閑話 王太子クラウスの関心ごと
王太子クラウス・フォン・オーベルニュは滅多なことでは驚かない。
輝く金髪とアメジストの瞳に、神が作ったかのような完璧な配置の顔貌。なんでも簡単にこなしてしまう高い能力。完璧王子と持て囃される彼は、ニコニコと人好きのする微笑みを絶えず浮かべながら、その実ほとんど何にも心動かされない人形のような男であった。
本当に、滅多なことでは驚かないのだ。
物心つく前から一緒にいた幼馴染が、こいつの表情筋生きてるのか?とすら思っていた幼馴染が、別人のように頬を染めて惚気たりしない限りは。
「聞いていたか、クラウス?そういうわけで、リーナが可愛すぎるんだ……とにかく可愛すぎて辛い……。俺は絶対に彼女と結婚するからな……」
――何が、そういうわけなのだ。
お前は一体誰なのだ。
クラウスは微笑みを維持しながらも、再起動して動くのに若干の時間を要した。
かなり動揺しているのである。
「……お前、本当にジルかい?」
「俺は正真正銘のジルベルトだが?リーナの婚約者のジルベルトだ」
こいつは重症である。
クラウスとジルベルトは、赤子の時から兄弟のように一緒に育った幼馴染であり、親友であるため、二人でいる時には気安く話す仲だ。公の場では、王太子と臣下として正しく振る舞ってはいるが。
彼は、クラウスの本性を正しく知る数少ない人間の一人。
だから、クラウスだって、ジルベルトのことをだいたい知っているつもりでいた。
それなのに。
堅物で真面目で馬鹿正直で、いつどんな時も無表情だった男から、突然こんなとんでもない一面が飛び出すとは思わないではないか。
「ねえ……『リーナ』はお前に一体何をしたんだい?」
「リーナを気安く呼ぶな」
「面倒臭すぎる……」
幼馴染を豹変させた原因はリーナベル・ノワイエ。侯爵家の令嬢。宰相の娘。自分の妃となる最有力候補だった女性。ランスロットの妹。
それくらいしか知らなかった。知ろうとしなかったし、興味もなかった。
しかしこうなると、俄然興味を惹かれるというものだ。
「僕もリーナベルと話してみたくなったなぁ。今度紹介してよ」
「おい、今更リーナに興味を持つなよ。俺からリーナを奪うなら、俺は国を捨てるからな」
「興味を持ったのはお前のせいだってば。それに、奪うつもりなんて全くないから安心していいよ」
「安心できない。実際に話したら、お前もリーナを好きになるかもしれないだろう。それくらいリーナは可愛いんだ」
「はあ……馬鹿か?大丈夫だって。そもそも、僕に恋なんかできるわけないって、お前が一番よく知っているでしょう?」
途端、ジルベルトの瞳が大きく揺れた。そのまま悲しげに俯く。触れるべきではないことに触れてしまったと反省したのだろう。本当に馬鹿正直な男だ。
「悪かった。浮かれすぎた……」
「浮かれてる自覚があるんなら良かったよ」
ため息をつく。
正直、ジルベルトが少し羨ましい。
自分も、浮かれて馬鹿になるほど、誰かに心を動かされてみたかった。
「……でも、クラウス。俺は、信じてるからな」
「何を?」
「いつか、お前の心を大きく揺さぶる人がきっと現れる。俺だって突然恋に落ちた。お前も必ず、いつか誰かに恋をすると思う。俺はそう信じてる」
ジルベルトは真剣な顔で言いきった。
クラウスはクスリと笑う。
真っ直ぐなジルベルトが信じるなら、そういう未来もあり得るのだろうか。
希望というほど強い気持ちはもう抱けないけれど、少しだけ信じてみたくなった。
「信じてくれてありがとう。お前にそう言われると、ちょっとだけそんな気がしないでもないから不思議だね」
「ふむ。全く信用がないな……」
「今後の参考に、親友を恋に落としたリーナベルに会ってみたいのは山々なんだけど……まあ、しばらくそんな暇はなさそうなんだよね。彼女は依然として有力な妃候補だったからなぁ。彼女が抜けた穴を埋める必要があるんだよ。追加の妃候補が決まるまでは、実りのない退屈な時間が続きそうだな」
「令嬢とのお茶の予定が目白押しだからな……」
「正直さぁ、皆同じに見えるんだけど。同じような目で、同じような話しかしないでしょう。どうしたらいいと思う?」
「それはわからない。俺も、リーナ以外はあまり見分けがつかないくらいだからな……不思議なことに、リーナだけが特別輝いて見えるんだ」
「さっきから思ってたけど、お前やっぱりちょっと馬鹿になってるよね?」
軽いやりとりを交わしながらも次の予定を確認して、少し憂鬱になる。
次はシャルタン伯爵家のミレーヌ嬢とのお茶か。
自分にあからさまに媚を売り、しなを作る令嬢に付き合う時間は苦痛だ。
まあ、それも王太子としての仕事のうちだから、淡々とこなすだけだけれど。
――それにまあ、彼女が僕を恋に落とす可能性も、ゼロではないしね?
ほとんど諦めてしまった、そんな奇跡みたいな可能性を考えてしまう自分に苦笑しながらも、王太子は次の予定に向けて動き出すのであった。その嘘みたいな奇跡が、まさに今目の前に迫っていることなんか、知る由もなかった。




