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1-12 失う恐怖(※ジルベルトサイド)

 初恋を自覚したジルベルトは、浮き立つ心を抱えながら、悩んでいた。


 彼が初めて恋したリーナベルは、悲劇的なことに、王太子妃の最有力候補とされている女性だったからだ。


 たとえ相手が王太子であろうとも、彼女が他の男と結婚するなんて絶対に耐えられない。

 彼女が欲しいと、心が叫ぶのを感じた。

 こんなに強く何かを欲しいと思うのは、初めてだった。他の男に奪われるくらいなら、強引に婚約を取り付けてしまいたい。公爵家の権力を使えば、それは不可能ではない。


 けれど、王太子妃になる未来を閉ざすことは、彼女の可能性を奪うことになる。

 王太子妃は、いずれ国母となる女性。女性ならきっと誰もが欲しがる、最も尊い地位。

 その地位を奪うことは、彼女の幸せを犠牲にするのと同義ではないのか?


 彼女を不幸にしてまで手に入れたいと思ってしまう自分が怖かった。

 相反する気持ちの間で心が揺れ続け、苦悩は尽きなかった。


 晴れの日が続き、リーナベルは現れなかった。ひと目でも会いたかったけれど、自分から訪ねられるほど親しい間柄ではない。

 彼女にもらったクッキーを少しずつ大切に食べて、自分を慰めた。クッキーはとても綺麗に焼きあがっていたけれど、どうやら手作りのようだった。とても優しくて素朴な味がしたのだ。まさか彼女が手ずから作ったのだろうか。そう思うと、余計に恋しい気持ちが募った。


 彼女がいない日々は――空虚だった。

 今までどうやって息をして生きていたのか、わからなくなってしまうほどだった。


 待ちに待った雨の日。

 ようやく姿を現したリーナベルの存在には、すぐに気がついた。そして、彼女も同時に自分にすぐに気づいたのがわかった。

 久しぶりに見る彼女は、想像の何倍も美しく、可愛らしく、輝いていた。


 その瞬間、湖面のように煌めく青い瞳が緩んで、彼女はあの蕩けるような笑みを浮かべた。

 ――心臓が爆発しそうだ。

 ジルベルトもつられて破顔してしまった。自分はこんなに笑える人間だったのかと驚く。


 ああ、好きだ。

 好きだ。


 訓練が終わったら、彼女ともう一度話そうと心に決めた。

 正直に好きだと伝えよう。

 自分と婚約して欲しいと伝えよう。

 もう、手を伸ばさずに我慢することなんてできないと自覚したから。



 しかしその後、訓練中に大事故が起こった。


 炎の上級魔術の暴走。

 暴走した魔術は、通常の手順で出力できる限界の威力をゆうに超えている。周囲の魔力を吸い上げて暴走しているようだった。騎士団の誰も、単騎では対応したことがない程の威力だ。

 連携できれば良かったが、混乱状態を極めている上、砂塵で視界が閉ざされていた。暴走した魔力に妨害されて、念話による伝達すらできない。


 ジルベルトはとっさに負傷した仲間の元へ闇魔術で転移し、巨大な土の防御壁を展開する。

 防御壁が崩れ始め、大火傷で動けない仲間を庇おうと前に出た瞬間、目の前に躍り出た人物がいた。

 

 ジルベルトは自分の目を疑った。

 それは、愛しいリーナベルその人だったからだ。


 小さな背中の前に、彼女の身長の二倍ほどもある巨大な魔術陣が光り輝いている。

 その起動と同時に、巻き起こった暴風が炎の龍と激突する。

 ――何だこれは。一体何が起こっている!?

