5.「私は……君を愛している」
「君は模範のような素晴らしい女性だ……努力家で、真面目で。しかし無い物ねだりというか、もう少し違う雰囲気の君も見てみたいと思ってしまって……それがまさにノーラだった」
「……」
「だからって……君にそんな下品な格好や、らしくない振る舞いを頼むなんてできなかった。後ろめたい気持ちもあったし、なにより自分が恥ずかしいのもあって……言い出せなかった」
「そんな!言っていただければ私、すぐにでも……!」
『ノーラ』の変装だって、大変だったけれど彼のためを思えばそこまで苦ではなかった。
「無理強いしたくなかったんだ。それはあくまで自分の好みであって、強要はしたくなかった……君にそんなつらい思いをさせたくなかった」
「……!」
何気ない発言に滲み出る、彼の気持ち。
いつもいつも自分から尽くしてばかりだと思い込んでいた。
彼は自分勝手で我儘……そんなひどい男だと諦めていた。
しかしそう勝手に思っていただけで、彼も彼で大事に想ってくれていたのかもしれない……
(私が見てなかった、いや見ようとしてなかっただけ……?)
婚約破棄なんて馬鹿な事を言い出す男なんて、こちらから願い下げだわ!なんて思っていたはずなのに。
あれほど堅かった意思が、もう振り返らないと決めた心が……揺らいでいく。
「でも……そうしようと思えばできたはず。私にそう頼めば良いってだけの話ですから。私がどんなにつらかろうが、あなた自身は何の苦もないのだから……」
「そうだな」
「だって、そういうのがお好きなんでしょう?」
「そりゃあ、『ノーラ』の時みたいに……それはもう、どっぷりとハマってしまうほどに大好きさ」
「でしょう?」
「でも、それはあくまでも私の嗜好であって、君を変えてまで実現させようとは思っていなかった。心の中で留めておくだけでよかった……」
「……」
「誰だって持っている、そういったある種の性癖を。でも、現実にはならないものだと心に秘めながら、毎日を過ごしている……そういうもんだ」
そもそもそれが普通なんだけどな、と一言付け加えて自嘲気味に鼻で笑うフランツ。
「フランツ、様……」
「でも……そんな私が胸の奥底に封じたはずの妄想を、そっくりそのまま具現化したような女性が……『ノーラ』が現れてしまって……私は……」
「……」
「私は……っ」
そう言って彼の口は止まった。
湧き出る後悔や悲しみを封じ込めるように、ぐっと唇を噛み締めて。
(ああ、なんて事……)
肩の力がスルスルと抜けていく。
蓋を開けてみれば、なんと馬鹿馬鹿しい。
愛する彼の浮気を恐れた私が、変装なんて変な事をしたせいで……かえって全てを狂わせてしまっていた。
婚約破棄なんて大事件のきっかけが、まさかこんな事だったなんて。
「その……つまり、なんていうか……君が好きなんだ。好きすぎて、駄目なんだ」
「……」
「どんな店に行っても選ぶのは君に似た娘ばかり。そんな彼女達にプレゼントとして渡すのも君の好きそうな物ばかりで……いつもどこでも君の面影を追いかけていた」
「でも、」
「ああ、分かってる。もう全ては終わった事だ。今更こんな事を言ったって、許してはもらえないだろう。だけど……せめて、これだけは言わせてくれ」
「……」
「私は……君を愛している」
胸にぶわっと込み上げてくる感情。
興奮と驚きと困惑と……もう何が何だか。
混ざり合ってしっちゃかめっちゃかなそれを、最後に現れた嬉しさが大波のように一気に押し流していく。
落ち込んでいた感情も、彼への深い失望も……もうなんだか、全てがうやむやになってしまった。
「分かりました……許しましょう」
「エレノア……!」
こんなので簡単に許してしまうなんて……私も相当だ。
甘い誘惑に負けるような馬鹿な男と、それをつい許してしまう愚かな女……ある意味似た者同士なのかもしれない。
(本当に馬鹿ね……あなたも、私も)
「それと……エレノア、一ついいかい?」
「何かしら」
「今夜……は、もう遅いから寝るとして……」
周囲の真っ暗闇を見て、彼は言葉を途中で変えた。
話し込み過ぎて、今夜はもうあと数時間しかなかったのだ。
もうすぐで今日は終わり、日付が変わってしまう。
「なら明日だ……明日の夜、私の寝室で……もう一度やってくれないか?」
「やるって、何を?」
「何をって……それは……その……」
言葉はそこで止まり、ボリボリと頭を乱暴に掻いて黙るフランツ。
なんとも言えない空気感、そしてどこか緊張した彼の雰囲気。
暗くて顔の色なんてほとんど見えないはずなのに、今の彼が赤面しているのがなんとなく分かってしまった。
「その……ノ、『ノーラ』をさ……」
「ノーラ?まだそう言って……」
「ち、違う!違うんだ、そうじゃなくて……!」
「なら、どういうおつもりで?」
「その、ノーラのような雰囲気の君を……君の素の状態で見てみたいというか……もっとこう、開放的な夜を過ごしたいというか……」
随分と周りくどい言い回しだが、つまりは……
「……っ!」
今度は私が赤面させられる番だった。
「……駄目かな?」
「か、考えておきます……」
◇ ◇ ◇ ◇
この後、『ノーラ』が再び彼の前に現れたのかは……謎のまま。
風の噂によると、結局この二人は予定通り結婚したらしい。
夫婦となった彼らの間に三人の子供が産まれ、幸せに暮らしているそうだ。
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