暗殺者のパスタ
思えばキッチンという場所は、凶器がたくさんある。
包丁は言わずもがな。
古い小麦粉は、ダニが繁殖し食べると危険だそう。通称パンケーキシンドロームと言われる。
シンドローム繋がりでは、チャーハンシンドロームというのもある。セレウス菌感染症とも呼ばれるものだが、常温で放置したチャーハンやパスタはとても危険だそう。
他にも不凍液は食べ物に混ぜてもバレにくいというし、アレルギー関連も怖い。キッチンには危険がいっぱいだ。一歩間違えば死に至る危険が少なくない。そこに立つ人は、さしずめ暗殺者ということか。
山村郁人はそんな事を考えながら、仕事部屋でポチポチとキーボードを打っていた。
職業は脚本家だ。その道ではベテランだ。もう三十年以上第一線で書いている。今はサスペンス風ミステリの舞台の脚本を書く為、仕事部屋にこもっていた。
自宅から少し離れたマンションの一室を仕事部屋にしている。家族はいないので自宅で仕事をしても良いが、資料の整理や管理が大変だった。今は細菌やアレルギーの資料が机の周りに山積みだ。これを見ていると、キッチンも凶器が溢れた場所に見え、怖くなってくるものだ。
そんな時だった。
「先生、お昼ご飯の準備ができましたよ」
秘書から呼ばれた。キッチンのそばにあるダイニングテーブルへ向かう。
秘書は初老の女だった。金の管理や電話応対、スケジュール管理だけでなく、昼飯の支度も業務の一つだ。無表情で不気味な雰囲気の女だが、仕事は正確で早い。その点は信頼しているが。
テーブルの上にある今日の昼ごはんを見る。血のように真っ赤なトマト風のパスタがある。
「なんだ、このパスタは?」
「これは暗殺者のパスタと呼ばれているものです。麺を焦がして作るのが特徴ですね。血のように真っ赤な色からそう呼ばれているとか」
秘書は不気味にヒヒヒと笑う。
そう言えば、前に「給料泥棒」とか「役立たず」などとパワハラし発言た時、一週間ぐらい下痢だった時がある。
もしや、この秘書が食事に何か盛ったか?
そんな可能性も考えられ、冷や汗が流れる。しかし、目の前にある暗殺者のパスタとやらは美味しそうだ。
固めのパスタに真っ赤なトマトしソースが絡み合う。本当に血の色のよう。もしかしたら、本当のこの秘書に殺されるかもしれない。
ちらりとキッチンを見ると、包丁が剥き出しに置いてある。包丁は蛍光灯に照らされキラキラと光っていた。
やはりキッチンは危険がいっぱいだ。そこに立つものは、誰でも暗殺者になりうる。
この秘書が山村を殺す事も可能だろう。
それでも目の前にある美味そうなパスタからが逃れられない。お腹が空き、ぐうぐうと情け無い音が響く。
「先生、どうぞ暗殺者のパスタを召し上がれ」
秘書が再び不気味に笑う。このパスタが最後の晩餐になる可能性もあるが、食べない選択肢は一つも思い浮かばない。
殺されるスリルを感じつつ、山村はフォークをつかみ、食べ始めた。秘書はテーブルの側に立ち、山上の側を離れずに見守る。切れ長の冷たい目に見られながら食べるのはヒヤヒヤしてくるが、悪くない。この緊張感が美味しさを引き立てるスパイスになっていた。
本当に暗殺されても良いぐらい美味しかった。カリカリ食感のパスタなんて初めて食べたが、美味い。辛さも殺人級だが、そこが良い。昇天しそう。
これを食べた後に死んでもいいなんて秘書に言ったら、再び笑われた。
「ふふふ……」
秘書の笑い声が食卓に響く。この後、山村が生きていられるかは、誰も知る事はなかった。




