最初のゆで玉子
正直、困っていた。
麻美は、お隣さんに卵を貰った。十二個もある。ここ田舎で、鶏を飼っているものも珍しくなく「いっぱい産んじゃったので」と卵を貰ったわけだが、嬉しくはない。
毎日、コンビニかスーパーの惣菜、または社員食堂の定食を食べるのが麻美の毎日の食事だった。
自炊はしない。いや、できない。
麻美は一昨年、離婚した。原因は夫のモラハラ。特に毎日の料理に文句をつけられ、離婚後は全く料理が出来なくなってしまった。
離婚後、実家に帰ったが、年老いた母が亡くなると、余計に料理のやる気は消えた。一人暮らしだと、自分の食事なんてどうでも良い。
お隣さんは最近引っ越してきた。確か職業は文筆業などと言っていたが、麻美より少し歳下のようだ。特に親しいわけでもないし、この卵捨てるか。勿体無いが、料理を作る気が全くしない。
「うちの卵の味はどうでした?」
しかし、近所ですれ違うたび、お隣さんと卵の会話になる。
「餌も良いの使ってるし、絶対美味しいです」
「そうですかね」
「え、まだ食べてない? 早く食べてくださいよ」
しつこい。ただ、無邪気な笑顔を見せられると、捨てるのも忍びない。
仕方がない。料理は嫌いだが、ゆで卵ぐらいなた出来るか。
鍋に水をいれ、卵をそっと入れ、火にかける。
ぽこぽこ。
沸騰すると、鍋は音をだす。まるで鳴き声のよう。ちょっと鍋が生き物のように見えてくる。
元夫は茹で卵にすら文句をつけてけた。硬過ぎとか、やわらかすぎとか。結局、彼が望む茹で卵は、一個も作れなかった。
当時を思い出すと、泣きたくなってくるが、今の茹で卵は自分の為のものだ。もう夫の顔色を伺わなくて良いんだ。そう思うと、この茹で卵は別のものに見えてきた。
「麻美さーん、卵の味どうっすか?」
お隣さんはまた聞いてくる。無邪気な笑顔を見ていると、誰かと茹で卵を食べたくなってきた。縁側に座り、お隣さんと一緒に茹で卵を食べる。
「おお、うまい。やっぱりうちの卵最高じゃん」
「そうかな? 自画自賛すぎると思うけど」
卵の味は普通だった。黄身も薄い色だし、食卓塩も普通。
「正直、私、料理が嫌いなの」
「だと思った。会社の帰り、コンビニの袋っぽいのよく持ってるし」
「よく見てるわね……」
しかし、お隣さんは茹で卵も立派な料理だと、褒めてくれた。誰かに褒められたなんて久しぶりだった。
「よし、次はスクラングルエッグや目玉焼きも作ってみようぜ」
「う、それはハードル高い。失敗しそう」
元夫の怒った顔が、昨日の事のように思いだす。
「大丈夫、大丈夫! 失敗しても、玉は何とかなるから」
妙に楽観的。でも、何だか怒る気にもなれず、脱力してきる。
「そもそも俺んちの卵は美味しいから、失敗ななんてない」
よっぽど自信があるらしい。そう語るお隣さんの横顔を見ながら、料理を再開しても良い気がしてきた。
辛い過去は変えられない。
でも、明日からの事は、変えられそう?
そんな気がしていた。




