異世界のパンが硬い理由
はあ、好きなことして生活したいなぁ。
仕事帰り、本屋に行く。スピリチュアル本コーナーの隣に女性起業家の本が特集されているのを見て、ため息が出る。
その本を読むとケーキ屋を開業し、成功した女性の話などが載っていて、低賃金の介護職でこき使われている私の頭にお花が咲く。好きな事して成功したい。早いとこ実家暮らしの子供部屋おばさんも抜け出したい。
しかし、開業資金もないし、どうしよっかなぁ。だったらスピリチュアルで稼ぐか。などと考えながら歩いていたら、トラックに轢かれた。
目が覚めたら、中世ヨーロッパ風の町にいた。どこかの市場のようで、野菜や肉などが売られている。市場の人はみんな堀が深いヨーロッパ顔だ。
「ここはどこ?」
しかし、見覚えのある風景だ。最近ハマっている乙女ゲームの背景とよく似てる。庶民出身のヒロインがカフェを開き、王子や騎士たちにチヤホヤされる内容だった。
どうやらトラックに轢かれて乙女ゲームへ異世界転生してしまったらしい。服装もあのヒロインのものに変わってる。花柄のヒラヒラワンピースに紺色のエプロン。気づくと私の顔も体も全部ヒロイン仕様に変わっていた。
「わーい、これでチートでカフェできる」
確かこの市場の近くにヒロインのカフェがあったはずだ。ニコニコ顔でカフェへ向かう。好きな事したいと願っていたら、異世界転生してカフェできるなんてラッキーだ。
しかし、この異世界は私に都合のいいチートじゃなかった。カフェで出した蒸しパンが腐り、食中毒を出し、客たちに叩かれてしまった。
「こっちのパンが硬いのにも理由があるんだよ!」
客が吠える。
あのゲームの中でヒロインは、異世界の石のように硬いパンをdisり、ふわふわの蒸しパンを作ってカフェをオープンさせていた。この事により近隣住民のヘイトを買っていたようだ。
「パンが硬いのは水分抜いて保存をきかせるためだ! こっちは食品の保存をするのに命懸けなんだよ。野菜の塩漬けも保存するため。菓子が砂糖でドロ甘なのも保存するため。見た目と味ばっかり考えてるわけじゃねぇよ。これは先人の努力と知恵の結晶なんだ!」
客に詰めよられ、私のチート異世界転生生活は泡と化した。
私の考えは甘かったよう。何個売れば利益が出せるとか、原価とか立地とか宣伝なども全く考えていなかった。何より一番重要な安全性も甘く見ていた。上手くいくわけがない。好きな事を続けるのには、努力と知恵が必要だった事をようやく悟る。
「はっ!」
悟った瞬間、目が覚めた。家のベッドの上だった。トラックにも轢かれず、異世界転生もせず、カフェで食中毒も起こしていないようでホッとした。
「お母さん、おはよう」
母と朝食をとる。テーブルの上には大手メーカーの食パン、母が焼いたソーセージ、インスタントコーヒーがある。昔はこれらは添加物いっぱいで身体に悪いとdisっていたけれど。
「なんだか、このパンもソーセージもインスタントコーヒーも美味しいね」
涙が出そうだ。これらを安心して食べられるのは、色々な人の見えない努力と知恵があるおかげ。
「あんた、どうしたの?」
母は呆れていたが、「ようやくわかったか……」という顔をしていた。
涙を流しながら食べた朝ご飯は、しょっぱかったけれど、とっても美味しく感じてしまった。こんな普通の朝ご飯でいい。いつも通りのご飯が、何よりも幸せの証だ。




