老婆の味噌汁
最初は軽い気持ちで闇バイトに手を出した。お金もなかったし、友達も気軽にやっていたら。
しかし、だんだんと依頼主の要求は激しくなり、田舎の民家に入り、泥棒もするようになっていた。
本当はこんな事したくなかったが、高い報酬に目がくらむ。今日も田舎の民家に侵入しようとしたところだった。
「あんたぁ、どこの子じゃ?」
庭にいる家主に見つかってしまった。農家と思われる大きな一軒家だが、庭にいる老婆に気づかなかった。
小さな老婆だった。身長は150ないかもしれない。犯行が見つかったショックで俺は声も出なかったが、老婆はボケているようだった。俺を息子か孫と勘違いしているようで「たっちゃん」と呼んでいた。
これはリアルなオレオレ詐欺ができるのでは?
そう頭の中で電卓を叩いた俺は、たっくんを演じる事のした。
「ばあちゃん、会いたかったぜ」
「飯でも食うかい? ちょうど、あんたが好きな味噌汁があるんだわ」
老婆はそう言うと、台所の方に消えていく。俺は、家に上がり込み、居間に向かう。平屋の一軒家で、老婆が一人で住むのは、広すぎるようだ。隙間風が吹き、春なのにちょっと寒い。ざっと箪笥を漁るが、金目の物はなく、舌打ちを打ちたくなる。古い畳は、ガサガサしていて、俺の靴下と相性が悪く、ちょっと滑りそうにまった。
「たっくん、味噌汁できたわ」
そこに老婆が戻り、再びたっくんのフリをする。お盆の上には具沢山の味噌汁、おにぎり、だし巻き卵がある。典型的なの日本の食事だ。
ふわふわとした味噌の匂いも、遺伝子の何かを覚醒させる。
「たっくん、召し上がれ」
二人でちゃぶ台を囲み、食事をとった。正直、おにぎりの米は硬いし、卵もちょっと甘い。こんな野菜がいっぱい入った味噌汁は久々に食べた。
思えば、一人で暮らしていると、こういう具沢山の味噌汁は、案外作る機会がない。コンビニで売ってるインスタントは、具がしょぼく、死んでる味になっている事を思い出す。
「たっくん、私は、嬉しいよ。誰かと食事がするのがね」
老婆の黒い目がギラっと光る。もしかしたら、何もかも知り、ボケたふりをしているのかもしれないとヒヤヒヤしてくるが、味噌汁の美味さに逆らえず、夢中で食べていた。
「人は独りでいるのは良くないって、聖書に書いて会ったなあ。あんたみたいのでも、二人で食事するのが嬉しいわ」
再び彼女の黒い目を見ていると、とてもボケているようには、見えない。こんな料理を作れるのも認知症では難しいだろう……。部屋も庭も綺麗に整頓されているのも、いたって健康に見えてきた。
それでも老婆は、俺の正体については一切追及せず、自分の分のおにぎりを分けてくれた。
「たっくん、お食べ」
良心がチクっとする。その上、親戚の農家に働き口を紹介してやるとか、綺麗なお嫁さんも見つけてやりとか言われ、俺は、これ以上食べ続ける事ができなかった。
「ごめんなさい。盗みを働いていました」
畳におでこをつけ、謝ってもいた。
「たっくん、何を謝ってる?」
あくまでも、その演技は続けていたが、俺は自ら警察を呼び、お縄になった。
後に老婆のこの勇気と機転は、警察に表彰さてたと聞いた。やはり、認知症ではななく、頭の方はピンピンしていたらしい。
老婆はこの件に関して「何だか犯人が可哀想になってな。あったかい味噌汁でも食べてほしいと思った。誰かと食事をしたら、良心も生き返るかもしれない」と語っていた。
塀の中で、あの味噌汁の味を思い出す。もう二度とあんな味噌汁を食べる機会はないと思う。それでも、あの味を思い出す度、塀の中のお勤めも頑張れそうだった。




