今と過去と冷たい雨
どうやら出迎えてくれた女性は、佐藤マリさんのお姉さん『佐藤麗華』らしく、楓の通っている個別指導塾の先生らしかった。
麗華さんに招かれて、マリさんの部屋に訪れるとマリさんはマスクをして、上下セットの水色パジャマを着ていた。ベットの上で背筋を少し曲げ、背もたれに寄り掛かりながら、中間テストの勉強のために日本史の教科書を読んでいた。
マリさんは俺が来ているのに少し驚いているようだった。
麗華さんと比較すると、身長は160後半といった所。
妹が茶色がかった黒のロング。
姉が透き通った黒のロング。
うちの高校は、染めるの駄目だからお姉さんが染めているのだろう。
「わたしと同い年の妹がいるって言ってたからさあ。もしかしてっと思ってたけど、佐藤って苗字だからね確信持てなくて」
「そうだね佐藤多すぎるもんね」
「お姉さんって大学何年生だったけ」
「一応、2年生。休学してたんだって、姉さんは体あんまり強くなくて」
「そうなんだぁ」
世間話を終え、楓が風邪の調子はどうかと聞く。
「うん、熱下がってるし。あとは咳だけなんで。2人に移しちゃうと悪いから……」
「あー、だいじょぶだいじょぶ。ここには馬鹿しかいないから。特にコイツなんて」
庇うのは否定しないし、すべきことだとは思うが、何故にコイツは誰かを庇うのに俺すらも否定するんだろうか。
「果物持ってきたから、あとで食べよう!」
「うん!『後で』で良いけど、今日のノート撮らして」
「良いよ」
俺は会話の世界から外れると、暇をつぶす為に部屋を見渡す。
今になって『女子の部屋って初めて入るな』と思った。よくアニメに出てくる女子の部屋のように、ピンクで埋め尽くされたファンシーな部屋という訳ではなく、白を基調にしたシンプルな部屋――中央に脚の低い木製テーブル、テーブルの下にはクッション、出入り口側の壁には本棚と学習机、出入り口と向かい壁にはベッド――には紅2点、ベッドにいる大きなクマのぬいぐるみと、ベッドの左横に貼ってあるファンダイクのポスター。
ファンダイク!?
サラーとかじゃなくて、ファンダイク!?
いや良い選手だし、日本人と同じチームの時も多いけど。サッカー少年か何かか?確か、剣道部だったよな?
会話の渦から完全に抜けていて、『コイツ、何しに来たんだ』と思われるのは癪なので、コチラから話を振ってみる。
「リバプールすきなの?」
マリさんは少しだけ驚き、目を見開き、顔を紅潮させて「うん」と答えた。
「家族のだれか好きなの?」と聞くと、「そういう訳ではないけどー」とハッキリしない答えが返ってきた。
会話に参加せず傍観していた、俺と向かい側の位置、マイさんのベッド側に座っている楓が、イタズラな笑みで何かをボソッと呟く。すると、見るからにマイさんの顔が茹で上がった様に真っ赤になっていく。その様子を楓は何かニヤニヤ笑っている。
話を換えるように、珍しくマリさんが話を切り出す。
「なんで、栗林くん、高校ではサッカー部入らなかったんですか?」と顔の赤みが徐々に取れ出し始めたマリさんが質問する。
珍しく楓が、ばつを悪そうな顔して下を向く。
「それは……。飽きちゃったからかな」
今になって《《目的》》を思い出す。
俺はマリさんに、前岡から仰せつかった、プリント提出について話すと直ぐにプリントをもらえた。足早に用件を済まそうとして学校へ向かおうと席を外すが、何故か楓に外で待ってるように命令された。
玄関のドアを開けて、空模様を確認する。
曇り空だった空は、さっきの物寂しそうだった楓の機嫌と呼応して雨をふらしていた。冷えた外で律義に命令を守っていた。5分くらいして、楓は玄関のドアを開け、門扉を開け、外に出てくる。傘でも借りたのだろうか。
冷たい雨は非情にも降り注ぎ、行きとは違い、横に2人揃って歩いていく。
「あの娘、知らなかったのよ。アンタがなんでサッカー辞めたか」
「いや、どうでも良いことだよ」
本当は少しだけ辛かったが、言わないことにした。
「ほんとうに悪気ないのよ。許してやって……」
「なんで、お前が謝るんだよ」
「いや、特に理由はないけど。……脚が」
いつもの尖った態度は抑え目になっていた。妙に神妙で停滞した空気を感じたので。
いや違う、話を続けさせない為に話の腰を折るように。
「どうせ、いつものお前の方が1億倍くらい酷いこと言ってるから、お前が気にするような話じゃないよ」と慣れない、人を庇うようなジョークで遮った。
「なによ、それ……」とやっぱり、いつもと違うテンションで楓は話をやめた。