、どうしたら良いのか考えてよぉぉ……!!」
「そんなこと言われても……」
「…………はっ!そうだわ!!リーナ、クラウス様とのデートについて来てよ!!」
「ええ!?嫌よ!私完全にお邪魔虫じゃない!」
「クラウス様の護衛として、ジルベルト様に付き添ってもらえばいいじゃない!要するにWデートよ!リーナが一緒なら、私もちょっとは頑張れるわ!ねっ?リーナのせいでもあるんだから、いいでしょ!?」
「えええ……。まあ、それでクラウス様が了承するなら、いいけど……。だ、大丈夫かしら……?」
「その条件を断るなら、もう今後一切お誘いに応じませんって言うわ。ジルベルト様とリーナ同伴なら良いって条件をつけて、うまく返事をしてくるから!」
「わかったわ……仕方ないわねぇ……」
「やった……っ!ありがとうリーナ!大好きよ!!」
ミレーヌは子供みたいなニコニコ笑顔を隠しもせずに、ぎゅっと抱きついてきた。
リーナベルはため息をつく。
自分は今世でも、彼女に甘いようだ。彼女は生粋の人たらしなのである。
「……さあ!そうと決まったら、今夜はパジャマパーティーをしない?良ければ、準備をして出直して来るわ」
「それは良いわね!積もる話もあるし……」
「あら、今夜のお題はもう決まってるわよ、リーナ?」
ミレーヌはニヤリと笑って言う。
「あの堅物ジルベルト様と、悪役令嬢リーナベルの恋物語なんて、興味しかないわ〜!!根掘り葉掘り聞かせてもらうから、覚悟してね?」
結局その日の夜は、菓子を摘みながら夜通し語り合い、とても楽しいひと時となった。
リーナベルは顔を赤くしながらも、全部暴露した。涙脆いミレーヌは、途中から感動してズビズビ泣いていた。
前世の親友と恋バナをできるなんて、不思議な感覚だけれど、なんと幸せなのだろうか。
二人はたくさん笑い合い、今世でもすぐに親友になったのであった。