 瞬時に彼女の元へ行こうとしたが、巨大な魔術同士の激突による魔力のうねりと暴風によって叶わない。あっという間に濃度を増した砂塵で彼女が見えなくなる。


 そして爆音が鳴り響いた後、周囲は突然静寂に満ちる。

 激突していた二つの魔術が同時に消失していた。

 砂塵の中にようやく彼女の姿を認めた時、その細い身体がぐらりと傾いた。


「リーナベル!!」


 転移して抱きとめる。その美しいかんばせは蒼白に染まり、青い瞳は焦点が合わず揺れている。

 そんな状態にも関わらず、彼女は小さく微笑んでみせた。


「ジルベルトさま…たすけられて、よかった……」


 小さな、小さな声だった。

 けれど確かにそれは、ジルベルトの耳に届いた。


 一瞬呆けたジルベルトだったが、突然我に返って叫んだ。


「魔力枯渇だ!!医師を呼べ!!!」


 呆然と静まり返っていた周囲がわっと動き出すのを感じる。

 リーナベルの全身は小さく痙攣し、呼吸はほとんど止まっていた。――魔力枯渇。魔力持ちの人間が魔力を突然使い切ると、ショック状態になり死に至るのだ。


 すぐさま彼女の小さな口に口づけ、無理やり舌を差し入れて、自身の魔力を流し込む。

 魔力枯渇の応急処置は、粘膜接触で魔力を流すこと。魔力相性が悪ければ魔力が反発してうまく流せないが、リーナベルの身体はジルベルトの魔力を受け入れてくれた。

 必死に口づけを繰り返して、魔力を流し続ける。専用の魔道具を持った医師が来るまで、応急処置で延命するしかないのだ。


 大切な命の灯火が小さくなっていくのを感じて、ジルベルトの心は恐怖と絶望に染まっていた。



 ♦︎♢♦︎



 細い華奢な体が、騎士団の所有する一室のベッドに横たわっている。

 魔力を補給する魔道具に繋がれた彼女は、まるで死んだように眠っていた。

 彼女が生きていることを確かめたくて、彼女が死んでしまったのではないかと不安になって、何度も何度もその心臓が動いていることを確認する。

 必死に行った応急処置がなければ、リーナベルは既に死んでいたと医師が言っていた。そして、数日以内に目覚めなければ彼女は助からないとも。

 初めて経験する恐怖に、身体中が芯から凍りついていくようだった。


 リーナベルは恐らく、初めから自分を助けるために行動していたのだ。

 ジルベルトはほぼ確信していた。

 ――思えば、不思議だった。

 雨の日の早朝訓練にだけ現れ、何かを見守るようだった彼女。

 鍛錬場に通うのはジルベルトが目当てだと言っていた、ランスロットの言葉。

 そして彼女は魔術の暴走に対して、まるで予め事故を予見していたかのように動いていた。でなければ、訓練された騎士たちでも対応できなかった事態に、あの速さで動けるはずもない。

 極め付けは彼女が描き出した、見たこともない巨大な魔術陣。尋常ではない出力の風魔法。圧縮された暴風と、轟く爆音。


 その、折れそうに細い体で。

 華奢で小さな体で。

 一体どれほどの無茶をしたというのか。


 一切の迷いなく、自分の前に躍り出た彼女の姿が蘇る。


 俺のために、命を投げ出したというのか?


 目を離すと彼女が二度と手の届かない場所に行ってしまいそうで、ひと時も離れられない。もう必要がないのに、時おり口付けては魔力を流す。


 彼女が目覚めてくれるなら、何を犠牲にしてもいいと思った。


 もう一度、あのゆらめく青い瞳が見たい。

 もう一度、あの蕩けるような笑顔が見たい。


 彼女のことをもっと知りたい。

 抱えているものを、自分にも分けてほしい。

 悩んでいることを、教えてほしい。

 今度は自分が、彼女を助けたい。

 今度こそ、彼女を守りたい。


「……リーナベル。目を覚まして……お願いだ……」


 暗闇の中、彼女の真っ白な手を両手で握り込んだ。

 自分の額にすり合わせる。

 弱りきった声で、ジルベルトは祈るように呟いた。

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